出逢った想い出たち
2015-10-28T07:28:04+09:00
masami-ny55
東京の日常生活と、仲間たちとの交遊録
Excite Blog
心の安らぎ
http://masami55.exblog.jp/23815176/
2015-10-28T07:28:57+09:00
2015-10-28T07:28:04+09:00
2015-10-28T07:28:04+09:00
masami-ny55
日記
出逢った想い出たち…とタイトルにした頃は、ボクは病気と闘う人生を体験してもいなかった。それがいまは、こうして目の前に大病を抱えた事実の中で生きていると、それだけでも毎日が輝いています。出逢いたくない出逢い…失敗の数々です。たくさんありました…。韓国との出逢いはボクの宝物になりました…。
そして、最近では命の恩人との出逢い。
学生に戻ったいまは、仏教史にサンスクリット語、パーリ語の原始仏典…これを指導してくれる先生が、中村元先生の愛弟子・釈悟震先生。
生きる人と死を感じている人との仏教学は違うのでは? との質問に、先生は「心の安らぎですよ」と答える。「ブッダがいう悟りとは、心の安らぎです」と。この一言でボクは釈先生が大好きになり、以後「東方学院」に入学しました。
生と死は同じことですね。前か後か、その違いだけ。「心の安らぎ」こそ、生きる実感。すると四苦を受け入れ、信じたものは永遠に信じていられる。裏切りもなく、別れもない。
美味しいね…と、つぶやくしあわせ。小さな笑顔が眩しいね。
先日、ゆうこちゃんに「幸せに出来なくて、ごめんね」って謝ったら、
「しあわせだよ!」って、答えてくれました。ふたりで、大きな笑顔です。
みーちゃんに叱れました。「もっと自分の体を大事にしなさい」って。
「だって、みたい映画あるし…」
いつの間にか大きくなった一人娘は先日、大きなオーディションに合格。声優として踏み出そうとしています…。
奈良ちゃんが「みーちゃん、すごいと思うよ」って、笑顔です。
笑顔にも、様々な色があることを知りました…。
…まさみ…
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沢海陽子さんが「夏公演」に出場決定!
http://masami55.exblog.jp/22943732/
2015-04-09T19:36:51+09:00
2015-04-09T19:36:52+09:00
2015-04-09T19:36:52+09:00
masami-ny55
日記
ずいぶん長い間、ほったらかしにしていたものです…。別段、新しく書くような出来事はなくて、もの静かに生活していたのか…と、いうと、そうでもないけれど…。
とにかく、今回のユーガットメールは自分自身としては、85点以上の作品になったと、満足しています。
韓国ドラマに「ゆれながら咲く花」という学園ものがあり、その中でイ・ジョンソクとキム・ウビンふたりの絡みが実に印象的でした。なんとかこれを芝居に出来ないものか、という想いが残像になって、今回の舞台で使ってみることが出来来ました。ただし、元のドラマとは逆の展開をしてみたのですが、完成してみるとそれが見ていて心地よかった。ファミリーコンサートとしては、上出来だったと自負しております。
今回も、大勢のスタッフが関わってくれて、あれだけの舞台が完成したと感謝しています。とくに、舞監、
照明監督とボクは同じ大学の先輩(ボク)後輩の関係だったことも楽しく出来た要因でもあります。
林蘭さんは、韓国語の言語で「詩の朗読」をしてもらいましたが、長い役者活動で初めてでした。でも、韓国の発音指導にあたった友だちは「すばらしいです」との評価を頂き増したので、舞台本番では恥じることなく、心を込めて朗読したので、自然とあの演技ができあがったのでしょう。共演していた眞弓君(生徒役)は、思わず舞台上で涙ぐむほどでしたから。
常連のお客様には、またしても…って感じだったでしょうが、矢部君の中国語の朗読は実にいい感じですよ、ね。今回は、芝居の流れから見て、ボクは陶淵明の「帰去来」が最適と思い、原文で読んでみる芝居にしてみました。本人もどうやら、「わかってます、ハイ!」と調子よくこなしてくれました。中国語の発音指導の先生も「相変わらず、大丈夫ですね」との評価。安心して見ていられました…。
手紙が今回、人間ではなく、「学校の校舎」です。学校がボクたちに語りかけている、という擬人化の設定で文面を書いてみました。この台本を書くとき、ボクは唱歌を流しながら軽く瞑想をしました…。幼稚園、小学校そして中学…大学の校舎…かかわった先生の顔や友だちとの交友関係…。そんな遊び心で書き上げました。手紙を朗読している柳沢三千代さんには「ありがたい」のことばしかみあたりません。あんな文面なのに、三千代さんの声を通すとあれほどの輝きを放って舞台いっぱいに響き渡ります…。
そして、今回はゲスト出演して頂いた吉野悠我さん。別役実先生の秘蔵っ子として演劇界ではベテランであり、海外公演でもあれだけの高い評価を頂いている大先輩が、この舞台に上がって頂けました。「感謝」を歌ってほしかったからです。そのあと、「仰げば尊し」を全員で合唱…と、思い描いたのですが、現実にできあがりました…。いかがでしたでしょうか、あのラストシーン…照明監督と舞監は必死でタイミングを計っていたのですが…。
…と、今になってこんなことを書いてもただの日記ですね。
さてさて。
今度の夏公演は、芥川賞作家・由起しげ子さん原作の「女中ッ子」を土台にした、「英雄からの手紙」を再演します!
でね…、ボクは一昨日、汗だくでした。
まるで少年みたいに、恋している女性と初めてデートするときの、あのドキドキ感でした。
日本の声優界をリードしてきた、沢海陽子さんとお目にかかったのですよ!
なぜかって…。
実は再演と言っても、全く同じ台本で同じキャストで芝居をする訳ではないのですよ。今回の再演でも同じことで、前回出来なかったところを十分に修正した台本で舞台を創る覚悟なのです。
で、沢海さんには「母親役」をお願いしてきました。
初めてお目にかかって驚いたのは、いままで何度かユーガットを見てくれていたのですよ!
ボクの失敗作とか、ボクの好きな作品とか…いろいろ、見てくれていたのです。感激でしょ!
「私でよければ、参加させて下さい」とのメールの返事でしたから、これはもう、会ってみて相談事をしないと…失礼です。
彼女の声優活動ではキャメロン・ディアスの吹き替えとか、もう、たくさんありすぎて書ききれません。
劇団AUNの仲間たちとの関係もあって、このことが現実になったのです。なんだかんだと言っても、やっぱり人間関係ですね。
ということは、
主役の女中「初」:林 蘭
女中ッ子「加治木 直哉」:福原 美波
直哉の兄で、演劇部の「良治」:矢部 祥太
そして、今回は
加治木の母親「和子」:沢海 陽子
手紙たち:柳沢 三千代
と、なります。
将に、豪華絢爛の実力俳優の共演が実現できました!
ここまでくれば、あとはボクの新台本と演出ですね…がんばって素敵な舞台に仕上げて、皆様とこの夏にお目にかかりましょう!
