ポルトガルの洗濯女
秋葉原に行ったのは、シャンソンのCDを購入するためです。
演歌に比べると、シャンソンやラテン音楽は日本ではさほどの広がりはありません。
こういう音楽を好む人を「愛好家」とか「専門家」と呼び、少数派と見なしてしまいがちです。
案の定、これほど広々した秋葉原の各有名店でさえ、
「シャンソンですか? この棚にあるだけですが…」と、恐縮顔。
2時間も歩き回ったけれど、結局お目当てのCDは1枚も見つからなかったのです。
CD/DVDソフトの品数では秋葉原トップの石丸電気でさえ、「その類の商品は、在庫がありませんので、お取り寄せになりますが」と、さみしい返事でした。
せっかく時間を割いて来たのだから、このまま手ぶらで帰る気になれず、取り寄せてもらうことにして…
「それなら、中原美沙緒を…」
「ナカハラ…なんですか、下の名前は? …ミサオですね。男性歌手の」
「いや、女の人だけど…」
「どんな字を書くのかわかりませんから、この注文書にご記入いただけますか」
ハイ、ハイ…。
日本を代表するシャンソン歌手の名前を、売り場の男性店員は知らなかった。
石丸電気の店員さんは、実に音楽をよく知っている。彼との付き合いはすでに十年以上。
ときどき、音楽知識のないボクに的確に選曲してくれたりもする。とくに、クラシックと現代音楽には評論家なみの知識で教えてくれることだって、あったほどですから。
その彼にして、「中原美沙緒」を知らなかった…。
「いまどき、シャンソンを買う人は滅多にいませんよ」
ボクにとって、中原美沙緒は「あこがれ」の女性でした。
透明感のある彼女の歌声は、一度聞いただけでボクの耳から消えることなく、残ってしまったのです…そして、風変わりな歌詞「ペタ ペタ ペタ」と、軽快なリズム。でも、あの頃のボクはその歌がどんな意味なのかは、わかっていませんでした。
ボクはあの頃、渋谷の悪ガキ。自転車で多摩川まで行っても、帰り道がわからなくなって、お巡りさんに叱られたり… 舗道に蝋石でいたずら書きを残したままにしたり… 子供たちと行ったお風呂屋さんで桶を湯船に投げ込んで、知らないおじさんに殴られたり… メンコとビー玉の数を競い合っては喜んでいたり…
日曜日は東映。チャンバラ大好き。帰ってくると、近所のガキどもと、さっそくチャンバラ。
錦之介の真似です。
そんなガキだったボクがはじめて、大人の女性を感じた人…中原美沙緒。
テレビに写った中原美沙緒は細身でドレスがよく似合い、その歌声同様、透き通ったまなざしでした。当時では珍しい短い髪型も、ボクには美しく見えたのです。
母の作ってくれたズボンを泥だらけになるまで遊び回って、擦り傷だの切り傷が絶えなかったボクにとって、彼女の歌声とその姿はあまりにも特別であり、全く別世界の人でした。
お母さんとも違うし、小学校の先生とも違っていた… 隣のケン坊のお母さんとも違うし、洋食屋ハチローの店員さんとも違っていた… 貸本屋のお姉さんとも違うし、学級の子とも違っていた…
東映のチャンバラ映画に出てくる女優さんとも、ボクには「中原美沙緒」は違った人に見えました。見たことがない、こんなに綺麗な人を。
聞き慣れない外国の言葉を歌にする人…
どこの国の人なのか…でも、日本人だし…綺麗な人は、よく見かけたけれど…こんな綺麗さはまだ見たことない…そして、こんなに澄んだ歌声は聞いたことがない…。
子供のボクには、テレビの中で歌う中原美沙緒は手の届かないずっとずっと遠くにあるひかりみたいな…そんな人に写っていました。
現実には、生涯逢うことはない。テレビのブラウン管にのみ、存在するしている人、そこに映っている人。
…中原美沙緒。
