友達からの便り

ラッセルご夫婦が見舞いに来てくれた。
マキちゃんが今日、突然「(奥さんの)妙子も一緒に窺います」と言ってきたから楽しみに待っていた。そう思っていたら、おやおや懐かしいご主人・ラッセルも一緒。うれしい再会だ。

うれしくなった…。
羊羹とクッキーを頂いた。なんでも、サンフランシスコのの郊外に建てたプール付きの我が家は、無事に完成したようだが、日本で仕事をすることにしたので、住まないまま、売りに出したそうだ。

くやしいから、見ない…!

あらあら…。
日本での仕事は最低三年間になる、と言う…。

元気そう!

と、言ってくれる。なによりも、うれしいことばだ。
言われた分だけ、ボクはまた「元気」になってしまう…。

頑張って!

と、ラッセル夫婦は帰り際にそう言ってくれた。

ああ、頑張るよ! と、ボクは言う。
友達は、何年経っても、そして、太平洋を挟んた遠い国に住んでいても、5年ぶりに会おうとも、友達感覚は薄らぐことはない。

本日、ついに手術の日が言い渡された…。
そして明日もまた今日以上の検査が午前から始まる…

いま、岡田君が電話をくれた。明日、検査が済んだ午後に来る。きっと明日は舞台の話になる…。

ここは都内でも有名な病院で、まわりはボクと同じ「がん患者」だけ。
こんな場所にいると、ついつい子規を想う…。
ボクが子規の名前を口にするとは、学生時代の自分には想いもしなかったことだ。あの頃は、「愛」だの、「情熱」だのと騒いでいただけだったから。それだけボクも、歳を重ね、生きること自体がすばらしいことを知る。親が他界し、友が他界した…このボクの現実の人生のなかで。
子規の交友録がボクにはおもしろく感じる。夏目漱石も「漱石」とのペンネームは子規から貰った。

子規と漱石といえば…、ボクは勝手に歴史を見ているけれど、漱石にとって子規は「命の恩人」だと想う。もっとも、漱石自身がそう思っているかは別だが…。もし、子規が死んだ後にしても「ホトトギス」が廃刊になっていたら、「吾輩は猫である」はこの世に生まれていなかったかも知れない…。
子規は漱石の文才を一番始めに見抜いた人ではなかったろうか…と、ボクは想っている。

e0013640_22252436.jpg子規が漱石に手紙を送っているが、その手紙を漱石は子規の死後10年も放置して、ようやく表具屋に、懸物にしてもらっている。
そこには、

東菊 活けて置きけり 火の国に 住みける君の 帰り来るがね

の、一句と「画」が描かれてあった。
描かれた「画」の論評をくどくどしく綴る…。明治45年、と言えば漱石はすでに世間から大文豪、の肩書きを頂いていたことだろう。子規と出逢った頃のような貧弱さもひ弱さも癒えて、堂々とした感じになっていただろう…。

ボクは想う、このくどくどしい論評に、どこか漱石の「あわれさ」を感じる。子規の創作力には到底自分は及ばない、という自覚を見抜かれまいとする「現世・東大坊っちゃん」によく似ていた強がりに感じる。漱石が手にしているその手紙に書かれた「和歌」と「画」は、子規がこの世に残した「写実」である。「写実」を言い始めた人は、明治の若者・子規だったし、実践してのもまた、子規自身である。おそらく子規にとっては「愛」だの「恋」だの…は、写実の世界から離れた「飾り物」であったに違いない…。
愛と慈悲は違いすぎる…。

「のぼる、ありがとう」「忘れてたけど、飾ることにしたよ」
と、素直に書けばいいのに…とボクは想う。

子規の前に、漱石が百万いても、子規独りの「光」にはかなうまい。
子規の前に、与謝野晶子たちが百万群がろうとも、子規の「美」にはかなうまい。
子規の前にいるのは、子規の「友」である真之と妹・律が居る…


…まさみ…
# by masami-ny55 | 2014-06-25 22:07 | 日記

子規と律さん

仰臥漫録(ぎょうがまんろく)は正岡子規の闘病記だ。
人が生きるとはどんな姿か…を、これほど真正面から実践した人はいない。それをありのまま書き残した人もまた、いない。

ボクにとっての子規は、避けてきた人、だった。青春真っ只中の頃。もっとも無知で自意識過剰時代、青春…。その頃はだいたいの若者は異性がどうこうした、なんて物語を実践してしまう。愛こそすべて、みたいな勘違いの生き方を「善し」と思いがちだ…。なので、病気と闘った文人の書には、さほど魅力すら感じなかったし、じつは怖かった。うかつに「命」を論じる知恵もない…。