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3月公演・ユーガットメール「故郷からの手紙」
http://masami55.exblog.jp/22684120/
2014-12-28T18:47:00+09:00
2015-02-01T10:45:23+09:00
2014-12-28T18:47:13+09:00
masami-ny55
日記
月日の経つのは、早いなあってボクは思います。
三谷幸喜さんの「オケピ!」一躍スターダムに上がった岡田誠君の声楽とピアノ演奏だけで始めた「ユーガットメール」の第一回公演から、あれよあれよという間に今年ですでに13年目を迎えました。
もちろん、これはお客様みなさまのおかげです。昨年から年に2回公演が実現できるようになり、「夏休みのコンサート」だけではなく、「春休み」にも出来るように育ちました。
発足当時のファミリーコンサートのコンセプトを継続しています。入場者の年齢制限をなくして、ご家族でお楽しみいただける「音楽と手紙朗読とお芝居」の3つを組み合わせた舞台を作り続けてきました。
手紙朗読は、青二プロの柳沢三千代さんが3回目から担当してくださっていますが、いままで、文学界の作家の手紙から、東北地方の方言そのままに、お母さんから息子へあてた手紙を読んだり、都会でひとり暮らしの女性の手紙、新聞社海外支局長からの手紙などなど。そして今年の夏には、夏目漱石と正岡子規の実際の手紙朗読…と、思い出してもずいぶんな内容に挑戦していただきました。
最近の稽古では、雨宮さんのピアノをBGMにしての朗読が多いので、付きっ切りで稽古している風景はいまや、ユーガット劇団では名物になっています。
録音したり、やり直したり…、ふたりで納得がいくまで台本を読み合っています…。
劇団AUN(吉田鋼太郎・主宰)から林蘭ちゃんが登場したのは、第4回「孫悟空からの手紙」でした。この辺あたりから、ありがちなファミリーコンサートから脱皮して、芝居中心の舞台としてしっかりとした劇団に育ちました。
音楽ジャンルもますます広がって、オペラのアリアからディズニーミュージック、唱歌に歌謡曲、ミュージカルソングに世界民謡と、全ジャンルの音楽を使い続けています。二期会の林美智子さんに登場していただいたり、第2回からはピアニストの石野真穂さんがレギュラーとして活躍。第3回には客演で藤井亜紀さんにも登場してもらってきました。クラッシック音楽と役者さんたちの歌声…。
すべて、「ナマ音」がこの「ユーガットメール」の当初かのコンセプトなのです。ですから、公演中、役者さんの誰一人としてマイクを使用していませんし、演奏もすべてナマ演奏です。
そして、舞台は「カラ舞台」。ピアノがあるだけ。
そんな舞台を13年間、続けてきました。ここまで来られたのは、みんなの努力はもちろんですが、お客様が足を運んでいただけたからです。
そして、第9回「ピーターパンからの手紙」から雨宮彩葉バンドと朗読、芝居との組み合わせは今まで以上の厚みを観客に提供で来たようです。それ以後、ずっと雨宮バンドは「ユーガット」と組んで、いまではなくてはならない存在になってしまいました。「お芝居を邪魔せずに、効果的に演奏したい」のが、雨宮バンドの主張にしています。
来年の3月27,28日の両日は、「故郷からの手紙」です。
ボクが生まれたところ、故郷。東京の子は、東京が…。山形県の置賜ならここが故郷…。
さあ、日本全国から、どんな手紙が届くのか…お楽しみに。
もちろん、歌もお芝居もいつものとおり、です。
では、会場でお目にかかりましょう!
題目:ユーガットメール#14「故郷からの手紙」
会場:滝野川会館大ホール
日時:3月27日(金) 開場午後6:30 開演午後7:00
3月28日(土) 開場午後12:30 開演午後1:00 /開場午後5:30 開演午後6:00
チケット:全席自由席です。一般¥4000 高・大学生¥2000 小・中学生¥1000(尚、席が必要なお子様も¥1000です)
交通機関:JR山手線「駒込駅」徒歩10分 / 京浜東北線「上中里駅」徒歩7分 / 地下鉄南北線「西ヶ原駅」徒歩7分です。
問い合わせ:03-3818-5811 担当 奈良、前田
…まさみ…
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電子書籍「キンドル」と「ブックライブ・リディオ」との体験的比較
http://masami55.exblog.jp/22622751/
2014-12-04T14:04:00+09:00
2014-12-05T15:52:11+09:00
2014-12-04T14:04:46+09:00
masami-ny55
日記
一昨年、日本電気と凸版印刷そして三省堂書店の3社で作り上げた電子書籍・ブックライブ「リディオ」を購入して、無料図書出版「青空文庫」と出逢って、散々使い回しました。一昨年は自分の会社の創設25年記念でもあり、その記念品にこの「リディオ」を配ったほど電子書籍に注目しました…。
で、最近のこと。
アマゾンキンドル(Amazon Kindle)の電子書籍を購入。購入理由は、ジャストシステムの「一太郎2014・徹」のファイルから独自で作成した小説・詩作・随筆などの作品をアマゾンにアップできる、とのこと。まずは自分で勉強してみようと決心したからです。ボクの体質的学習法は、自分でも知らない世界に興味が向くと、トコトン体験してみないとスッキリしないです。
今回、ラッキーだったことはジャストシステム社の多大なる援助をいただき、「PC教室パートナー」の資格を取得して、同社のソフトを使った授業をボクの「塾」で開講できたことです。「ライセンスナンバー」を使えるようになったということです。これにより、マイクロソフト社、アドビ、ジャストシステム、キャノンというPCソフトを代表する5社の「公認塾」になれました。
みんなの努力が報われましたね…。
こうした仕事の変化は突然、あるいは年々常にしていくものですが、ただ「塾」ですから、参加者に使い方を説明することが、仕事の目的になります。ですから、自分で実際「体験」してみないことには、人に伝えられません。
そして、自分なりの体験から比較してみた結論を書きます。
「本を読む」だけならば、断然に三省堂の「リディオ」を推薦します。その理由は、
1.なんと言っても、「軽い」です。170グラム(岩波文庫340P程度)しかないので長時間手に持っても疲労感が少ない。
2.WI-FIがなくても使えるので、その場で書籍購入ができます。ありがたいことに、通信料が一切かからない。購入と同時にすぐに使い回せるので、50代以上の「せっかち世代」にはもってこいの、「おしゃれ本」といえる。
3.操作は、他の電子書籍に比べて圧倒的に簡単。
要するに、読書家の立場になって創られた機種といえます。
4.使いこなしていくと、自分なりのカテゴリーで書棚を整理できるようにもなる楽しみがあります。
5.無料書店の「青空文庫」とのアクセスがこちらでは、断然簡単です。
6.価格は、アマゾン購入でも三省堂の店頭絵でも、¥8722(税込み)が三省堂書店の定価です。
三省堂の店頭で買い物すると、初期設定は無料でしてくれるので、できれば三省堂の「電子書籍コーナー」で買い物した方がお得でしょう。たまに、「なんとかセール」をしていますが、このときに巡り会うともっとお得に買えます。
では、キンドルホワイトペーパーはどうだったか?