あの頃のボクはまだ小五。鼓笛隊でたて笛を担当。担当と言えば、いささか仰々しいけれど、ようするに、みんなと一緒。小太鼓やベルリラ担当の子供とは違います。彼らは音楽の先生に選ばれた人たちです。たて笛組は、そう、その他みんなとオンナジでした。
音楽教室に入っていきなり逃げ出したのは、ボク。
真っ白い石灰で固められた人の首が怖かった…。それがベートーベンであり、バッハであると知ったのは、しばらく経ってのことでした。
たて笛で、放送劇のテーマを吹く。音を確かめながら。楽しくなってきましたよ、これは。
「あら、まーちゃん、上手ねぇ」
などと褒められると、お調子に乗って次々に吹いてみせる…
たて笛がボクに音楽の世界を教えてくれました。
中学にあがって、ブラバン。トランペットです。
行進曲ばっか! しかし、ペットは花形。目立つ目立つ。
おませな先輩が「夜は恋人」を吹いた…
「ん? 聞いたことあるぞ、その曲」
中原美沙緒の歌と、ここでも出逢った…
日大芸術学部を卒業して、ボクは新聞記者になりました。
経済の担当ですから、どうしても経済大国アメリカが気になります。
結局、英語もろくろく話せもしないのに、ニューヨークと東京の往復が始まりました。
記者をする傍ら、経済ものを書く作家に。世界経済と国内経済、株式の動向に上場企業の話題を日々追いかけたものでした。
アメリカの経済政策がもたらす我が国の影響を、わかりやすく記事にもしました。
その間、十八年間。音楽と映像は、ボクとは無縁になっていたのです。
学生時代は日々、日課のように親しんでいたのに。
長い長い時間が過ぎたものです。
年が過ぎて、作家も記者も卒業したら、やっぱりボクは音楽と映像を引き戻しました。
そんなボクが、いま「コンサートの台本」を書いています…。
コンサートのタイトルは「You've got mail」。今年で、三回目を迎えます。
オペラのアリアに唱歌、流行歌にアニメソング、そしてミュージカルのナンバーと様々な音楽分野の曲を柱にした構成で書いています…
「シャンソンも入れてみようか…」
高英男、そして…
「ペタ ペタ ペタ」…あの歌声は、あっ、そうそう、中原美沙緒だっけ。
欲しかったCDを秋葉原では見つけられなかったので、現代兵器PCを使って検索。
アマゾンにアクセス。
「ほら、あった!」
二枚組で3,000円しない。今日、職場に届きました。
中原美沙緒を探したら、ありましたね。
「ポルトガルの洗濯女」
職場で聞きました。彼女のあの澄んだ歌声が、職場に流れます。
「ペタ ペタ ペタ…」
そうそう、この歌声です。
懐かしく、そして気恥ずかしかったのはなぜなのか…。
彼女の歌う声と一緒にボクの昔がいま、ここにヒョッコリと現れたのです。
ボクの昔だけじゃない、渋谷の昔の街… そして、記者時代のNYの友だちの顔とNYの風景…。
懐かしさを怺えきれず、中原美沙緒は最近なにしてるんだろう…テレビには出ないし…年をとったからかなあ…彼女への関心は高まるばかりです。
よし、それなら現代兵器、PCを使って彼女を検索。そして…見た記事には。
…嘘!
すでに他界していたのです… 「再会」出来たとたん、現実は「さようなら」とは。
慌てて、他のサイトも見る…
すると、あの頃の彼女のステージ写真がありました。その写真をコピーしたのが、ここに掲載したものです。彼女は昭和三十年代、慶応大学の音楽コンサートのゲストとして数年間、歌っていたことも知りました。
会場は、文京公会堂です。
そして、ボクがこの八月に演出するコンサート「You've got mail #3」の会場は…、
文京シビックホール。
文京公会堂を新しく建て替えたホールです。
新しくなった文京ホールで、「ポルトガルの洗濯女」をボクは歌ってもらいたい。
ボクの人生で新たに出逢った女性歌手に…。
是非!
