お餅
アメリカに住んでいる友だち数人に、荷物を送りました。
日本の「お正月セット」やお煎餅だのといった駄菓子も詰め込みました。ボクがニューヨークにいた頃、現在のような「日本食材店」はありません。ニューヨークでさえこの有様でしたから、クリーブランドやシカゴ、デンバー、そしてニューオリンズやヒューストンで日本食ありつけるのは「稀なこと」でした。折角アメリカ暮らしをしているんだからパン食に慣れろ、と注意されても、「食の慣れ」から長期間離れるのは誰でも難しいのではないでしょうか。
ニューヨークに友だちがいますが、この友だちが数年前家族全員で初めて日本に来てくれました。その折、日本食を召し上がっていただきました。今日のニューヨークでは、日本食ブームはとっくに去って、もはや彼らの食生活に定着しています。「スシ」「テンプラ」は彼らの食文化にもマッチしたようです。このご家族も日本食は何度も食べているとのことで、大塚駅近くの大衆スシ料理店に連れて行っても「アゲダシドウフ」なんて、自分で注文するほど日本食には慣れていました。そこで、お餅を食べてもらうことにしました。すると、ご婦人は食べられません。「ぐにゃぐにゃするのが厭」だといことでした。どうやら、お餅だけはまだまだ「ニッポン人だけの味覚」なのでしょう。
ボクはお餅が大好きです。特に大好物は焼いたお餅に醤油をつけ、もう一度焼き直して海苔で巻く、あの「磯辺巻き」が大好きです。そう、4,5個程度はペロリと平らげます。きな粉をまぶして食べるアベカワも、小豆と一緒に食べるも大好きです。おともは、当然のこと、お茶です。お餅とお茶恋しさに、NYにいた頃、本気でお餅探しをしたことがありました…。
ボクにとってお餅は、「お正月」の象徴なのです。
それ以外の季節では食卓には並びませんが、この新年の時だけは家族揃って「お餅料理」を食べたものでした。子供の頃ですが、家族揃って浅草寺に行ったり、渋谷の映画帰りなどで、簡単な食堂に入りましたが、このときもボクは「お餅屋さん」に連れて行って欲しいと思っていたものでした。
現在はお餅なんていつでもどこでも見かけます。夏でもスーパーに置いてあります。そのせいか、お餅の有り難みが薄れちゃったようです。そもそも、東京では餅つきをする家を見かけることがありません。
ボクはお餅つきをさせてもらったのは、小学校6年になって、ようやくでした。小柄だったボクはそれまで、父親や職人さんがする姿を見ているだけでした。つきあがった餅を急いで台に並べて、そこで待ち受けるのは真っ白な割烹着を着た母親や職人さんの奥さんたちが、手に白い粉を付けて丸めたり、丸棒を器用に転がして四角くお餅をのばしたりしていました。
つき上がったばかりのお餅をその場で父親は納豆に絡ませて、するするとお蕎麦でも食べるように、食べていたことを覚えています。まあ、こんなに空気の汚れた都会でお餅つきをしようと考える方がおかしいですが、それにしても、都会の正月は道路が空くだけ、ってことになりましたね。
もういくつ寝ると…。
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…まさみ…
日本の「お正月セット」やお煎餅だのといった駄菓子も詰め込みました。ボクがニューヨークにいた頃、現在のような「日本食材店」はありません。ニューヨークでさえこの有様でしたから、クリーブランドやシカゴ、デンバー、そしてニューオリンズやヒューストンで日本食ありつけるのは「稀なこと」でした。折角アメリカ暮らしをしているんだからパン食に慣れろ、と注意されても、「食の慣れ」から長期間離れるのは誰でも難しいのではないでしょうか。
ニューヨークに友だちがいますが、この友だちが数年前家族全員で初めて日本に来てくれました。その折、日本食を召し上がっていただきました。今日のニューヨークでは、日本食ブームはとっくに去って、もはや彼らの食生活に定着しています。「スシ」「テンプラ」は彼らの食文化にもマッチしたようです。このご家族も日本食は何度も食べているとのことで、大塚駅近くの大衆スシ料理店に連れて行っても「アゲダシドウフ」なんて、自分で注文するほど日本食には慣れていました。そこで、お餅を食べてもらうことにしました。すると、ご婦人は食べられません。「ぐにゃぐにゃするのが厭」だといことでした。どうやら、お餅だけはまだまだ「ニッポン人だけの味覚」なのでしょう。
ボクにとってお餅は、「お正月」の象徴なのです。
それ以外の季節では食卓には並びませんが、この新年の時だけは家族揃って「お餅料理」を食べたものでした。子供の頃ですが、家族揃って浅草寺に行ったり、渋谷の映画帰りなどで、簡単な食堂に入りましたが、このときもボクは「お餅屋さん」に連れて行って欲しいと思っていたものでした。
現在はお餅なんていつでもどこでも見かけます。夏でもスーパーに置いてあります。そのせいか、お餅の有り難みが薄れちゃったようです。そもそも、東京では餅つきをする家を見かけることがありません。
ボクはお餅つきをさせてもらったのは、小学校6年になって、ようやくでした。小柄だったボクはそれまで、父親や職人さんがする姿を見ているだけでした。つきあがった餅を急いで台に並べて、そこで待ち受けるのは真っ白な割烹着を着た母親や職人さんの奥さんたちが、手に白い粉を付けて丸めたり、丸棒を器用に転がして四角くお餅をのばしたりしていました。
つき上がったばかりのお餅をその場で父親は納豆に絡ませて、するするとお蕎麦でも食べるように、食べていたことを覚えています。まあ、こんなに空気の汚れた都会でお餅つきをしようと考える方がおかしいですが、それにしても、都会の正月は道路が空くだけ、ってことになりましたね。
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…まさみ…
by masami-ny55
| 2006-12-15 17:14
| 日記