シナリオ作家「鈴木尚之」先生との出逢い
本棚にはこんな本があります。
学生時代、散々使った「日本シナリオ文学全集」のほかに、シナリオ作家協会が出版した「人とシナリオ」シリーズの数巻です。「井出雅人」、「橋本忍」、「新藤兼人」、「菊島隆三」などがありますが、なかでも最もお世話になっているのは…。
橋本忍さんの作品に「砂の器」(1974年10月19日公開、野村芳太郎監督 松竹)があります。
この映画をボクは「日本映画」での、最高峰と評価しています。橋本さんは皆様もご存じのように、黒澤明監督と長いコンビです。代表的な作品は、やっぱり「七人の侍」でしょう。
あるいは日本映画の代表は、溝口健二監督や小津安二郎監督の作品を筆頭にあげる人たちも大勢いると思いますし、その方が一般的であり、説得力があるでしょう。
ではボクがなぜ「砂の器」を最高峰の日本映画と評価しているか…。
それはこの台本の、ソラ恐ろしさを感じてしまうほど、完璧な作品であることです。映画シナリオのすべてが投げ込まれていて、緊張感の継続、映像の自然感、無駄のないキャラクター設定など、観客が楽しめる要素が全部揃えてあることです。こんな台本は、まず他の人には思いもしなかったのではないか…と、今更ながらこの台本の偉大さを痛感しています。
伝統芸能である人形劇の人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)をご存知でしょうか?
太夫、三味線、人形遣いの「三業(さんぎょう)」で成り立つ三位一体の演芸です。「文楽」と言う方がおわかりでしょうか。
「太夫」とは、浄瑠璃語りのこと。これを、丹波哲郎が扮する「今西警視庁捜査一課警部補」の台詞に託しました。
「三味線」は、太棹の三味線を使う。これは、そうですね、音楽です。芥川也寸志さんが担当して、お弟子さんの菅野光亮さんが作曲した作品をドラマチックに東京交響楽団に演奏させました。
「人形遣い」は、古くは1つの人形を人の人形遣いが操っていたようですが、現在では3人で操っています。これを、名優・加藤嘉が扮する本浦千代吉、その息子・秀夫(少年期)に、春田和秀君、そして、緒形拳が扮する地元警察官・三木謙一の3人の葛藤をラストシーンに展開します。日本映画史上、最高の見所になりました。 「七人の侍」と「砂の器」なら、現在でもロードショーで封切りしても間違えなく観客をよべる作品です。ただし、ノーカット版で放映しなくてはいけませんよ。
と、こんなにベタ褒めしていますが、橋本さんではないのですよ。
実は、「鈴木尚之」先生なのです。
要するに、一番見ている映画のシナリオ作家は鈴木先生だということ。こうして改めてふり返ってみると自分でも以外でした。
大病して退院した晩に観たのは、中村錦之助「宮本武蔵」でした。もう、何回観たことでしょうか…10回や20回ではないです。ただし、このDVDはひどい。思い切りカットしてありましたから。是非、ノーカット版の「宮本武蔵」を発売して欲しいものです。キンちゃんと言えば「沓掛時次郎・遊侠一匹」はボクにとっては、名作です。気になって「五番町夕霧樓」、「飢餓海峡」も観ますが、これも鈴木先生の台本なんですよ。
「人とシナリオ」シリーズの「鈴木尚之」の本の帯には、「日本映画の全盛期を彩った珠玉のシナリオ」と、ずいぶんと勇ましい紹介文が記されています。
「五番町夕霧樓」、「飢餓海峡」、「沓掛時次郎・遊侠一匹」、「おかね雲」、「婉という女」の鈴木先生の代表作が記載されています。
鈴木尚之先生とは一度も面識はないのですが、もっとも親近感を抱いてしまうシナリオライターです。というのも、鈴木先生は大学の先輩であること。ボクの最も好きな時代劇は、と問われると、黒澤明監督の「七人の侍」、「用心棒」でもありません。