1.使ってみて真っ先に感じたことは、「重い」が実感です。215グラム(岩波文庫240Pの本2冊分程度)なので、これは重たく感じますね。
2.読書するだけならば問題はないのですが、WI-FIが使えない環境では、満足に多くの機能が作動しないという弱点があります。読書中にふと気になって、読書中の本の「関連した書籍」の検索したり、「その場での書籍購入」は、WI-FIの接続がないと使用できません。
もちろん、すでにキンドルペーパーホワイトに入力されている本なら、WI-FI環境がなくても読めます。
3.価格は、¥15480(キャンペーン情報つき+Wi-Fi +無料3G付き)です。
なので、本を読むだけでいいという人には三省堂の電子書籍がいいようです。
ただ、このキンドルペーパーホワイトには、大変興味深い機能がつきました。
それは、
1.自作の小説・随筆・詩集・詩作・日記・写真集などを「一太郎」で作成後、キンドルの末端にインストールできるという楽しい企画が実現したことです。ということは、自分のファイルをキンドルを持っている友達にも、「電子書籍」として読んでもらうことができるようになったと言うことです。
小説や随筆に限らず、「我が家直伝・おばあちゃんのレシピ」とか写真入りで「電子書籍」になります。
2.オリジナルの「写真集」も、もちろん「電子書籍」になります。
3.さらには、アマゾンと連絡を取って、自作の作品を掲載できれば、自宅でする職業にもなります。
ここが、キャンドルホワイトペーパーの最大の魅力です。ただし、この操作を習得するには多少の学習が必要になるとは思いますね。もし、本当にやってみたければ、もよりのPC塾でそんな授業があるか尋ねてみるのが一番の早道でしょう。
で、ボク。
学生時代に買い込んだ本があります。たとえば、「漱石全集」ですが、12万円しました。ところが、キンドルで「電子書籍」として購入したら、なんとまあ、¥200で「夏目漱石全集-122作品」が購入できます。ちなみに「芥川龍之介全集-358作品」、「太宰治全集」、「森鴎外全集-124作品」なども¥200です。いままで、何だったんだ…ですよ、ね。とにかくやすくかえますし、「青空文庫」にアクセスすれば5000冊の無料本から好きな本を選べますが、おどろいたのは「源氏物語全巻」が、なんとまあ、無料でした!
学生時代、散々悩まされた「中島敦」の難解な漢字を使った作品は、全部ルビがふってあり、読みやすくなっていましたから、最近はこの作品ばかりを読んでいます。
読書する時代が、10数年前とはずいぶん違ってきました。古典作品は「電子書籍末端」さえ持っていれば、とても安く購入できる時代になったこと。これによって、各出版社の経営にも変化が出てきたみたいです。コミックが全盛の今の時代です、なにを購入するのか、選択できる範囲が広がったことも現代図書の特徴ですね。
現在、実際にバッグに入れて持ち運びしている機種は「リディオ」と「kindle Fire HD 7タブレット」なのです。「kindle paperwhite」は実はさほど使っていないのです。
というは、「kindle Fire HD 7タブレット」の方が、様々なソフトが動くので楽しいのです。「ワード」、「メール」、「お絵かき」、「写真撮影」が背面と正面ができます、「映像」がダウンロードできる、そしてもちろん「電子書籍」もある…。
ボクは始めからこの「kindle Fire HD 7タブレット」にしておけばよかったと後悔しています。
価格は¥16、280 8GB と¥18280 16GBの2種類がありますが、ボクは16GBにしました。
ただ、この機種もWi-Fi ネットワークの環境がないと、満足には作動してくれません。本などのファイルをダウンロードしてあれば、Wi-Fi ネットワークがなくてもつかえます。「電子書籍」なら、読みかけている本は、そのまま読み進めます。
仕事にもつかえますし、仲間たちとの連絡ができるのがありがたい。コミュニケーション機能があるのが、「kindle Fire HD 7タブレット」の特徴でしたね。なので、ボクはこういう機種になれていなかったので、遠回りをしました。
ズバリ、ボクの結論!
「電子書籍」のみなら、圧倒的に三省堂の「ブックライブ・リディオ」の勝利でしょう!
「電子書籍」+「コミュニケーション」+「簡単な仕事」などもしたい人たちには、断然「kindle Fire HD 7タブレット」がお得です。
現代は、本自体が売れていません。でも、図書する人々はいます。読書の楽しみはまだまだ廃れていませんので、各出版社の時代に即した新たな経営を期待しています。
…まさみ…
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「お知らせ」をかねて…
http://masami55.exblog.jp/22583754/
2014-11-20T10:30:00+09:00
2014-11-20T10:32:14+09:00
2014-11-20T10:31:07+09:00
masami-ny55
日記
自分が作創ったブログなのに、置き忘れた物ような扱いをしてしまった…。
8月から、とは。
書きたいネタは、山ほどあります。
① 札幌に行ってしまった仲間と、何十年かぶりで連絡が取れて、すぐに「仕事」の発注ができたこと。
その成果が本日メールでとどいた歓びは、ひとしおでした。
② 抗がん剤の薬を変更しましたが、体に残っていた昔の薬が出てきて、副作用との戦いが大変です。こんな体験をしていると、「ことばの世界観」がますます広がっています。生きること、そのことばたちとの出逢いが毎日毎日続きいています…。
それに伴う、現実の「人間関係の変化」とその「現実」。まあ、ボクのことばが変化しているので、そうなっていくのでしょう…。
③ 塾の開設25年目を記念して、初の「忘年会」みたいなことをします…。
「かつての地方都市・赤羽いけ増での会食会」と題して、「ユーガット常連出演者」との「お座敷クラシックコンサート」を実施しちゃいます。
④岩崎家(三菱グループ創始者)のゼミである「東洋文庫」は、小石川高校の隣にあります。ボクはここの長年の会員で、「ことばに関するゼミ」があったときは、のぞきに行ってました。で、ハッと気がついたのです、というよりひらめいた…。ボクの「塾」と、「東洋文庫アカデミア」がしていることは、似ている、ということです。
で、お互いに話し合いをしましたら、「会員費用」は、ボクの塾生に限りいろいろとサービスしてくれました。それよりもっとすごいのは、東洋文庫に所属なされておられる諸先生方の中から、ボクの塾が提案する内容の授業が出るとこになりました。10月にはその第1回「マルコポーロの東方見聞録(貴重な実物本)」を見せていただきながら、原文のことばをみんなで読んでみました。第2回目は12月14日で「漢字の誕生とその変遷」をテーマに授業をします。白川静先生の講義をボクは遂に参加できなかったことが生涯の悔いになっています。なので、どうしてもその後を知りたい、とのボクの個人的な要求から生まれたのが「ことばの塾と東洋文庫の共同ゼミ」です。
ただ、平凡社出版の「東洋文庫シリーズ」とは、無関係なので。ボクも「平凡社の東洋文庫会員」ですが、「東洋文庫アカデミア」とは全く別のですので、くれぐれも間違えないように、ね。
と、まずは文章だけ。写真は後ほど。
…まさみ…
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ユーガットメール#13 満員御礼!
http://masami55.exblog.jp/22329306/
2014-08-25T13:29:00+09:00
2014-08-25T16:03:38+09:00
2014-08-25T13:29:30+09:00
masami-ny55
日記
「手紙の舞台」をはじめて12年間、この夏で13通目をお届けできました。
ご来場いただけた皆様には、いかがでしたでしょうか?
