新春のイベントは…「ユーガットメール#12」若者達の応援歌

とにかく、です。
今年になって初めての記事になりました。ので、一応このブログに、
「あけまして おめでとうございます」

まあ、今年の正月はスゴイ年明けになりました。例年どおり、日光東照宮に初詣したかと思えば、東京に出掛けてともだちとともに浅草、六本木、青山あたりを歩き回ってと、忙しないこと。
とはいうものの、賑やかで華やいだ時でした…。

e0013640_14541439.jpgさてさて。
今年、早春のイベントを創りました。
「若者世代のユーガットメール」です。3月21日、22日に公演します。2月から「ぴあ」で発売されるはずですので、よろしくお願いします。そうです、「切符を買ってください」ってことです。三連休の真っ直中なので、お早めに。


今年から「ユーガットメール」は、3月にも公演することになりました。

3月って日本人が好きな月ですね。
「卒業シーズン」であり、季節は「桜咲く」春の日射しが眩しく感じて、若い人たちが輝くとき…ですよね。


いままで、8月の「夏休み」だけ11年間続けてきましたが、今年から「春休み」にも舞台を創ろう…って、ことにしました。


3月公演の特徴は、「若き世代のハーモニー」です。みんながカラオケなんかで歌っている曲とか、学校で習った曲とか、とにかくなじみ深い曲のオンパレード―になるはずです。
それと、ちと、「うっそ~でしょ!」なんて皆様を驚かしちゃう演出もしますから、お楽しみにね。出演者はいままでの「ユーガット」の歴史では最大の12人が登場します。
若い人たちの応援歌の舞台とはいえ、むろん、座長の山田展弘、あの手紙たちを朗読する柳沢三千代、演技の柱である林蘭、最高の美声で歌い上げる中西勝之などのレギュラー陣もちゃっと登場します。

ほんのちょっとだけ内容を云うと、なんとなんと「ユーガット」では初めての「クラシックバレー」が登場します。その踊り手は、弱冠24才。驚くなかれ、アンナ・パブロワの18番「瀕死の白鳥」が踊れちゃうのでありますぞ! もしかしたら、それをナマで見せていただけるかも知れません…ハイ! こんな機会は滅多にありませんぞ。

それと、おもしろいクラシック声楽家が登場します。弱冠26才。歌を聴いて下さいませよ、「うっそ~~」の連発をしていただけるはずです。「ユーガット」のレギュラーになるかも…と、ボクは勝手に期待しています。

「ユーガット」のコンセプトは、カラの舞台で、ナマ声、ナマ歌、生演奏です。雨宮さんたちの演奏は、今回弦楽器も入れてみようと張り切っています。

では、皆様。詳しくなり次第、またお知らせしますね。

…まさみ…
# by masami-ny55 | 2014-01-30 13:00 | 日記

歌舞伎座で気づいたこと

e0013640_10282262.jpg先日、歌舞伎座に一日中いました。
『仮名手本忠臣蔵』(かなでほんちゅうしんぐら)の通し狂言です。
そもそも『仮名手本忠臣蔵』とは、人形浄瑠璃および歌舞伎の演目のひとつ。日本の演劇界では、「義経千本桜」とならんで義太夫狂言の人気作品。おそらく日本では、『仮名手本忠臣蔵』の公演回数は江戸時代の寛延元年(1748年)8月の初演以来、最も多い上演回数の芝居ではなかろうかと、ボクは思いますが…。このお話が好きか嫌いは別にしても、日本人には、この「忠臣蔵」の話はじつによく知られていますね。

ところで、なんでまた1日暇を取って歌舞伎座に行ったのか…、もちろんお目当てがありました。
染五郎さんを見たかったからです。お父さん(幸四郎さん)がまだ染五郎時代、ボクは学生でしたが、散々見させていただきました。でも、社会に出たボクは演劇や音楽とは無縁の経済記者になっていましたから芝居小屋に通うことがなくなりました。大手町を歩きまっていたのです。

それはそれでよかったのですが、自分では気づかなかったのですが、心がパサパサしていたようです…。ときどき、映画を見たりしてはいましたが、学生時代のような観劇後の話し相手はいませんでしたから…。

こうして、一日中歌舞伎座にいるという贅沢は実ははじめて、です。それも、ひとりでのんびりと芝居見物ができるなんて、最高。新しくなった歌舞伎座の館内見物も又、楽しいひととき。


さて。
肝心のお芝居です。今回『仮名手本忠臣蔵』ですから、歌舞伎界オールスターの共演が最大の楽しみです。松本幸四郎さんはじめ、坂東玉三郎さんに中村七之助さん、市川海老蔵さんに市川高麗蔵さんと尾上菊之助さん…そして、市川染五郎さん。中村獅童さんも忘れてはいけません。とにかく豪華メンバー。映画界でも歌舞伎界に習ってか、「忠臣蔵」はオールスターで撮影してました。
現在の歌舞伎座は2000人程度の集客が出来ます。我が国民間芝居小屋としては、最大級でしょう。