内田吐夢監督、中村錦之助主演の「宮本武蔵」全5巻なのです。大人になった今でも時代劇は、いの一番にボクは「キンちゃんの武蔵だろう」っています。この「武蔵」の台本、5本ともすべて鈴木先生の執筆なのです。
何故ボクが「武蔵」が好きなのか…いまだに自分でも不明です。とにかくボクがはじめて日本の長編小説を読み切ったのが「宮本武蔵」だったからかも知れませんが…要は「武蔵」が大好きなのです。
片岡千恵蔵、三船敏郎なども「武蔵」を演じていますが、ボクにはピッタリきません。でも、キンちゃんの武蔵はドンピシャリ。以後、様々な役者が武蔵を演じていますが、原型はキンちゃんの武蔵ですね。まあ、「武蔵の教科書」とでもいいますが、そんな基礎を創った映画だとボクは思っています。
内田吐夢監督の執念の作品とまで伝説化した「宮本武蔵」の台本を書いた鈴木先生は、当時そうとう卓越したシナリオライターだったのだろうと、思いますよねぇ。ところが、違います。その正反対、まだ無名に近いライターだったんですよ。
鈴木先生は東映に勤務する月給1万9千円のサラリーマンでした。昭和30年頃の話です。映画が日本の娯楽の王者だった時代です。比佐芳武氏、日本シナリオ史の草分け的大先生です。この人を書き込むのはこのページではたりません。又の機会にしますが、この人の台本は当時もっとも高額で、1作100万円でした。新藤兼人、橋本忍、小国英雄各氏も高額ライターだったと伺ったことがあります。
いずれにしても、サラリーマンだった鈴木先生の仕事は、脚本課にいても台本を書くのではなくて、監督とシナリオ作家との愛だ゜に入って意見調節をしたり、会社の意向を伝えたりと、「進行係」をしていたのです。でも、鈴木先生は大作家のシナリオを直に読むことも仕事でした。
シナリオ作家としてのはじまりは、テレビで放送していた「時代劇番組」の台本を2,3本書き上げたことから始まっています。社員ライター、です。
鈴木先生は、シナリオ作家になったきっかけをご自分でも「自分でもよくわかりません」と応えておられます。内田吐夢監督から、「宮本武蔵」の台本を仕上げて、との依頼が鈴木先生が日本映画界のシナリオ作家としてのデビューだったと、ボクは思っています。もちろん、以前から台本は書いておられますが本格的なデビューはこの「宮本武蔵」でした…。
チャンスを生かしたシナリオ作家といえます。人が生きるってことは、まさに「ドラマ」です。
ついつい、自分の道楽をお調子に乗って載せさせていただきました、
…まさみ…
学生時代、散々使った「日本シナリオ文学全集」のほかに、シナリオ作家協会が出版した「人とシナリオ」シリーズの数巻です。「井出雅人」、「橋本忍」、「新藤兼人」、「菊島隆三」などがありますが、なかでも最もお世話になっているのは…。
橋本忍さんの作品に「砂の器」(1974年10月19日公開、野村芳太郎監督 松竹)があります。
この映画をボクは「日本映画」での、最高峰と評価しています。橋本さんは皆様もご存じのように、黒澤明監督と長いコンビです。代表的な作品は、やっぱり「七人の侍」でしょう。
あるいは日本映画の代表は、溝口健二監督や小津安二郎監督の作品を筆頭にあげる人たちも大勢いると思いますし、その方が一般的であり、説得力があるでしょう。
ではボクがなぜ「砂の器」を最高峰の日本映画と評価しているか…。
それはこの台本の、ソラ恐ろしさを感じてしまうほど、完璧な作品であることです。映画シナリオのすべてが投げ込まれていて、緊張感の継続、映像の自然感、無駄のないキャラクター設定など、観客が楽しめる要素が全部揃えてあることです。こんな台本は、まず他の人には思いもしなかったのではないか…と、今更ながらこの台本の偉大さを痛感しています。
伝統芸能である人形劇の人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)をご存知でしょうか?