Et tape et tape 疲れて眠りゃ
Et tape et tape 恋も出来ない
Et tape et tape et tape …
…まさみ…
演歌に比べると、シャンソンやラテン音楽は日本ではさほどの広がりはありません。
こういう音楽を好む人を「愛好家」とか「専門家」と呼び、少数派と見なしてしまいがちです。
案の定、これほど広々した秋葉原の各有名店でさえ、
「シャンソンですか? この棚にあるだけですが…」と、恐縮顔。
2時間も歩き回ったけれど、結局お目当てのCDは1枚も見つからなかったのです。
CD/DVDソフトの品数では秋葉原トップの石丸電気でさえ、「その類の商品は、在庫がありませんので、お取り寄せになりますが」と、さみしい返事でした。
せっかく時間を割いて来たのだから、このまま手ぶらで帰る気になれず、取り寄せてもらうことにして…
「それなら、中原美沙緒を…」
「ナカハラ…なんですか、下の名前は? …ミサオですね。男性歌手の」
「いや、女の人だけど…」
「どんな字を書くのかわかりませんから、この注文書にご記入いただけますか」
ハイ、ハイ…。
日本を代表するシャンソン歌手の名前を、売り場の男性店員は知らなかった。
石丸電気の店員さんは、実に音楽をよく知っている。彼との付き合いはすでに十年以上。
ときどき、音楽知識のないボクに的確に選曲してくれたりもする。とくに、クラシックと現代音楽には評論家なみの知識で教えてくれることだって、あったほどですから。
その彼にして、「中原美沙緒」を知らなかった…。
「いまどき、シャンソンを買う人は滅多にいませんよ」
ボクにとって、中原美沙緒は「あこがれ」の女性でした。
透明感のある彼女の歌声は、一度聞いただけでボクの耳から消えることなく、残ってしまったのです…そして、風変わりな歌詞「ペタ ペタ ペタ」と、軽快なリズム。でも、あの頃のボクはその歌がどんな意味なのかは、わかっていませんでした。
ボクはあの頃、渋谷の悪ガキ。自転車で多摩川まで行っても、帰り道がわからなくなって、お巡りさんに叱られたり… 舗道に蝋石でいたずら書きを残したままにしたり… 子供たちと行ったお風呂屋さんで桶を湯船に投げ込んで、知らないおじさんに殴られたり… メンコとビー玉の数を競い合っては喜んでいたり…
日曜日は東映。チャンバラ大好き。帰ってくると、近所のガキどもと、さっそくチャンバラ。
錦之介の真似です。
そんなガキだったボクがはじめて、大人の女性を感じた人…中原美沙緒。
テレビに写った中原美沙緒は細身でドレスがよく似合い、その歌声同様、透き通ったまなざしでした。当時では珍しい短い髪型も、ボクには美しく見えたのです。
母の作ってくれたズボンを泥だらけになるまで遊び回って、擦り傷だの切り傷が絶えなかったボクにとって、彼女の歌声とその姿はあまりにも特別であり、全く別世界の人でした。
お母さんとも違うし、小学校の先生とも違っていた… 隣のケン坊のお母さんとも違うし、洋食屋ハチローの店員さんとも違っていた… 貸本屋のお姉さんとも違うし、学級の子とも違っていた…
東映のチャンバラ映画に出てくる女優さんとも、ボクには「中原美沙緒」は違った人に見えました。見たことがない、こんなに綺麗な人を。
聞き慣れない外国の言葉を歌にする人…
どこの国の人なのか…でも、日本人だし…綺麗な人は、よく見かけたけれど…こんな綺麗さはまだ見たことない…そして、こんなに澄んだ歌声は聞いたことがない…。
子供のボクには、テレビの中で歌う中原美沙緒は手の届かないずっとずっと遠くにあるひかりみたいな…そんな人に写っていました。
現実には、生涯逢うことはない。テレビのブラウン管にのみ、存在するしている人、そこに映っている人。
…中原美沙緒。
あの頃のボクはまだ小五。鼓笛隊でたて笛を担当。担当と言えば、いささか仰々しいけれど、ようするに、みんなと一緒。小太鼓やベルリラ担当の子供とは違います。彼らは音楽の先生に選ばれた人たちです。たて笛組は、そう、その他みんなとオンナジでした。