こんなドでかい広さの空間なのに、歌舞伎役者さんは全員が「ナマ声」だっていうことを知っているお客様は案外少ないようです。
ボクが学生時代、染五郎さんのおとうさんが「ラマンチャの男」を「ナマ声」で演じていた舞台を見たものです。まあ、あの頃どんな小劇団でも「ナマ声」がふつうだった…と、記憶しています。
いまは、なんでもかんでもカラオケみたいにマイクを握って、あるいは顔にマイクつけて歌ったり台詞を言ったりするのがふつうのようですが、ボクは勘弁して欲しい。
先日も、70人程度で超満員になるほど息苦しい空間で知り合いがコンサートをするので見に行ってきました。音楽を楽しむには、あまりにも無理な小さな空間でしたが、そんな狭い中でマイクを使って音響設備まで入れてましたから、うるさくて…。

ボクの舞台は1年に1回だけ。それでも、12年目になりました。未だに「ナマ声」「ナマ音」の「カラ舞台」でとおしています。このアイディアの元になったのが、学生時代から見てきた歌舞伎だったのでは、と改めて先日の歌舞伎見物で思いあたりました。

いい日、でした。


…まさみ…
# by masami-ny55 | 2013-12-23 10:23 | 日記

「大谷図書館」で…

先日、久々に…そうなんですよ。自分でも呆れますが、「大谷図書館」に出向いたのは実に10年ぶりになります。それほど最近の映画シナリオにはご無沙汰していたということです。

早稲田大学の演劇博物館と、ここ大谷図書館は、シナリオ書きにとっては必ず行かなくてはならない場所です。というのも、実に莫大な、そして貴重な映画台本がそのまま保存してあるからです。「月間シナリオ」も美本のまま保存されていますから、欲しい台本が見つかれば有料とは言え、コピーも出来ます。もちろん、シナリオ作家以外の一般の人たちにも開放していますから、映画ファンの人で、覗きたい人は是非一度、足を運んでみてはいかがでしょうか。あっという間に時間は流れていくことでしょう…。

ボクのお目当ては、鈴木尚之さんのシナリオで、内田吐夢監督、中村錦之助主演の「宮本武蔵全5巻」を読むことでした。

この作品は東映作品です。なぜ、他社の台本が読めるのか…。もし、ここを使う人がいるかも知れないのでその訳を記しておきましょう。

大谷図書館は松竹の施設ですが、まず始めに、「松竹」という社名の説明をしなければなりません。

白井「松」次郎、大谷「竹」次郎という双子の兄弟が、明治28年(1895)に歌舞伎の興行をしました。それが、会社名を「松竹」と名乗る所以であり、松竹の創業年と定めたようです。
この大谷図書館は松竹の歴史館ともいえます。
歌舞伎の台本はもちろん閲覧出来ます。ボクもここで、というより今は東銀座・歌舞伎座の隣の松竹本社の三階にありますが、それ以前は築地にありました。ボクも、学生時代に「白浪五人男」や「弁天小僧」、「助六」などの台詞を書き取ったものでした…。
そして今、松竹の全作品に限らず、他社の台本もここに届けられています。テレビ台本もあるはずですよ。演劇関係の人たちは、台本が完成するとこの大谷図書館に送るというのが習慣にでもなっているのか、とさえ思えます。届けられた台本に関しては、すべて閲覧出来ます。
東映作品の「宮本武蔵」が閲覧出来るのも、その理由からです。で、ボクはここで、「武蔵の第3巻」の台本をPCを持ち込んで書き取っています。

つい先日見た市川染五郎主演「蝉しぐれ」の台本もあるだろうと思っていたのですが、残念ながらありませんでした。突然、染五郎さんに話が飛びましたが、この映画がとにかく素晴らしかったのですよ。なので、なんとしても台本、シナリオを読みたかったのです。

はなはだ失礼を覚悟で言いますが、ボクは現在の染五郎さんをまったく知らなかったのです。
染五郎、と言えばボクたち世代は現在の松本幸四郎さんですが、これも又ヘンな感じで、幸四郎と言えばボクたちは先代の幸四郎さんのことでした。
こんな昔話を得意になって語っているのですから、要するに、ここ最近は歌舞伎から離れていた証拠です。だから、こんなこと言ってるんです。

で、たまたま見た、映画「蝉しぐれ」。e0013640_3521635.jpg
すばらしい映画でしたねぇ、ハイ。まさしく「日本」、があるのですよ、この映画には…。みればわかります。
その主演が現在の市川染五郎さんです。顔はお父さん譲りですが、恰幅はお爺様・幸四郎さんゆずりの印象。

この作品のラストシーンは疑う余地すらないほどの、まさしく名場面でした。黒土三男監督の執念とさえ思えるほど、素晴らしい作品に仕上がっていました…。監督さんの要望を受けて演技している染五郎さん、お見事!


見終わって、ちと、慌てました。
いままで随分長い間、歌舞伎と離れちゃったんだ、と痛感したからです。現在の染五郎さんがこれほど見事なに役者さんなのか…と、今頃こんな感動しているのですから。時代に置き去りにされちゃいますよ、このままでは…。
染五郎さんのお父さんは若い頃、東宝映画での役所と言えばどちらかというと、正直、2枚目半的なキャラでしたよね。でも、現在の染五郎さんは、なんのなんの、凜々しさが消えない堂々たる2枚目役者、です。最近少なくなった「日本の男」を蘇らせてくれました。
まあ、歌舞伎の舞台では、女形も演じていますが…。

現在の染五郎さんを、あえて古い役者さんと見比べると、どうでしょう…市川雷蔵さんのような印象でしょうか、ねぇ。「眠狂四郎」とか、お似合いでは? 橋蔵さんの「新伍十番勝負」なんてところもいいかも…なんて一人で連想して楽しんでました。