太夫、三味線、人形遣いの「三業(さんぎょう)」で成り立つ三位一体の演芸です。「文楽」と言う方がおわかりでしょうか。
「太夫」とは、浄瑠璃語りのこと。これを、丹波哲郎が扮する「今西警視庁捜査一課警部補」の台詞に託しました。
「三味線」は、太棹の三味線を使う。これは、そうですね、音楽です。芥川也寸志さんが担当して、お弟子さんの菅野光亮さんが作曲した作品をドラマチックに東京交響楽団に演奏させました。
「人形遣い」は、古くは1つの人形を人の人形遣いが操っていたようですが、現在では3人で操っています。これを、名優・加藤嘉が扮する本浦千代吉、その息子・秀夫(少年期)に、春田和秀君、そして、緒形拳が扮する地元警察官・三木謙一の3人の葛藤をラストシーンに展開します。日本映画史上、最高の見所になりました。
と、こんなにベタ褒めしていますが、橋本さんではないのですよ。
実は、「鈴木尚之」先生なのです。
要するに、一番見ている映画のシナリオ作家は鈴木先生だということ。こうして改めてふり返ってみると自分でも以外でした。
大病して退院した晩に観たのは、中村錦之助「宮本武蔵」でした。もう、何回観たことでしょうか…10回や20回ではないです。ただし、このDVDはひどい。思い切りカットしてありましたから。是非、ノーカット版の「宮本武蔵」を発売して欲しいものです。キンちゃんと言えば「沓掛時次郎・遊侠一匹」はボクにとっては、名作です。気になって「五番町夕霧樓」、「飢餓海峡」も観ますが、これも鈴木先生の台本なんですよ。
「人とシナリオ」シリーズの「鈴木尚之」の本の帯には、「日本映画の全盛期を彩った珠玉のシナリオ」と、ずいぶんと勇ましい紹介文が記されています。
「五番町夕霧樓」、「飢餓海峡」、「沓掛時次郎・遊侠一匹」、「おかね雲」、「婉という女」の鈴木先生の代表作が記載されています。
鈴木尚之先生とは一度も面識はないのですが、もっとも親近感を抱いてしまうシナリオライターです。というのも、鈴木先生は大学の先輩であること。ボクの最も好きな時代劇は、と問われると、黒澤明監督の「七人の侍」、「用心棒」でもありません。
内田吐夢監督、中村錦之助主演の「宮本武蔵」全5巻なのです。大人になった今でも時代劇は、いの一番にボクは「キンちゃんの武蔵だろう」っています。この「武蔵」の台本、5本ともすべて鈴木先生の執筆なのです。
何故ボクが「武蔵」が好きなのか…いまだに自分でも不明です。とにかくボクがはじめて日本の長編小説を読み切ったのが「宮本武蔵」だったからかも知れませんが…要は「武蔵」が大好きなのです。
片岡千恵蔵、三船敏郎なども「武蔵」を演じていますが、ボクにはピッタリきません。でも、キンちゃんの武蔵はドンピシャリ。以後、様々な役者が武蔵を演じていますが、原型はキンちゃんの武蔵ですね。まあ、「武蔵の教科書」とでもいいますが、そんな基礎を創った映画だとボクは思っています。
内田吐夢監督の執念の作品とまで伝説化した「宮本武蔵」の台本を書いた鈴木先生は、当時そうとう卓越したシナリオライターだったのだろうと、思いますよねぇ。ところが、違います。その正反対、まだ無名に近いライターだったんですよ。
鈴木先生は東映に勤務する月給1万9千円のサラリーマンでした。昭和30年頃の話です。映画が日本の娯楽の王者だった時代です。比佐芳武氏、日本シナリオ史の草分け的大先生です。この人を書き込むのはこのページではたりません。又の機会にしますが、この人の台本は当時もっとも高額で、1作100万円でした。新藤兼人、橋本忍、小国英雄各氏も高額ライターだったと伺ったことがあります。
いずれにしても、サラリーマンだった鈴木先生の仕事は、脚本課にいても台本を書くのではなくて、監督とシナリオ作家との愛だ゜に入って意見調節をしたり、会社の意向を伝えたりと、「進行係」をしていたのです。でも、鈴木先生は大作家のシナリオを直に読むことも仕事でした。
シナリオ作家としてのはじまりは、テレビで放送していた「時代劇番組」の台本を2,3本書き上げたことから始まっています。社員ライター、です。
鈴木先生は、シナリオ作家になったきっかけをご自分でも「自分でもよくわかりません」と応えておられます。内田吐夢監督から、「宮本武蔵」の台本を仕上げて、との依頼が鈴木先生が日本映画界のシナリオ作家としてのデビューだったと、ボクは思っています。もちろん、以前から台本は書いておられますが本格的なデビューはこの「宮本武蔵」でした…。
チャンスを生かしたシナリオ作家といえます。人が生きるってことは、まさに「ドラマ」です。
ついつい、自分の道楽をお調子に乗って載せさせていただきました、
…まさみ…
by masami-ny55
| 2013-10-23 04:32
| 日記