この夏は、夏目漱石先生の「坊っちゃん」を題材にしての音楽劇。
題して「坊っちゃんからの手紙」です。
さて、今回の自己評価はというと…正直、あまりよい点数は出せないのです。
40点
どんなにひいき目に見ても自分ではこの程度だったということです…。
原因は台本が即席だったから、十分な読み返しが出来なかったこと。
これが、ちと、癪に障るのですよ…ハイ。
ここをこういう台詞にすればよかったのに、とか…後悔する箇所が目立ったことですね。
病院生活が長かったから、思い通りことが運ばなかった。なんとなく、いらいらしながら書いていたので、満足感やボク独特の「自分でも笑っちゃう」ことが一切なかった。しかも、入院していたから資料も十分に読めないのですよ。なので、想像の世界が膨らんでこない。まあ、これも言い訳。
こんなことを言っているのだから、よい点数は出ないのも無理はないでしょ…ねッ。
夏目漱石の世界はどちらかというと、ボクには得意としていない世界なのですよ。そのうえ、夏目漱石って日本人のほとんどが知っている超有名作家でしょう。「漱石マニア」もたくさんいると聞いておりますし…。
こうした超有名人を題材にするのは、ボク、昔から気が乗らないのですよ、ね。
でも、去年「やってみる」って言っちゃったし…。
ボクにとって漱石先生って、典型的な「優等生の世界」との印象が子供の頃から強すぎまして、取っつきにくいのです。小学生の頃、学級委員をしている育ちのいい少年がいましたが、将にそれ。勉強の成績はいいし、運動もまずまず…という優等生って皆さんも子供時分に見かけませんでしたか?
そんな感じが、ボクの漱石観なのです。
かと言って、どうあれ漱石の周辺を台本にするのですから、久々に江藤 淳 先生の「漱石とその時代」(新潮選書)の5部作を買い込んで目を通してみました。これがまた、大いに役立っちゃって…漱石の「アンチョコ」みたいでした、ハイ。(「アンチョコ」って、ご存じ?)
本当は、真之と子規の関係をもっともっと描きたかったのですが、なにせこの舞台は「ファミリーコンサート」なので、あそこまでが限界でしょう、ハイ…。あれ以上書くのなら、最低あと1時間の芝居場面が必要だし、テーマが、ちと、重たくなります。「ファミコン」って訳にはいきません。本格的な舞台になっちゃう。
とかなんとか、なにかと自分で制限をかけながら創った台本なので、なかなか書いていて、日々満足できなかったのですよ。
得意の世界を書くのだったらもっと書きようがあるのだろうけれど…。
ただひとつ、今までとは違ったことがありました。
それは「手紙」です。
今回も古い友だちから「よかったなあ…いつもいつも感心させられるよ、あの手紙には」と、いってもらえましたが、「手紙の中身」が例年とは違っていました。
過去の舞台で使った「手紙」は、全部ボクの創作の世界なのですが、今回はそうはいきませんでした。実在する夏目漱石、正岡子規、秋山真之、滝廉太郎…ですので、彼らが実際に書いた手紙が残されています。漱石全集にせよ、子規全集でも、日本音楽史などでも、彼らが残したその「手紙」の朗読を、柳沢三千代さんがやってくれたのです!
彼女は、稽古中、雨宮さんのピアノ演奏でのBGMの指定は、ご自分の判断でやっていましたし、衣装もなるべく「オンナ」が出ないようにしようとの意図で、なんども稽古場でボクと相談しました。
とくに、漱石の長文の手紙はなんどもなんども繰り返して、発音のチェックをしていました…。あんなに熱を込めた稽古を見るのは、ボクは初めてでしたね。
ところで、出演者たちの「手紙」に「歌」、そして「お芝居」には、よい点数をいただけた、と思ってますが…どうでしょう。
お客様からの声が届くたびに、うれしい評価のことばが続く。ありがたい。
水野さんはわずか3日間で仕上げてもらった。さすが、です。
秋山真之と正岡子規の場面は、ふたりには得意の「歌」をさせずに、「芝居」だけにしました。
むしろ、それでよかった、とボクは思っています。
ボクのこだわりである、「ナマ音」「ナマ声」を理解してくれる雨宮バンドとももうかれこれ、4年のつきあいになりました。ドラムの松田君は現在はボストンのバークレーで音楽の勉強中ですが、この公演だけは「参加しますからね」と、自分でも楽しみにしているようです…。
…とにかく、ここで13回目が無事に終了。
3公演では、古い友だちが来てくれたり、新潟や広島などの遠方から足を運んでくださったり…ありがたい。「元気をもらった!」とか「懐かしい歌がよかったよ!」とか、特定の役者さんを「好評」してくださる方もおられました…。新人のソプラノ、茂木さんと宮ヶ原さん、ありがとう!
拍手!
さて、また続きますからね。
そうそう、そうでした。今回、新しい記録が出ました! お教えします!
観客数がいままでの「ユーガット」史上、最高の席数になりました。ボランティアの方々はじめ、出演者たちもがんばってくださったおかげです…。
来年は、芥川賞作家・由起しげ子原作「女中っ子」を題材にした舞台を書きますが、なんだあ、再演かあ、などと軽々しく言わないでほしい。今度こそ、日本劇作家協会会員に恥じない台本を皆様に提供するとともに、自分でも満足できる舞台に仕上げて、皆様と再びお目にかかりましょう!