とにもかくにも、大谷図書館で中村錦之助さんの「武蔵」を散々堪能した帰りに、早速お隣の歌舞伎座に立ち寄ってみました。すると、例年通りの「仮名手本忠臣蔵」の1日通し舞台をやってました。

ラッキー! とは、将にこのこと。この出し物はオールスター総出演!
思い立ったが吉日、とばかり、12月の一日通し舞台をひとりでのんびり、じっくりと歌舞伎座にいることに決めました。久々に歌舞伎観劇です…ぞ。
どうです、ちと、羨ましく思う方もいるのでは…、と、悦になっているボク。

とっくに売り切れていたはずなのに、キャンセルでも出たのか、マグレでとれたこの切符に添付していたチラシには、大星由良之助には染五郎さんのお父さんである松本幸四郎さん。染五郎さんは、三段目 足利館門前進物の場 同松の間刃傷の場で、桃井若狭之助役。そして、昼の舞台最後の、「浄瑠璃 道行旅路の花聟」では、腰元「おかる」に、玉三郎さんです。

六段目 与市兵衛内勘平腹切の場では、染五郎さんがその役回り。果たして…どんなお芝居が見られるのか、久々に見る歌舞伎がいまから楽しみなんです。

…話が横道にそれましたね。大谷図書館に話をもどします。e0013640_46583.jpg

さて、「隠し剣 鬼の爪」の映画台本は現物のまま見せていただきました。ラストシーンが台本通りではないことに目が向きました。現場なのか、それとも撮影間近になってからなのか…とにかく、台本とは違っていました。その発見がうれしかった。
山田洋次監督がギリギリまで作品と格闘していたんだろうなあ、と想像するだけでも台本を読む価値があるとボクはそう思っています、ハイ。

そうそう、松たか子さんのすばらしさは今更記事にする必要がないですが、この作品では、永瀬正敏さんの演技を存分に堪能していただきたいですね、いささか古い作品なので、なにを今更とおしかりを被るかも知れませんが、それでもボクはあえて申し上げます。
「日本映画を見たければ」「日本の男たちの芝居を見たければ」「じっくりと味わいたい作品に出逢いたいのなら」…是非、「隠し剣鬼の爪」を見ろ、永瀬正敏君の卓越した台詞の言い回しと、自然さを感じさせる動作をご覧あれ、と。

まあ、いつの日か、永瀬正敏君と市川染五郎さんとの共演する時代劇が出来ると夢見ているボクです。
…この二人を登場させる台本を書く作家がいないのなら、ボクが書いちゃうぞぉ~、なんて、ねッ。


最近は学生時代となんら変わらない生活が続いています…。



…まさみ…
# by masami-ny55 | 2013-12-10 16:52 | 日記

その後の「スカイラインGT-R R34型」

先週、鹿児島から電話が入りました。懐かしい声で、「お元気ですか?」と。
相手は、スカイラインGT-R R34型を購入したディーラーさんのご主人でした。
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      ≪鹿児島から届いたクルマは、写真と同型。ボディカラーは、ソニックシルバーです≫

ボクの大病は今年1月に発見されて、すぐに入院。およそひと月、病院での生活は莫大な暇をボクに与えました。なので、暇がおそってくるたびにPCノートで「GT-R情報」を検索。そうこうしているうちに、出逢ったディーラーさんが鹿児島県のご主人だった…というわけです。

鹿児島から東京まで、クルマの輸送を無料でしていただき、その上、奥様からは地元名産の「薩摩揚げ」まで送っていただきました。退院後、初めていただいた日本の味でした…。

ほんの些細なご縁でしかなかったのに、これほどのおつきあいが出来たのも、鹿児島に住むご主人の人柄。商売を超えたお付き合いをさせていただき、感謝です。
ところで、久々の電話によると、「GR-Rの以前のオーナーさん」が喜んでおられる、との報告をいただきました。鹿児島を走っていたクルマが、いまは東京を走り回っていて、大事に乗っていてくれているようだから、とってもうれしい、と伝えてください、のことでした。

九州しか知らなかった「GT-R34型」が、ふとした縁でいまは東京を走る。銀座、浅草、渋谷、青山、代官山、神田、神保町、秋葉原、本郷…。ボクとともに走る。
そして、栃木・日光に行ったり、新潟・直江津、福島・仙台にもボクを運んでくれた。

ありがたい。

ボクが元気になってきたのも、この車の運転にも原因があるかも知れません。「スカイラインGT-R R34型」の運転は全身運動です。とくに、両足と腰はオートマ車を運転する時とは比べものにならない運動量です。スカイラインGT-R R34型の運転が出来ることだけでも、体が健全になっている証拠。

いまではボクの日常生活とは切り離せない「スカイラインGT-R Vスペック R34型」です。
人との出逢いがボクを健康にしてくれます。

ところで、さあ…。
「スカイラインGT-R R34型」を乗ってる諸君、このクルマのミッションはスゴイよねぇ…。すごすぎ、ですよ、まったく…。堅いし、バシッとギアとかむでしょ、あの感じがスゴイ。ただし、バックするときは不便なのよね、あれ、なんとかなんない…。