しかし、人生の歳を重ねたいま、子規はボクにとって「生きる豪傑」「生きる教師」「生きる手本」です。子規の前では、史上のいかなる豪傑、武将でもひれ伏すしかない。これほど生きる力を見せつけてくれた人は後にも先にも子規ひとりだけだ。子規の書き残したモノは、文芸作品などと曖昧な言い方では位置づけられない。ズバリ、生きる教材、だろう。男気、希望、友情、夢、旅、出逢いと別れ、希望と絶望、歓喜と落胆…すべて色濃く描いたし、また子規は事実、そう生き抜いた。

日本がまだ近代国家としては若かった頃。明治のはじめ、数多くの武人、文人が出たが、ボクにとって、子規はその中でもっとも輝いてみえる。

子規はその生涯で、いちども変えることがなかった志が、あの「写実」である。いやいや、そもそも「写実」とはなにか、を創り、完成させた人だ。現実をあるがまま受容する、ということ。わかるようだが実際は、なかなか難しい。だから習得するのに、時間がかかる。とくに、自分を知識階級と思っている人たちには、とくにそのようである。

子規にとっての観察とは、写実を作り出す手段だった。
目の前にある現実を、あるがまま写し取る…。痛みも、力も、叫びも、悔しさも、喜びも…色も形も、味も香りも…生きているこの世界をすべて、受け入れる。そこには、是非もなく、勝ち負けもなく、支配欲も所有欲もない…。そこにある全部を受け取る。まるで、飛んできた球をそのままキャッチするかのように。

自分の身体が自分では動かせけない床の上の世界が、子規のすべての世界だった。
ちっちゃな布団、そして愛用の地球儀…。

ボクは生きるために、いまこの病院にいる。
退屈する贅沢がある。子規の生き様と比べたら、ボクのがん病など、取るに足りぬだろう。なんとでもせい、と言う子規の声が聞こえてきそうだ…。

あれだけの病状でありながら、あれだけ自由を謳歌できたのには、訳がある、というのがボクの言い分だ。子規が生涯、あんなにも自由で生き続けられたのは、妹・律のおかげである。これだけは、間違いない、とボクは思う。だから、ボクは律さんが大好きだ。
あんな凄い妹をさずかった子規兄ちゃんがボクは、うらやましい…。できることなら、ボクはこのいまの世で「律」に会いたい。
…律。とってもとっても、不思議な女性、律さん。

子規が生きた時代には、まだペニシリンという特効薬がなかった時代だったから、子規の身体は結核菌に犯され、首、腹、尻などから膿が皮膚を切り裂き、破裂して穴が空いた。痛い、という範囲はもうとっくに超えている。その痛みから子規は、無念さと、悔しさ…あらやる「毒」を体験したむことだろう。
子規は痛みを我慢なんかしなかった。怒鳴り声を上げてうめき、叫んだ。痛みがないとき、俳句と写実画に没頭している…。そして、35歳の若さで世を去ってしまった…。

親友の秋山真之も、49歳の若さで他界した。原因は、盲腸炎である。

結核、盲腸炎…。もし、現代だったらこんなもの、木っ端微塵に粉砕してやる!
それがボクは悔しい…。不治の病、も、時が過ぎれば危険ランクの病から、快復できる病気にランクが下がる。このボクの「がん」もしかり、だ。

子規が居なくなって、漱石が居なくなって、真之が居なくなって、日本はあの頃よりも本当に「豊か」になったのだろうか…。医学は進歩し、明治の頃より人の命が延びている。人はあの若き時代・明治の頃に比べれば、戦さ場に送られることはないし、難病と闘う人々も激減した。

だが、現代日本には「子規」が居ないし、「真之」も「漱石」も居ない。
まして、ボクがあこがれる人・「律さん」の影は、もうどこにも見当たらない。探しようもない…。

あの時代よりも、ボクの生きている時代では、人は生きている時間が長い。
でも、明治の若者たちが命を賭けてまで望んだ「豊かな国」になっているのか…

戦いのない、だれもが「自由」を謳歌する「平らな世界」になったのか…。

律さん、まだまだボクは生きてみますので、頑張れ、と声を掛け続けて下さいね。


…まさみ…
# by masami-ny55 | 2014-06-24 21:19 | 日記

明治の青春とボクたちの青春

「これ、戦闘服です。ガンバって行ってきてください! 絶対に元気で戻ってきてください!」
まるで、旅順攻囲戦にでも参戦するかのように仰々しい。
戦闘服、と言って手渡してくれたけれど、中身は「パジャマ」。要は、「肝臓がん」の手術を無事に終わらせて、元気で戻ってきてくださいよ、ということなのです。