…まさみ…
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まるで「同窓会」です
http://masami55.exblog.jp/22239971/
2014-07-28T10:58:00+09:00
2014-07-28T14:03:13+09:00
2014-07-28T10:59:18+09:00
masami-ny55
日記
だから、友達は常連のお客様になって、家族連れで劇滋養に足を運んでくれます。ありがたいことです…。
まだ台本が完成していないのに、劇中使う「音楽」の稽古は始まっています。ボクの舞台創りの最大の特徴は、台本が完成していなくても、まずは「ハーモニー」を先に創っておくようにしてあることです。これを始めておくと、新しく仲間になった俳優さんもみんなとすぐに打ち解けてくれます。チームワークが出来上がっていくからです。
さてさて。
今年はいろいろとありました。ボクが大病になったことで、昔の仲間がお茶の水の病院まで、たくさんお見舞いに来てくれました。その仲間たちが、この舞台を見に来てくれる、との報告も聞きました。
うれしくなっちゃった、ですよ。
和田清ちゃんが妹さんとワカツキさんも誘って来てくれるそうです。NHK教育番組のディレクターのリカちゃんも、北海道からは元看護婦のハマイチさんも…。まあまあ、なんだかどっかの学校の「同窓会」的雰囲気になってきましたぞ。
昔、7リーダーズという授業のクラスがありましたが、このクラスは全員がお茶の水まで来てくれましたし、この舞台にもきてくれるそうです…。
…
もらった命、とか、拾った命、とか、人はそんな言い方をするときがありますが、ボクにはそういう言い方が実によく実感出来ます。一旦は諦めたこの命だったのに、なにかが巡り巡って、命がここに戻ってきた…。いや、まったく新しい生命がここに…。
ボクはこの新しいなった命を使って、旅に出ることにします。
新しい人たちとの出逢いを求めて…。そういう「夢」を抱く人たちとともの旅をしていきます。
いい人生を生きるために…ね。
…まさみ…
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生きて…出逢って…人を想う
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2014-07-11T22:43:00+09:00
2014-07-11T22:46:12+09:00
2014-07-11T22:43:32+09:00
masami-ny55
日記
ガン治療の世界的進歩をここで論じて、その恩恵にあずかるボクたちをよろこぶことは簡単にできる。人とのかかわりに感謝することも出来る。
病室の大きな窓際にボクのベッドはある。ここは15階、東京が遠望できる。ボクのふるさと・東京が眼下に広がる…。
ボクは、自分の目でそれが見える、いま。
ボクがこんな病気になってから、旧友と再会が増えた。再会して、また学生時代のように話がはずみ、何か又創ろうよ、となる。
突然ボクの前に現れた「子規」の俳句と和歌…。なんでいまボクは「子規」と話をしなければならないのか…。
愛だの恋だのとは無縁のものがりを書いてきたけれど、小説三昧の青春は所詮「ラブのお話」ばかりだった。
「子規」はご承知の通り 命を賭けるものがあった。「俳句」と「和歌」である。まさに、子規はこれに命がけだった。子規がいなかったら、現在の日本で俳句と和歌は埋もれたままだったかも…。
つまりボクは子規を文学者だとはおもえなかったのである。別格の文人。
明治の若者・子規は「素直さ」と「不器用さ」がある。これはいかなる日本の文人はこの資質に勝る人はいないとボクは想う…。
ま、とにかくいまになって避けていた人がボクの真ん前にどかんと坐り込んでしまった。
漱石の「坊っちゃん」を題材に台本を書くはずが、子規が出て来たのでとんだ大騒動の台本になりそう…。
創作が変われば、ボクの生き方も変わる。
人を想う…とは、なんという幸せ感であることか! と。連日病室には友達が立ち寄ってくれる。田舎の友達は電話で「そろそろ好物の巨峰でも送りましょうか?」という。イギリスから戻った友は、例の「高級蜂密の瓶詰め」持参で「わ~~っ! 元気元気! お肌つやつやじゃないですか!」
千葉県の役人さんはガラに似合わずいつも上手そうな焼き菓子を持ってくる。「はい、これ。食べて下さい」静岡の銀行員からは「新茶」が届く。「冷やしてみて…」だって!埼玉の国語の先生はさすがにボクの好みを御存知。「退院したら、浅草のむぎとろ、届きますからお腹いっぱいにしてくださいよ!」とのこと。芸能生活55年の俳優は「ポールスチュワートのパジャマ」。松方弘樹さんが入院するんじゃないのに…ね。笑顔を届けてくれたのは千葉の友達。「元気な姿を見たからそれで十分!」 そうです、この「ことば」がなによりのプレゼント。
人が人を想う光景…。ボクは子供の頃からそれが大好き。
はがきでも、便せんでも、相手を想う…いたずらっぽい、けど。
人は友だちなど居なくても独りでも生きていける。人と関わるめんどくささがない、勝手に生きられる、と。それも正論なんだろうけど、でも、ボクにはそれが出来ない。…出来ない。
ここ順天堂病院でも、日本でも超有名な川崎先生が直に執刀して下さったが、「マサガズさん」と灘名をつけた。そう、田村正和バリのいい男なのである! それに、クマゴロウ先生…などなど。
生きて、出逢って、人を想う…。
ボクの命は、いままで知らなかった人との出逢いがなくては、いま生きてはいない。
生き続けてみようと想う…。
…まさみ…
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闘い!
http://masami55.exblog.jp/22192492/
2014-07-11T21:24:03+09:00
2014-07-11T21:24:07+09:00
2014-07-11T21:24:07+09:00
masami-ny55
日記
「1階には山の上ホテルレストランがはっているぞ! さすが順天堂医院だ! 」
と、入院開始と同時にさんざんメニューを撃破していく…。
「お昼? さっき下のレストランで済ませたからいいやぁ~」
と、病棟にいる看護婦さんに余裕の報告などが続く…。明らかに不良患者になり下がっていた。
ただし、これだけは地獄のトレーニングになった。それは、午後9時消灯、の絶対ルールである。
なにせ病院とは健康第一を旨としている場所。消灯は午後9時と世界の常識だ。
寝付かれないから…といって薄暗くなった病棟の廊下をほっつき歩くわけにも行かない。ボクにとって、「健康第一主義」の場所は、子供の頃から苦手。薄暗い映画館で育った身にはここは将に拷問だった。王子病院も消灯時間は同じだが、あのときは腸内に付着、たまった便を出すという作業があったから自然に眠りに落ちていたが、今回は本人「病気の自覚」がまったくない。
さてさて。
「今回は拷問だった…」などと、不謹慎な余裕をみせていたのだが…。
いよいよ、時来る。
6月30日、午前8:30、ベッドを離れて2階の手術室に!
思わず「わっ!」と、驚嘆の声。なんつーか、ですよ…スピルバーグ監督の「未知との遭遇」のシーンを思い出す大円形のスペースの中央に向って、それを囲む四方八方並びに上下から、クリスタルブルーの光線が照らしているのです。その中央にボクのベッドは運ばれたのです…。
「では、背中に…」
と、記憶はここまで。麻酔薬で、全身麻酔。すぐ、てした。気絶、です。
まあ、王子病院の手術と変わりません…。
遠くの方で、ボクの名を呼んでいる人がいる…。
その声で記憶が自分に戻った。気がついたら今度は同じ大円形だが、光は普通の色です。どうやら、こんばんはこの中で眠るようです…。
8時間は手術をしたようでした。
翌朝、7月1日。病棟に戻る。
この日を境にして、ボクの闘いが始まりました…。
…まさみ…
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浪 静か…
http://masami55.exblog.jp/22154955/
2014-06-29T12:39:00+09:00
2014-07-11T12:36:18+09:00
2014-06-29T12:39:12+09:00
masami-ny55
日記
敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ
聯合艦隊ハ直チニ出動 コレヲ撃滅セントス。
本日 天気晴朗ナレドモ 浪高シ
と、冷静に的確にこれからの行動を報告したが…。
真之は勝利は不可能とされた日本海海戦において、圧勝して、生きて返ってきた。
親友の子規はその年にはすでにいない…。
いよいよ、ボクの決戦日が決定!
明日、月曜日早朝7:00病室で検査。8:30手術室にて「肝臓がん」摘出手術。45%を摘出するとの報告だが、その戦いの中で「敵・がん」を新たに発見次第これを撃滅せんとの作戦はすでに聞く。
今日、さらに「新たなる敵」を発見との報告も聞く。それは、胆嚢(たんのう)に、胆石が多数あり、とのこと。医師によれば「不幸中の幸い。万が一にもこの中の胆石が胆嚢の管にこぼれていたとしたら…大変なことになっていた」と。
そして、医師は力強くボクに宣言する。
「ついでです、胆嚢も削除します!」との、頼もしき報告。
「撃滅! 存分に!」と、答えようとしたが、チャンバラごっこみたいになるので、
「お願い致チます」と、少年のようにさわやかでどこか恥ずかしさを残して、軽く会釈しながらそう応えた。満点の返事のしかただろう。
まさしく、我の身体は、刻一刻と、戦いを続けるほどに「新身体」になっていく…ぞぉ。
明日の月曜日、集中治療室なる部屋で独り、一夜を明かすとのこと。寂しさを感じたら、生きている証。
だが、戦いは明日で終わるのでない。その後の戦いこそ、「生きるすべての戦い」なのだ!