…まさみ…
# by masami-ny55 | 2013-12-09 05:12 | 日記

日韓合同授業の風景

韓国・釜山外国語大学で、日韓合同の「日本語の授業」を学生と一緒に参加しました。
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そのときの様子がようやく届きましたから報告しておきます。
まずは授業風景から、です。
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その後、みんなでブギョンデ付近で会食。
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そして、週末はソウル・テハンノ(大学路)で芝居とミュージカルを見てきました…。
ソウルを案内してくれた学生君は来年1月末、東京に来て、今度は日本の学生たちが彼を案内することになっているようです…。



…まさみ…
# by masami-ny55 | 2013-12-09 04:37 | 日記

いよいよ「日韓学生」の合同授業…だけど

今週の木曜日、金曜日の両日、韓国釜山外語大の学生30人程度と日本から来た明治大学の学生ふたりが一緒になって「日本語初級クラス」を受講します。明大のふたりはボクの塾生でもあることから、このような機会を作ることが出来ました。

釜山外語大の先生がボクの塾生でもあり、先生のご面倒を頂けて、はじめて実現した学生たちによる自主的「日韓交流授業」という訳です。
「せっかくだから」と言うこともあって、釜山外語大の学生全員と先生が「授業が済んだら食事会を」と、企画してくれました。場所は釜山でも「学生街」として知られている繁華街。「ブギョンデ(国立釜慶大学)」付近の「焼き肉屋さん」になりそうです、ただ…。

ボクはいまから心配です…。
韓国の生活文化をなにひとつとして学んでもいない学生ふたりが、韓国の学生たちとうまくやれるのか…と。このふたり、現代日本の青年像を象徴する「なよってる青年」の代表選手。質問もしないだろうし、関心事項があっても流しちゃうような青年。明治の男たちと比較したら、絶対に「オナゴ」だし…。
相手は「徴兵が義務」の国家。25歳程度で大学2,3年生なんてザラ。目上を尊重し(すぎるところはあるが)、仲間内では言いたいことを言うし…、感激性だし、質問はしてくるし…でしょ。大丈夫かなぁ、って心配ですよ…。

釜山外語大の学生は理解の幅の個人差はあるものの、全員、日本語が出来ます。漢字も書ける学生もたくさんいます。
でも、明大のふたりは、「日常挨拶」も「自己紹介」も、韓国語で話すことさえ出来ません…。なんたるアホか…と。恥をかきたくないですよね。なので、空港に到着と同時にボクが「にわか韓国語」を暗記させます! 
せめて、挨拶程度は韓国語でやらせたいですから、ね。

で、「日韓の青年たち」がお互いに「友だち」になって、メール交換ていどができる相手と出逢えたらどんなに素敵だろう…なんて、ボクは思ってます。
「日韓両国の青年たちの交流と理解」なんて、そんなたいそうなお題目は別の団体にお任せするとして、カラオケに行ったり、散歩したり、旅をしたり、一緒になって飯を食ったり…して、友だちになれたらいいなあ、ってボクは思います。
その機会がもうすぐやってきますぞ。
できればこのブログで、授業の様子とか食事会の様子とかの写真を掲載して、みんなに報告したいと思っています。

さて。久々にここ釜山に来ましたが、10年間もここで生活している先生が大失敗しちゃったのです。空港からタクシーに乗ったのですが、これはいつものこと。ところが、ウンちゃんの優しそうな話し方に誘われてか、「途中で観光をしましょう。安いから…」。ところが、なんとなんと普段だったら日本円にして2000円程度のタクシー代がこの観光をプラスしたおかげで、1万2000円程度の支払いになりました。しかも、現金で。
韓国生活に10年のキャリアがある先生でもこの失態です。みなさん、くれぐれもタクシーには十分の配慮をしてください。

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ただし、行った場所は「竜宮」という釜山でも名所。いいところですから機会があったらみんなで「バス」で行きましょう。

辛い食事、刺激の強い食べ物が御法度のボク。さぞや韓国では苦労しているだろう…と想っている人もいるでしょうね。でも、韓国料理は必ずしも辛くて刺激性が強い、とは限りません。現に、韓国人でさえ、辛い食事を避けている人たちもいます。
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なので、久々に食べたのは、この写真にある「すいとん料理」なんです。手前が「スタンダードのだし味スープ」、奥が「白ごまスープ」です。韓国的辛さはまったくありません。むしろ、甘みを感じるほどです。
この「すいとん(1つ)」+「水餃子」+「のり巻き」。= なんとまあ、800円です! 
味も値段も「やさしい」でしょう。

お値段が「やさしい」と言えば…。ここを紹介しておきましょう。
一夜明けた本日の朝のこと。バスでブギョンデ方面に。ブギョンデのすぐ隣のキャンパスは「ギョンソンデ(私立慶星大学)」。そのバス停から徒歩で10分程度の「豆腐チゲ屋さん」に向かいました。

ここは、ボクの大のお気に入り。地元タクシー運転手や近くのサラリーマンたちが来る実に庶民的なお店です。じつに、韓国的生活感の漂うお店なのです…ハイ。
ここでの食事は、ほとんどのチゲ料理は辛くないのです。辛くしたかったら自分でコチュジャンを加えます。
お値段は、なんとまあ500円から600円程度まで。しかも、ご飯は日本で言う「釜飯」にして出てきます。
学生たちのみならず、みんなにも是非紹介したい「あな場的お店」です。観光ガイドになんて載ってませんから、ね。

初めて韓国に来る明大の青年ふたり。週末には「ソウル」にも連れて行きます。
釜山からのKTXに乗って!