e0013640_17332155.jpgこんな芝居じみた事をしたのは、旧友の小倉一郎君です。
小倉君といえば、テレビドラマ「俺たちの朝」で多くの人たちに知られていますが、彼の代表作のほとんどは映画です。
市川崑監督の「股旅」、吾輩は猫である(1975年、東宝)、真田幸村の謀略(1979年、東映)、天城越え(1983年、松竹)など数多いけれど、ボクはなんといっても、深作欣二監督作品の「仁義なき戦い- 頂上作戦」(1974年、東映)をあげます…。
小倉君は、青春ドラマの名脇役として未だに多くの人たちに記憶されていますが、本来は映画人なのです。
そんな彼とはもう、ん10年のつきあいになりました。
ボクがまだ学生時代、いまの朝日テレビ(旧NET)でFDのバイトをしていたときに出逢ったのが小倉君だった。彼はまだあの頃、高校生だった…。ボクが芸術学部だと知ると、彼は妙にボクになついた。そのはずで、芸術学部の附属高校に江古田高校があり、そこの学生が小倉君だった。ところが、例の全共闘時代だったので、学園紛争に巻き込まれて江古田高校は廃校になった…。先輩として、小倉君たちにはなんと謝罪したらいいのか…、というボクの青春があるけれど、小倉君はそんなボクの青春時代の2分の1程度は知っているはず。それほどあの頃は仲間たちと様々なことをしていた…。
お金がなかったけれど、大学の機材である18ミリカメラ撮影機で映画を創った。スタジオはすべて学校の設備だ。音響は放送学科の仲間で、音楽はもちろん音楽学科の演奏家たちだった…。
芝居はシェイクスピアの戯曲ばかり狙い撃ちして演出したり…。お金がなかったから食事はせず、100円玉があれば文芸座で映画が見られた…。

バイト料が入ると、みんなで食事に行って騒ぐ。渋谷の自宅には戻らず、オナゴと生活をしていたし…。とにかく、なにをしていたのか、思い返すとゾッとする。世間知らずの青年がただただ懸命に生きた…。人はああいう生活を、きっと、青春、と呼んでくれるのだろうけれど、当事者は心の底から恥ずかしさでいっぱいだ…。

小倉君の事務所でラジオ台本を書く。 自分の台本がラジオ放送されると、おもしろかったけれどそれ以上の感動はわいてこなかった…。

オナゴはボクになにも言わず出て行った。バイト先はテレビ局から撮影所に変わっていた頃だ。そのバイト先にオナゴから厚ぼったい封書が届く…。要するに、さようなら、と書きたかったのだろう…。オナゴはボクとは別れて、サラリーマン編集者と結婚したという。けれど、最近知ったのだが、彼女は「食道がん」で他界した…との報告を聞いた。

若いときからそうだが、ボクは最後の大事な場面になると必ずフられるようになっている。二股を掛けられて、ボクはオナゴから選ばれたためしがなかった…。武蔵美のオナゴも言っていた。その頃のボクは「まさみって友達としては世界一だけど、恋人となると最悪だよね」と。実に明確に言われた。それは、小倉君も知っているし、ボクと一緒にいたあの頃の仲間は全員が知っている…。
フられるたびに、「またですか…」と、呆れられた。

そして、ボクはこんな青春から這い出るつもりで、新聞記者になろうと思った…。
独りよがりの生き方をやめて、世間とともに生きようとおもった。知らない世間を知りたいとも思ったし、知らない人たちと出来るだけ多く出逢いたいとも願った…。いつもいつもおんなじ仲間と、おんなじ話ばかり繰り返している生活をしても自分の成長はないと、はっきりと感じた…。新聞記者ならそれが出来る! と…。

記者生活を始めてから、青春時代の仲間たちとはすっかり縁が切れたようになってしまった。演劇も音楽もなくなって、映画を見る程度になってしまった。渋谷の繁華街から、夜の蝶々が飛び交う銀座に通うことになる…。

あれから…ん10年も経った。ボクが「がん」になったとたん、旧友たちが集まってきた。また、何かを始めたがっているような「殺気」さえ感じてしまう…。相も変わらずみんな、若い。

小倉君はボクの脚本・演出の「ユーガットメール」を知って、「出る!」と言う。
「よし! どんな役でもいいよなッ」と、念を押しておいた。

「坊っちゃんからの手紙」である。
正岡子規と妹・律、その親友が秋山真之。上京して夏目漱石と出会う。10歳年下に与謝野晶子がいた…。全員が明治の「坊っちゃん」であったし、「お嬢様」だった。