食する、排出、呼吸、血液の流れ、心拍数、白血球の値、視力、聴力、身体の運動などなど…その後の戦いは枚挙にいとまがない。
「しばらくは、なんらかの点滴が身体に付いているので、その間当分はこちらの指示通りに…」
と、春日局みたいなことを平気で言うここの看護婦ちゃん。その出で立ちは、ピンク…。なぜか、全員が容姿端麗…揃い! この辺がここ順天堂病院の人気の原因なのか…「鶴の恩返し」の「鶴」みたいな、きれいだけど影がありそう…消極的っぽい、みたいな人はいない。実に、おやさしい…のよ。
そのうちの何人かのご婦人にはすでに、「付け届け」は、すませた。そこはぬかりない。
削除しても臓器の切れ口から「毒の液体」が流れ出る由。これをクダをつけて体外に放出する。
傷が凄い。
ミゾうちからおへそまで垂直に30センチ、そこから直角に右に30センチ斬る。
そして、肋骨の下にある肝臓のバイキンたちを我ら順天堂病院の外科医チームが全軍でこれを叩く。総指揮官は、膵臓外科では天下にその名を轟かせておられる…なんだっけ、ホラ…川崎先生でしょ!…が、自らボクの戦いに参戦してくださる。と、本日、確認する。
なんと、川崎先生がお一人で、ボクのベッドに朝方来られて、
「では、明日…」
「ハイ、よろしく…」
挨拶こそ短いが、このことばに両人の決意が込められていた。
体内に潜むすべての「バイキン」を叩く。撃滅せんとす!
もし、勝っていたら…
ボクの指が今のような動作が出来るのなら…
来週の金曜日には…再びこのブログに新たなる記事が載ることだろう…。
…まさみ…]]>
友達からの便り
http://masami55.exblog.jp/22144693/
2014-06-25T22:07:00+09:00
2014-06-26T19:32:14+09:00
2014-06-25T22:07:15+09:00
masami-ny55
日記
マキちゃんが今日、突然「(奥さんの)妙子も一緒に窺います」と言ってきたから楽しみに待っていた。そう思っていたら、おやおや懐かしいご主人・ラッセルも一緒。うれしい再会だ。
うれしくなった…。
羊羹とクッキーを頂いた。なんでも、サンフランシスコのの郊外に建てたプール付きの我が家は、無事に完成したようだが、日本で仕事をすることにしたので、住まないまま、売りに出したそうだ。
くやしいから、見ない…!
あらあら…。
日本での仕事は最低三年間になる、と言う…。
元気そう!
と、言ってくれる。なによりも、うれしいことばだ。
言われた分だけ、ボクはまた「元気」になってしまう…。
頑張って!
と、ラッセル夫婦は帰り際にそう言ってくれた。
ああ、頑張るよ! と、ボクは言う。
友達は、何年経っても、そして、太平洋を挟んた遠い国に住んでいても、5年ぶりに会おうとも、友達感覚は薄らぐことはない。
本日、ついに手術の日が言い渡された…。
そして明日もまた今日以上の検査が午前から始まる…
いま、岡田君が電話をくれた。明日、検査が済んだ午後に来る。きっと明日は舞台の話になる…。
ここは都内でも有名な病院で、まわりはボクと同じ「がん患者」だけ。
こんな場所にいると、ついつい子規を想う…。
ボクが子規の名前を口にするとは、学生時代の自分には想いもしなかったことだ。あの頃は、「愛」だの、「情熱」だのと騒いでいただけだったから。それだけボクも、歳を重ね、生きること自体がすばらしいことを知る。親が他界し、友が他界した…このボクの現実の人生のなかで。
子規の交友録がボクにはおもしろく感じる。夏目漱石も「漱石」とのペンネームは子規から貰った。
子規と漱石といえば…、ボクは勝手に歴史を見ているけれど、漱石にとって子規は「命の恩人」だと想う。もっとも、漱石自身がそう思っているかは別だが…。もし、子規が死んだ後にしても「ホトトギス」が廃刊になっていたら、「吾輩は猫である」はこの世に生まれていなかったかも知れない…。
子規は漱石の文才を一番始めに見抜いた人ではなかったろうか…と、ボクは想っている。
子規が漱石に手紙を送っているが、その手紙を漱石は子規の死後10年も放置して、ようやく表具屋に、懸物にしてもらっている。
そこには、
東菊 活けて置きけり 火の国に 住みける君の 帰り来るがね
の、一句と「画」が描かれてあった。
描かれた「画」の論評をくどくどしく綴る…。明治45年、と言えば漱石はすでに世間から大文豪、の肩書きを頂いていたことだろう。子規と出逢った頃のような貧弱さもひ弱さも癒えて、堂々とした感じになっていただろう…。
ボクは想う、このくどくどしい論評に、どこか漱石の「あわれさ」を感じる。子規の創作力には到底自分は及ばない、という自覚を見抜かれまいとする「現世・東大坊っちゃん」によく似ていた強がりに感じる。漱石が手にしているその手紙に書かれた「和歌」と「画」は、子規がこの世に残した「写実」である。「写実」を言い始めた人は、明治の若者・子規だったし、実践してのもまた、子規自身である。おそらく子規にとっては「愛」だの「恋」だの…は、写実の世界から離れた「飾り物」であったに違いない…。
愛と慈悲は違いすぎる…。
「のぼる、ありがとう」「忘れてたけど、飾ることにしたよ」
と、素直に書けばいいのに…とボクは想う。
子規の前に、漱石が百万いても、子規独りの「光」にはかなうまい。
子規の前に、与謝野晶子たちが百万群がろうとも、子規の「美」にはかなうまい。
子規の前にいるのは、子規の「友」である真之と妹・律が居る…
…まさみ…]]>
子規と律さん
http://masami55.exblog.jp/22141238/
2014-06-24T21:19:00+09:00
2014-06-24T21:44:06+09:00
2014-06-24T21:19:39+09:00
masami-ny55
日記
人が生きるとはどんな姿か…を、これほど真正面から実践した人はいない。それをありのまま書き残した人もまた、いない。
ボクにとっての子規は、避けてきた人、だった。青春真っ只中の頃。もっとも無知で自意識過剰時代、青春…。その頃はだいたいの若者は異性がどうこうした、なんて物語を実践してしまう。愛こそすべて、みたいな勘違いの生き方を「善し」と思いがちだ…。なので、病気と闘った文人の書には、さほど魅力すら感じなかったし、じつは怖かった。うかつに「命」を論じる知恵もない…。
しかし、人生の歳を重ねたいま、子規はボクにとって「生きる豪傑」「生きる教師」「生きる手本」です。子規の前では、史上のいかなる豪傑、武将でもひれ伏すしかない。これほど生きる力を見せつけてくれた人は後にも先にも子規ひとりだけだ。子規の書き残したモノは、文芸作品などと曖昧な言い方では位置づけられない。ズバリ、生きる教材、だろう。男気、希望、友情、夢、旅、出逢いと別れ、希望と絶望、歓喜と落胆…すべて色濃く描いたし、また子規は事実、そう生き抜いた。
日本がまだ近代国家としては若かった頃。明治のはじめ、数多くの武人、文人が出たが、ボクにとって、子規はその中でもっとも輝いてみえる。