観光ガイドには載っていない所を案内するつもり。もちろん、韓国ガイドの定番みたいな場所にも…。
例えば、「大統領官邸付近のエリア(韓国ドラマの先駆け『冬のソナタ』の1、2、3話のロケ地)」とか、韓国ドラマの時代劇(最近では『トンイ』)の定番ロケ地でもある「景福宮」、「国立博物館」、韓定食で名高い「韓国の館」…とか。
まあ、家族用のお土産はトンデモン(東大門)で買えばいいので、地元出身の学生がボクたちをガイドしてくれることになってます…。初めてにしては、ちと、贅沢かも…。

青年たちにはボクの人生みたいに、いい旅と、いい出逢いをして、たくさんのいい想い出つくってほしいから、ね。


…まさみ…
# by masami-ny55 | 2013-11-06 02:03 | 日記

「飢餓海峡」と「砂の器」の共通性

「飢餓海峡」と「砂の器」は、実によく似通った映画です。
2作品ともに原作が推理小説であることから、犯人捜しもしくはその動機を解明していく過程に観客は引きつけられていく。
内田吐夢(1898年生)監督・鈴木尚之脚本 「飢餓海峡」
と、
野村芳太郎(1919年生)監督・橋本忍脚本 「砂の器」

の決定的な相違は「音楽」の使い方でしょう。音楽担当の冨田勲さんと芥川也寸志さんですが、両人とも映画音楽界の重鎮です。
正直、「飢餓海峡」を見終わってもテーマ音楽が残っていませんでしたが、「砂の器」はその正反対。音楽がいいからCDがほしくなったほどでした…。

e0013640_1911859.jpg物語としての完成度は制作した時代からみて、
両作品は「ベスト1.」であったと思います。

高倉健の刑事と、丹波哲郎の刑事…
伴淳三郎の老刑事と、緒形拳の老いた元刑事…
犯人の三國連太郎と、加藤剛の演技…
左幸子の東北弁の演技と、島田陽子の都会の女性の演技…

台詞を比べてみても、実に似通っています…。




いつか、友だちを集めて、この2つの作品を映写してみようと思っています。違いと、共通性…。
日本風土という、映画的と言うより、文学的な表現で紹介すべき作品です。


…まさみ…
# by masami-ny55 | 2013-10-28 18:47 | 日記

シナリオ作家「鈴木尚之」先生との出逢い

本棚にはこんな本があります。
学生時代、散々使った「日本シナリオ文学全集」のほかに、シナリオ作家協会が出版した「人とシナリオ」シリーズの数巻です。「井出雅人」、「橋本忍」、「新藤兼人」、「菊島隆三」などがありますが、なかでも最もお世話になっているのは…。

橋本忍さんの作品に「砂の器」(1974年10月19日公開、野村芳太郎監督 松竹)があります。
この映画をボクは「日本映画」での、最高峰と評価しています。橋本さんは皆様もご存じのように、黒澤明監督と長いコンビです。代表的な作品は、やっぱり「七人の侍」でしょう。
あるいは日本映画の代表は、溝口健二監督や小津安二郎監督の作品を筆頭にあげる人たちも大勢いると思いますし、その方が一般的であり、説得力があるでしょう。

ではボクがなぜ「砂の器」を最高峰の日本映画と評価しているか…。e0013640_57585.jpg

それはこの台本の、ソラ恐ろしさを感じてしまうほど、完璧な作品であることです。映画シナリオのすべてが投げ込まれていて、緊張感の継続、映像の自然感、無駄のないキャラクター設定など、観客が楽しめる要素が全部揃えてあることです。こんな台本は、まず他の人には思いもしなかったのではないか…と、今更ながらこの台本の偉大さを痛感しています。

伝統芸能である人形劇の人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)をご存知でしょうか?
太夫、三味線、人形遣いの「三業(さんぎょう)」で成り立つ三位一体の演芸です。「文楽」と言う方がおわかりでしょうか。

「太夫」とは、浄瑠璃語りのこと。これを、丹波哲郎が扮する「今西警視庁捜査一課警部補」の台詞に託しました。
「三味線」は、太棹の三味線を使う。これは、そうですね、音楽です。芥川也寸志さんが担当して、お弟子さんの菅野光亮さんが作曲した作品をドラマチックに東京交響楽団に演奏させました。
「人形遣い」は、古くは1つの人形を人の人形遣いが操っていたようですが、現在では3人で操っています。これを、名優・加藤嘉が扮する本浦千代吉、その息子・秀夫(少年期)に、春田和秀君、そして、緒形拳が扮する地元警察官・三木謙一の3人の葛藤をラストシーンに展開します。日本映画史上、最高の見所になりました。
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「七人の侍」と「砂の器」なら、現在でもロードショーで封切りしても間違えなく観客をよべる作品です。ただし、ノーカット版で放映しなくてはいけませんよ。

と、こんなにベタ褒めしていますが、橋本さんではないのですよ。
実は、「鈴木尚之」先生なのです。

e0013640_4384357.jpg要するに、一番見ている映画のシナリオ作家は鈴木先生だということ。こうして改めてふり返ってみると自分でも以外でした。
大病して退院した晩に観たのは、中村錦之助「宮本武蔵」でした。もう、何回観たことでしょうか…10回や20回ではないです。ただし、このDVDはひどい。思い切りカットしてありましたから。是非、ノーカット版の「宮本武蔵」を発売して欲しいものです。キンちゃんと言えば「沓掛時次郎・遊侠一匹」はボクにとっては、名作です。気になって「五番町夕霧樓」、「飢餓海峡」も観ますが、これも鈴木先生の台本なんですよ。