音楽教室に入っていきなり逃げ出したのは、ボク。
真っ白い石灰で固められた人の首が怖かった…。それがベートーベンであり、バッハであると知ったのは、しばらく経ってのことでした。
たて笛で、放送劇のテーマを吹く。音を確かめながら。楽しくなってきましたよ、これは。
「あら、まーちゃん、上手ねぇ」
などと褒められると、お調子に乗って次々に吹いてみせる…
たて笛がボクに音楽の世界を教えてくれました。
中学にあがって、ブラバン。トランペットです。
行進曲ばっか! しかし、ペットは花形。目立つ目立つ。
おませな先輩が「夜は恋人」を吹いた…
「ん? 聞いたことあるぞ、その曲」
中原美沙緒の歌と、ここでも出逢った…
日大芸術学部を卒業して、ボクは新聞記者になりました。
経済の担当ですから、どうしても経済大国アメリカが気になります。
結局、英語もろくろく話せもしないのに、ニューヨークと東京の往復が始まりました。
記者をする傍ら、経済ものを書く作家に。世界経済と国内経済、株式の動向に上場企業の話題を日々追いかけたものでした。
アメリカの経済政策がもたらす我が国の影響を、わかりやすく記事にもしました。
その間、十八年間。音楽と映像は、ボクとは無縁になっていたのです。
学生時代は日々、日課のように親しんでいたのに。
長い長い時間が過ぎたものです。
年が過ぎて、作家も記者も卒業したら、やっぱりボクは音楽と映像を引き戻しました。
そんなボクが、いま「コンサートの台本」を書いています…。
コンサートのタイトルは「You've got mail」。今年で、三回目を迎えます。
オペラのアリアに唱歌、流行歌にアニメソング、そしてミュージカルのナンバーと様々な音楽分野の曲を柱にした構成で書いています…
「シャンソンも入れてみようか…」
高英男、そして…
「ペタ ペタ ペタ」…あの歌声は、あっ、そうそう、中原美沙緒だっけ。
欲しかったCDを秋葉原では見つけられなかったので、現代兵器PCを使って検索。
アマゾンにアクセス。
「ほら、あった!」
二枚組で3,000円しない。今日、職場に届きました。
中原美沙緒を探したら、ありましたね。
「ポルトガルの洗濯女」
職場で聞きました。彼女のあの澄んだ歌声が、職場に流れます。
「ペタ ペタ ペタ…」
そうそう、この歌声です。
懐かしく、そして気恥ずかしかったのはなぜなのか…。
彼女の歌う声と一緒にボクの昔がいま、ここにヒョッコリと現れたのです。
ボクの昔だけじゃない、渋谷の昔の街… そして、記者時代のNYの友だちの顔とNYの風景…。
懐かしさを怺えきれず、中原美沙緒は最近なにしてるんだろう…テレビには出ないし…年をとったからかなあ…彼女への関心は高まるばかりです。
よし、それなら現代兵器、PCを使って彼女を検索。そして…見た記事には。
…嘘!
すでに他界していたのです… 「再会」出来たとたん、現実は「さようなら」とは。
慌てて、他のサイトも見る…
すると、あの頃の彼女のステージ写真がありました。その写真をコピーしたのが、ここに掲載したものです。彼女は昭和三十年代、慶応大学の音楽コンサートのゲストとして数年間、歌っていたことも知りました。
会場は、文京公会堂です。
そして、ボクがこの八月に演出するコンサート「You've got mail #3」の会場は…、
文京シビックホール。
文京公会堂を新しく建て替えたホールです。
新しくなった文京ホールで、「ポルトガルの洗濯女」をボクは歌ってもらいたい。
ボクの人生で新たに出逢った女性歌手に…。
是非!
Et tape et tape 疲れて眠りゃ
Et tape et tape 恋も出来ない
Et tape et tape et tape …
…まさみ…
by masami-ny55
| 2005-06-27 14:39
| 日記