子規はその生涯で、いちども変えることがなかった志が、あの「写実」である。いやいや、そもそも「写実」とはなにか、を創り、完成させた人だ。現実をあるがまま受容する、ということ。わかるようだが実際は、なかなか難しい。だから習得するのに、時間がかかる。とくに、自分を知識階級と思っている人たちには、とくにそのようである。
子規にとっての観察とは、写実を作り出す手段だった。
目の前にある現実を、あるがまま写し取る…。痛みも、力も、叫びも、悔しさも、喜びも…色も形も、味も香りも…生きているこの世界をすべて、受け入れる。そこには、是非もなく、勝ち負けもなく、支配欲も所有欲もない…。そこにある全部を受け取る。まるで、飛んできた球をそのままキャッチするかのように。
自分の身体が自分では動かせけない床の上の世界が、子規のすべての世界だった。
ちっちゃな布団、そして愛用の地球儀…。
ボクは生きるために、いまこの病院にいる。
退屈する贅沢がある。子規の生き様と比べたら、ボクのがん病など、取るに足りぬだろう。なんとでもせい、と言う子規の声が聞こえてきそうだ…。
あれだけの病状でありながら、あれだけ自由を謳歌できたのには、訳がある、というのがボクの言い分だ。子規が生涯、あんなにも自由で生き続けられたのは、妹・律のおかげである。これだけは、間違いない、とボクは思う。だから、ボクは律さんが大好きだ。
あんな凄い妹をさずかった子規兄ちゃんがボクは、うらやましい…。できることなら、ボクはこのいまの世で「律」に会いたい。
…律。とってもとっても、不思議な女性、律さん。
子規が生きた時代には、まだペニシリンという特効薬がなかった時代だったから、子規の身体は結核菌に犯され、首、腹、尻などから膿が皮膚を切り裂き、破裂して穴が空いた。痛い、という範囲はもうとっくに超えている。その痛みから子規は、無念さと、悔しさ…あらやる「毒」を体験したむことだろう。
子規は痛みを我慢なんかしなかった。怒鳴り声を上げてうめき、叫んだ。痛みがないとき、俳句と写実画に没頭している…。そして、35歳の若さで世を去ってしまった…。
親友の秋山真之も、49歳の若さで他界した。原因は、盲腸炎である。
結核、盲腸炎…。もし、現代だったらこんなもの、木っ端微塵に粉砕してやる!
それがボクは悔しい…。不治の病、も、時が過ぎれば危険ランクの病から、快復できる病気にランクが下がる。このボクの「がん」もしかり、だ。
子規が居なくなって、漱石が居なくなって、真之が居なくなって、日本はあの頃よりも本当に「豊か」になったのだろうか…。医学は進歩し、明治の頃より人の命が延びている。人はあの若き時代・明治の頃に比べれば、戦さ場に送られることはないし、難病と闘う人々も激減した。
だが、現代日本には「子規」が居ないし、「真之」も「漱石」も居ない。
まして、ボクがあこがれる人・「律さん」の影は、もうどこにも見当たらない。探しようもない…。
あの時代よりも、ボクの生きている時代では、人は生きている時間が長い。
でも、明治の若者たちが命を賭けてまで望んだ「豊かな国」になっているのか…
戦いのない、だれもが「自由」を謳歌する「平らな世界」になったのか…。
律さん、まだまだボクは生きてみますので、頑張れ、と声を掛け続けて下さいね。
…まさみ…
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明治の青春とボクたちの青春
http://masami55.exblog.jp/22124075/
2014-06-19T03:44:00+09:00
2014-06-19T20:08:41+09:00
2014-06-19T03:43:47+09:00
masami-ny55
日記
まるで、旅順攻囲戦にでも参戦するかのように仰々しい。
戦闘服、と言って手渡してくれたけれど、中身は「パジャマ」。要は、「肝臓がん」の手術を無事に終わらせて、元気で戻ってきてくださいよ、ということなのです。
こんな芝居じみた事をしたのは、旧友の小倉一郎君です。
小倉君といえば、テレビドラマ「俺たちの朝」で多くの人たちに知られていますが、彼の代表作のほとんどは映画です。
市川崑監督の「股旅」、吾輩は猫である(1975年、東宝)、真田幸村の謀略(1979年、東映)、天城越え(1983年、松竹)など数多いけれど、ボクはなんといっても、深作欣二監督作品の「仁義なき戦い- 頂上作戦」(1974年、東映)をあげます…。
小倉君は、青春ドラマの名脇役として未だに多くの人たちに記憶されていますが、本来は映画人なのです。
そんな彼とはもう、ん10年のつきあいになりました。
ボクがまだ学生時代、いまの朝日テレビ(旧NET)でFDのバイトをしていたときに出逢ったのが小倉君だった。彼はまだあの頃、高校生だった…。ボクが芸術学部だと知ると、彼は妙にボクになついた。そのはずで、芸術学部の附属高校に江古田高校があり、そこの学生が小倉君だった。ところが、例の全共闘時代だったので、学園紛争に巻き込まれて江古田高校は廃校になった…。先輩として、小倉君たちにはなんと謝罪したらいいのか…、というボクの青春があるけれど、小倉君はそんなボクの青春時代の2分の1程度は知っているはず。それほどあの頃は仲間たちと様々なことをしていた…。
お金がなかったけれど、大学の機材である18ミリカメラ撮影機で映画を創った。スタジオはすべて学校の設備だ。音響は放送学科の仲間で、音楽はもちろん音楽学科の演奏家たちだった…。
芝居はシェイクスピアの戯曲ばかり狙い撃ちして演出したり…。お金がなかったから食事はせず、100円玉があれば文芸座で映画が見られた…。
バイト料が入ると、みんなで食事に行って騒ぐ。渋谷の自宅には戻らず、オナゴと生活をしていたし…。とにかく、なにをしていたのか、思い返すとゾッとする。世間知らずの青年がただただ懸命に生きた…。人はああいう生活を、きっと、青春、と呼んでくれるのだろうけれど、当事者は心の底から恥ずかしさでいっぱいだ…。
小倉君の事務所でラジオ台本を書く。 自分の台本がラジオ放送されると、おもしろかったけれどそれ以上の感動はわいてこなかった…。
オナゴはボクになにも言わず出て行った。バイト先はテレビ局から撮影所に変わっていた頃だ。そのバイト先にオナゴから厚ぼったい封書が届く…。要するに、さようなら、と書きたかったのだろう…。オナゴはボクとは別れて、サラリーマン編集者と結婚したという。けれど、最近知ったのだが、彼女は「食道がん」で他界した…との報告を聞いた。
若いときからそうだが、ボクは最後の大事な場面になると必ずフられるようになっている。二股を掛けられて、ボクはオナゴから選ばれたためしがなかった…。武蔵美のオナゴも言っていた。その頃のボクは「まさみって友達としては世界一だけど、恋人となると最悪だよね」と。実に明確に言われた。それは、小倉君も知っているし、ボクと一緒にいたあの頃の仲間は全員が知っている…。
フられるたびに、「またですか…」と、呆れられた。