「人とシナリオ」シリーズの「鈴木尚之」の本の帯には、「日本映画の全盛期を彩った珠玉のシナリオ」と、ずいぶんと勇ましい紹介文が記されています。
「五番町夕霧樓」、「飢餓海峡」、「沓掛時次郎・遊侠一匹」、「おかね雲」、「婉という女」の鈴木先生の代表作が記載されています。


鈴木尚之先生とは一度も面識はないのですが、もっとも親近感を抱いてしまうシナリオライターです。というのも、鈴木先生は大学の先輩であること。ボクの最も好きな時代劇は、と問われると、黒澤明監督の「七人の侍」、「用心棒」でもありません。
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内田吐夢監督、中村錦之助主演の「宮本武蔵」全5巻なのです。大人になった今でも時代劇は、いの一番にボクは「キンちゃんの武蔵だろう」っています。この「武蔵」の台本、5本ともすべて鈴木先生の執筆なのです。
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何故ボクが「武蔵」が好きなのか…いまだに自分でも不明です。とにかくボクがはじめて日本の長編小説を読み切ったのが「宮本武蔵」だったからかも知れませんが…要は「武蔵」が大好きなのです。
片岡千恵蔵、三船敏郎なども「武蔵」を演じていますが、ボクにはピッタリきません。でも、キンちゃんの武蔵はドンピシャリ。以後、様々な役者が武蔵を演じていますが、原型はキンちゃんの武蔵ですね。まあ、「武蔵の教科書」とでもいいますが、そんな基礎を創った映画だとボクは思っています。
内田吐夢監督の執念の作品とまで伝説化した「宮本武蔵」の台本を書いた鈴木先生は、当時そうとう卓越したシナリオライターだったのだろうと、思いますよねぇ。ところが、違います。その正反対、まだ無名に近いライターだったんですよ。

鈴木先生は東映に勤務する月給1万9千円のサラリーマンでした。昭和30年頃の話です。映画が日本の娯楽の王者だった時代です。比佐芳武氏、日本シナリオ史の草分け的大先生です。この人を書き込むのはこのページではたりません。又の機会にしますが、この人の台本は当時もっとも高額で、1作100万円でした。新藤兼人、橋本忍、小国英雄各氏も高額ライターだったと伺ったことがあります。
いずれにしても、サラリーマンだった鈴木先生の仕事は、脚本課にいても台本を書くのではなくて、監督とシナリオ作家との愛だ゜に入って意見調節をしたり、会社の意向を伝えたりと、「進行係」をしていたのです。でも、鈴木先生は大作家のシナリオを直に読むことも仕事でした。
シナリオ作家としてのはじまりは、テレビで放送していた「時代劇番組」の台本を2,3本書き上げたことから始まっています。社員ライター、です。

鈴木先生は、シナリオ作家になったきっかけをご自分でも「自分でもよくわかりません」と応えておられます。内田吐夢監督から、「宮本武蔵」の台本を仕上げて、との依頼が鈴木先生が日本映画界のシナリオ作家としてのデビューだったと、ボクは思っています。もちろん、以前から台本は書いておられますが本格的なデビューはこの「宮本武蔵」でした…。
チャンスを生かしたシナリオ作家といえます。人が生きるってことは、まさに「ドラマ」です。

ついつい、自分の道楽をお調子に乗って載せさせていただきました、

…まさみ…
# by masami-ny55 | 2013-10-23 04:32 | 日記

伊藤大輔監督 生誕115年記念

どんな分野でも、「もしこのとき…」「もしその人が…」との歴史観なくしては語れないことが多いものです。
映画の世界でも…同様です。

もし、伊藤大輔さんが松山中学(現・愛媛県立松山東高等学校)で伊丹万作らと同人雑誌を作り、中村草田男、大宅壮一らと文筆を競ったりしなかったとしたら…。おそらく、「文章を書く」「ものがたりを綴る」楽しさを知らないままの青春だったはずでしょう。卒業する頃、中学校教師だったお父様が亡くなって進学を断念して、そのまま呉海軍工廠に製図工として勤務しますが、さほど好きな仕事ではなかったようで長続きはしません。

22歳(1916年・大正9年)に文通相手だった小山内薫を頼って上京します。
この年が伊藤先生にとっても、日本映画界の将来にとっても大事な分岐点になっています。上京の理由は俗にう「赤狩り」でした。当時、共産党員のレッテルを公にされると人間関係にも支障が生じた時代でした。今の若い人たちにはなかなか理解できないでしょうが…まあ、労働組合の活動に参加しただけでも、そう見られてしまう時代だったそうで、伊藤先生も「演劇グループに参加した」だけでそんな風な風当たりです。
上京したのですが、伊丹万作と同居し、2月に創立された松竹キネマ付属の俳優学校(小山内が主宰)に入ることになります。その後、松竹、帝国キネマで数多くのシナリオを執筆していきました。

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伊藤先生は「イケメン」だったから、役者としても通用すると思いますが…。そこは、青年のビジョン「監督/脚本」への情熱は不動です。

ここで即席ですが、その後の伊藤先生の経歴を記しておきます。

1916年(大正9年)、小山内薫の推薦を受けて、ヘンリー・小谷監督の製作第1作『新生』のシナリオを執筆することになります。プロの仕事として、初めての執筆になったのです。
1924年(大正13年)、26歳。監督業は、国木田独歩原作の『酒中日記』でこの年に監督デビュー。
そしてそして、記念すべきことは、同年、時代劇第1作品となる『剣は裁く』を監督したのです。

1925年(大正14年)、27歳。独立して「伊藤映画研究所」(伊藤大輔プロダクション)を設立、稲垣浩、岡田時彦らが研究生所属。
同年、日活太秦撮影所に移り、まだ新人だった大河内傳次郎とコンビを組み、『長恨』、『流転』などの時代劇作品を監督、激しい乱闘シーンやアメリカ・ドイツ・ソ連など外国映画の影響を受けた大胆なカメラワークで注目を浴びる。
1927年(昭和2年)、29歳。映画史上に残る「金字塔」と称される傑作『忠次旅日記』三部作を発表。
一躍映画界を代表する存在になり、後世に大きな影響を与えた。この年監督した河部五郎主演の『下郎』も名作に数えられる。
この日活撮影所時代に「監督:伊藤大輔」、「主演:大河内傳次郎」、「撮影:唐沢弘光」の「ゴールデントリオ」が生まれ、サイレント末期の日本映画界をリードする旗手となった。「大河内傳次郎の丹下左膳」の人気を不動のものとする。

日本映画では1931年(昭和6年)の『マダムと女房』(松竹キネマ製作、五所平之助監督、田中絹代主演)が初の本格的なトーキー(発声映画)作品です。しかし、活動弁士が無声映画に語りを添える上映形態が主流だったため、トーキーが根付くにはかなり時間がかかったようです。
1936年(昭和11年)、38歳。伊丹万作、稲垣浩、池田義信、井上金太郎、小津安二郎、渡辺邦男、田坂具隆、成瀬巳喜男、村田実、牛原虚彦、内田吐夢、山本嘉次郎、山中貞雄、阿部豊、五所平之助、衣笠貞之助、木村荘十二、溝口健二、島津保次郎、清水宏、鈴木重吉、野村浩将と連名で「日本映画監督協会」を設立。

終戦後の1948年(昭和23年)、50歳。『王将』(大映京都)を撮り、健在を示した。
この作品はその後のライフワークとなり、その後、1955年(昭和30年)に新東宝で辰巳柳太郎を主演に『王将一代』、1962年(昭和37年)に東映東京で三國連太郎を主演に『王将』と、2度に渡りリメイクしている。

1950年(昭和25年)、52歳。東横映画で『レ・ミゼラブル あゝ無情(第一部)』を監督。戦前についでのリメイクを行う。

1951年(昭和26年)、53歳。松竹30周年記念映画『大江戸五人男』を阪東妻三郎、市川右太衛門ら、オールスターを迎えて製作し、人気を博した。
1958年(昭和33年)、60歳。大映京都で『弁天小僧』を監督。
1960年(昭和36年)、62歳。大映京都で『切られ与三郎』を監督。この2作品は大映スター市川雷蔵のために撮られた作品で、歌舞伎の様式美を意識した映像が話題なり、評価された。
また、1965年(昭和40年)、雷蔵主演の「眠狂四郎シリーズ」の『眠狂四郎無頼剣』、1966年(昭和41年)に勝新太郎主演の「座頭市シリーズの『座頭市地獄旅』に脚本を提供、大映の2大人気シリーズに関わる。
1970年(昭和45年)、72歳。中村プロダクションで撮った『幕末』が最後の監督作品になった。
その後、晩年は萬屋錦之介の舞台の脚本や演出を手がけています。

このように、伊藤大輔先生はまぎれもなく、「日本映画界・時代劇の父」です。
実際に演出や脚本を書いてみると実感出来るのですが、その時代の「生活習慣」や「価値観」を自分で決めておかないと先に進めません。例えば、「武士」が上司に挨拶する台詞と、「町人」が親方に挨拶する台詞、「任侠/渡世人」が人と挨拶をする台詞は、明らかに違っていなければウソです。
でも、それを知らなければ台本は書けませんね。こんな些細なことまで、「時代劇の台詞のルール」まで決めたのは伊藤先生でした。
御用提灯は刀で斬りつけていいのか…とかいう役者のこまかい動作、というか、どうでもいいようなことにも決めていった人が伊藤先生です。

経済記者だった頃、なんの因果か、中村錦之助さんを取材しました。加藤泰監督の「宮本武蔵-巌流島の決闘」が封切られてしばらく経って、渋谷の彼の事務所で取材しました。そのとき「台詞の発音は伊藤先生からたくさん教えてもらいましたねぇ」とか「伊藤さんがそう言ってたよ」とか…。伊藤大輔さんのことを中村錦之助さんは随分口にしていたのがいまでも記憶から消えることがありません。

さて、時代劇とは、だいたい4つの分野があります。
「赤穂浪士」でお馴染みの時代劇は、「武士もの」とか「殿中もの」といわれます。
黒澤明監督の「用心棒」は、「浪人もの」といいます。
両者の作品の台詞は、「武家用語」がきほんです。

「股旅もの」「任侠もの」という作品は、「やくざ映画」と言った方がわかりやすいでしょうか。台詞の特徴は、武士ものとは反対で、リズミカルに切れ味のいい小気味よさが耳に残ります。