そして、ボクはこんな青春から這い出るつもりで、新聞記者になろうと思った…。
独りよがりの生き方をやめて、世間とともに生きようとおもった。知らない世間を知りたいとも思ったし、知らない人たちと出来るだけ多く出逢いたいとも願った…。いつもいつもおんなじ仲間と、おんなじ話ばかり繰り返している生活をしても自分の成長はないと、はっきりと感じた…。新聞記者ならそれが出来る! と…。
記者生活を始めてから、青春時代の仲間たちとはすっかり縁が切れたようになってしまった。演劇も音楽もなくなって、映画を見る程度になってしまった。渋谷の繁華街から、夜の蝶々が飛び交う銀座に通うことになる…。
あれから…ん10年も経った。ボクが「がん」になったとたん、旧友たちが集まってきた。また、何かを始めたがっているような「殺気」さえ感じてしまう…。相も変わらずみんな、若い。
小倉君はボクの脚本・演出の「ユーガットメール」を知って、「出る!」と言う。
「よし! どんな役でもいいよなッ」と、念を押しておいた。
「坊っちゃんからの手紙」である。
正岡子規と妹・律、その親友が秋山真之。上京して夏目漱石と出会う。10歳年下に与謝野晶子がいた…。全員が明治の「坊っちゃん」であったし、「お嬢様」だった。
写実を俳句に反映させた子規…。思いつくままに…。
柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺
稲の秋 命拾うて もどりけり
君を送りて 思うことあり 蚊帳に泣く
暑い日は 思ひ出せよ ふじの山
懸命に生きた明治の青春群像を、ボクはこの度「描く」ことにしました。
オノコたちとオナゴたちの、痛々しいほど透き通った交友をボクは「明治の歌」と「俳句と和歌」と、そして、いつもの「手紙」で創り出してみますね。
病院で書いているかも…ね。
みんな、見に来てください。ボクの青春を土台にして、明治の若者たちを「描いて」みますから。
小倉君がどんな役を演じるのか…お楽しみに、ね。岡田君との共演があるし、それにほら、そう、恒例の三千代さんの「手紙の朗読」もあるし…。
誰がどんな役回りになっているのか…それを楽しみになさって、何卒、会場までお越し下さいませ。
…まさみ…
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これが今度の「夏舞台」!
http://masami55.exblog.jp/22095739/
2014-06-09T19:10:00+09:00
2014-06-09T22:18:54+09:00
2014-06-09T19:10:38+09:00
masami-ny55
日記
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「犬の心臓」…
http://masami55.exblog.jp/21923194/
2014-04-24T03:42:00+09:00
2014-04-24T04:06:30+09:00
2014-04-24T03:42:40+09:00
masami-ny55
日記
「犬の心臓」を観てきました。
上野駅からほど近いマンションの地下にある小ホールで、2時間の舞台でしたが、あっという間に時は流れました…。
久々に手応えのある芝居を観てきたって実感。
脚本・演出は原田一樹さんです。
俳優座の方々がマジってのお芝居を観るのは…久しぶり。文学座の面々とか、劇団AUN(主宰・吉田鋼太郎さん)とかは多いのですが…。
初日と言うこともあり、まだ役者さん達の絡みが馴染んでいない感はありましたが、とっても楽しい舞台でしたね。まあ、原作・ブルガーゴフの『ロシア現代劇』と看板に掲げられると、ちと、身構える人たちもいるかも知れません。でも、これは…日本で言えば、漱石の「猫」的であり、中島敦の「山月記」的なお話しとにてます…と、言っておいた方が取っつきやすいでしょう。
注文があるとしたら、もっと笑わせて欲しかったなあ…。
ちと、身構えて演じていた感が最後まで続いていたようです。カーテンコールも、あんな難しい表情をしたままなら、つまり、演技のままで登場するなら、カーテンコールはしなくていいかも…。「小難しい芝居です」なんて、前面に押し出す必要なんてないとボクは思いますが、いかがなものでしょうか。
というのも、今回の舞台は「本邦初」とも言っていいほど、珍しい舞台です。
かといって、「ソ連時代には、絶対に原作の発行は許されなかったという逸話を持つ作品」という側面を臭わす必要なんてない、とボクは言います。日本でも、こういうお芝居がもっと大衆的に広がっていいと思うからです。難しくしたがるのが、戦後の演劇傾向なので、なかなか気軽に芝居見物ってわけにはいかない…と、ならないようにしないと、ね。
漱石の「猫」も「坊ちゃん」も所詮、大衆小説です。
でも、「よく読んでいくと…いろいろと…」という読後感を小難しく掲げると、いらぬ力が漂って、その余分な力が舞台から観客に感染して、観客達の微笑みと楽しさを消していきますね。このお話は、喜劇なのですが、こういう演出をしたかったのかな…とさえ思えてきますが…。
いずれにせよ、この舞台は一見の価値は十分ありますし、そもそも飽きずに最後まで「で、で、で、どうなのよぉ?」と自分なりに展開予想を立てながらお芝居を観られます。
吉野悠我さんが問題の「犬」役! おかしい~ッ。餌をあげたくなりましたワン。
ポリメンターリ医師役の志村史人さん、ジーナ役の安藤みどりさん、そして気になった役者さんがフョードル役の森下高志さん…。
ボクはとってもこの舞台が気に入ったので、楽日もみんなで見に行こうと思って、予約しちゃいました!
中島敦「山月記」や「悟浄歎異―沙門悟浄の手記―」は、青春の文学街道ではだれもが通る標識です。梶井の「檸檬」にしても、牧野の「西瓜喰ふ人」「地球儀」などもそうだが現実生活の中に突然、異物が飛び込んだら…、異物を発見したら…。今回の舞台もそんな青春の名残りさえ蘇ってきましたね…。
もう少し、ワンワン、とワラワしてほしいのです、ボクには。
ボクの好みは…ですねぇ…ジェーン オースティン「高慢と偏見」で~す。そう、現代的に言えば「ラブコメ」なんです。
ちと、昔ならトムとメグの「ユーガットメール」でしょ、もっと昔ならジャック レモンとシャーリー マックレーンの「アパートの鍵貸します」とか…。
ああいうお話が好きです。ハッピーエンド…です!
あとは、日本の時代劇…これはもうあきらめてます。だって、いま例えば「七人の侍」のキャスティングができます? ね、誰もいないでしょ! ちと、いやみったらしいのでこの辺で…と、思いましたが、「ジャック レモン」で思い出しました。この役者さんは優等生的雰囲気ではない。ただ、どことなく若い頃から「男の哀愁」「やさしさ」「せつなさ」を感じさせる役者さんでしたが、いまその残像を、吉野悠我さんに感じています。
…まさみ…
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