もうひとつが、「一心太助」のような「町人もの」があります。

「武士が演じられて、股旅ものもピタリと演じられ、町人ものも自然にこなせる役者」という役者は日本映画界ではそうそういませんが、これが出来た役者がいます。中村錦之助(萬屋錦之介)です。
三船敏郎さんの「股旅もの」「町人もの」は、連想しにくいですね。むしろ、「浪人もの」「武家もの」がよく似合います。市川雷蔵さんもいいけれど、「町人もの」のリズミカルで切れ味のいい台詞回しよりも、じっくりと整った台詞を、情の世界に浸ったように語りかける姿が似合います。

e0013640_4185123.jpg伊藤大輔先生が中村錦之助とコンビを組んで「反逆児」を撮影したのが、1961年(昭和36年)のこと。大佛次郎の新作歌舞伎(戯曲)『築山殿始末』を伊藤大輔の脚本・監督で映画化した時代劇です。徳川家康の嫡男として生まれながら若くして悲劇的な死を遂げた松平信康(三郎信康)の生涯を描いた物語です。映画界を去った後でも、萬屋錦之介の舞台でたびたび「反逆児」の公演を演出しています。
同年、5月に加藤泰監督も「宮本武蔵」第1作を制作。「反逆児」の制作は11月でした。
同じ時代劇であり、同じ役者でながら一方は泥だらけの傷だらけ。いかにも粗暴な若者・新免武蔵を演じて、「反逆児」では時代絵巻から抜け出たようなおしゃれな衣装をふんだんに使い、理知的で自分のこころに誠実に生きようとする青年武士を見事に演じきっています…。

こういう役者はきっと伊藤先生にもかわいがられていたはずです…。



稲垣浩監督は、伊藤先生が1925年(大正14年)、27歳で独立して「伊藤映画研究所」(伊藤大輔プロダクション)を設立したときの研究生でした。伊藤先生は稲垣監督とは7歳先輩です。稲垣監督は黒澤監督とは、5歳先輩です。ですから、伊藤先生と黒澤監督は、干支で言う「ひと廻り」違います。干支はふたりとも「戌年」です。
この三人の共通点は「時代劇」であり、「活劇」で人気を博しているという点です。

伊藤先生は映画人だけでなく多くの創作活動家たちからも「先生」と呼ばれています。伊藤先生がもし映画界にいなかったら「日本の時代劇」はなかったかもしれない…いや、あったにせよ、今日の様相を呈することはなかったかもしれませんね。

10月12日は、伊藤大輔先生の誕生日でした。この日までにこの原稿をアップしたかったのですが…体調がすぐれず…ごめん…なさい。

ということで、しばらくはボクの道楽、映画と舞台の話を書きます。退屈すると思うけど、知っていれば損のない話、知れば映画が10倍楽しく見られる情報になると思いますが…記事にしていきましょう。まずは、得意の分野、映画シナリオ作家たちのお話をしようと思ってます。


…まさみ…
# by masami-ny55 | 2013-10-18 03:56 | 日記

食べる道楽 …本日はここ!

明日、「抗がん剤投与」の日。ということは、また副作用が強く感じてしまう日々がやってくる…。

食べることが今の道楽。食べられるうちにどんどん食べておきましょうと、ボクは自分にそう言い聞かせる。そして、このお店もそんなボクが見つけました。
新富町からすぐ、屋号は「八十郎 築地」(03-6264-0986)と、いいました。
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ここで食べたのは、以下の写真ですが、ここはお安い! しかも、おいしいですよ。
オナゴどもが大勢いるお店は、「いい店」と言われていますが、「安い」だけではダメで、「安い 旨い 楽しい」の三拍子がそろわないと、オナゴらは来ません。これだけ来ていれば、絶対に保証付きでしょ! 確かに電話したら「予約をしていただければなんとかお席は…」という店長さんに言われたほどです。繁盛してます!
ではでは…早速、ご注文して食べまくったお料理をご紹介しますね。
6人で行きました。結局ワリカンにしてひとり、3000円程度…いや、もう少し安かったかも…。
とにかく、参考にしてください。

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クレソンとパルミジャーノのサラダ ¥680

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米沢豚のパテ・ド・カンパーニュ ¥580

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ハモン生ハムとマンゴのサラダ ¥680

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アンチョビとキャベツのソテー ¥480

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本日の鮮魚のカルパッチョ ¥880

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ノルウェーサーモンのガダイフ揚げ・タルタルソース添え ¥980(オナゴどもが感動してた)

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生ハムのコカ(スペイン風ピザ)¥580

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たっぷり野菜のボンゴレパスタ ¥780(下記同様、パスタは間違いないです!)

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しらすと香味野菜のペペロンチーノ ¥780

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シャラン産鴨もも肉のコンフィ ¥1180(メインはこれ! 超おすすめ!)

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濃厚バニラアイスの甘口シェリーがけ ¥280

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ピスタチオのクリームブリュレ ¥380


銀座近くなに、こんなうまくてお安い、お店を見つけました、ハイ。
「ビレッジにあるお店をぎゅっと小さくした感じだね」とは、オナゴたちの感想。満足げ、でした。

…まさみ…
# by masami-ny55 | 2013-10-15 22:56 | 日記


東京の日常生活と、仲間たちとの交遊録


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