写実を俳句に反映させた子規…。思いつくままに…。


柿くへば 鐘が鳴るなり 法隆寺

稲の秋 命拾うて もどりけり

君を送りて 思うことあり 蚊帳に泣く

暑い日は 思ひ出せよ ふじの山


e0013640_19442895.jpg懸命に生きた明治の青春群像を、ボクはこの度「描く」ことにしました。
オノコたちとオナゴたちの、痛々しいほど透き通った交友をボクは「明治の歌」と「俳句と和歌」と、そして、いつもの「手紙」で創り出してみますね。

病院で書いているかも…ね。
みんな、見に来てください。ボクの青春を土台にして、明治の若者たちを「描いて」みますから。
小倉君がどんな役を演じるのか…お楽しみに、ね。岡田君との共演があるし、それにほら、そう、恒例の三千代さんの「手紙の朗読」もあるし…。
誰がどんな役回りになっているのか…それを楽しみになさって、何卒、会場までお越し下さいませ。


…まさみ…
# by masami-ny55 | 2014-06-19 03:44 | 日記

これが今度の「夏舞台」!

これです。
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# by masami-ny55 | 2014-06-09 19:10 | 日記

「犬の心臓」…

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「犬の心臓」を観てきました。
上野駅からほど近いマンションの地下にある小ホールで、2時間の舞台でしたが、あっという間に時は流れました…。


久々に手応えのある芝居を観てきたって実感。
脚本・演出は原田一樹さんです。
俳優座の方々がマジってのお芝居を観るのは…久しぶり。文学座の面々とか、劇団AUN(主宰・吉田鋼太郎さん)とかは多いのですが…。


初日と言うこともあり、まだ役者さん達の絡みが馴染んでいない感はありましたが、とっても楽しい舞台でしたね。まあ、原作・ブルガーゴフの『ロシア現代劇』と看板に掲げられると、ちと、身構える人たちもいるかも知れません。でも、これは…日本で言えば、漱石の「猫」的であり、中島敦の「山月記」的なお話しとにてます…と、言っておいた方が取っつきやすいでしょう。


注文があるとしたら、もっと笑わせて欲しかったなあ…。
ちと、身構えて演じていた感が最後まで続いていたようです。カーテンコールも、あんな難しい表情をしたままなら、つまり、演技のままで登場するなら、カーテンコールはしなくていいかも…。「小難しい芝居です」なんて、前面に押し出す必要なんてないとボクは思いますが、いかがなものでしょうか。

というのも、今回の舞台は「本邦初」とも言っていいほど、珍しい舞台です。
かといって、「ソ連時代には、絶対に原作の発行は許されなかったという逸話を持つ作品」という側面を臭わす必要なんてない、とボクは言います。日本でも、こういうお芝居がもっと大衆的に広がっていいと思うからです。難しくしたがるのが、戦後の演劇傾向なので、なかなか気軽に芝居見物ってわけにはいかない…と、ならないようにしないと、ね。

漱石の「猫」も「坊ちゃん」も所詮、大衆小説です。
でも、「よく読んでいくと…いろいろと…」という読後感を小難しく掲げると、いらぬ力が漂って、その余分な力が舞台から観客に感染して、観客達の微笑みと楽しさを消していきますね。このお話は、喜劇なのですが、こういう演出をしたかったのかな…とさえ思えてきますが…。

いずれにせよ、この舞台は一見の価値は十分ありますし、そもそも飽きずに最後まで「で、で、で、どうなのよぉ?」と自分なりに展開予想を立てながらお芝居を観られます。

吉野悠我さんが問題の「犬」役! おかしい~ッ。餌をあげたくなりましたワン。
ポリメンターリ医師役の志村史人さん、ジーナ役の安藤みどりさん、そして気になった役者さんがフョードル役の森下高志さん…。

ボクはとってもこの舞台が気に入ったので、楽日もみんなで見に行こうと思って、予約しちゃいました!

中島敦「山月記」や「悟浄歎異―沙門悟浄の手記―」は、青春の文学街道ではだれもが通る標識です。梶井の「檸檬」にしても、牧野の「西瓜喰ふ人」「地球儀」などもそうだが現実生活の中に突然、異物が飛び込んだら…、異物を発見したら…。今回の舞台もそんな青春の名残りさえ蘇ってきましたね…。

もう少し、ワンワン、とワラワしてほしいのです、ボクには。
ボクの好みは…ですねぇ…ジェーン オースティン「高慢と偏見」で~す。そう、現代的に言えば「ラブコメ」なんです。
ちと、昔ならトムとメグの「ユーガットメール」でしょ、もっと昔ならジャック レモンとシャーリー マックレーンの「アパートの鍵貸します」とか…。
ああいうお話が好きです。ハッピーエンド…です!
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あとは、日本の時代劇…これはもうあきらめてます。だって、いま例えば「七人の侍」のキャスティングができます? ね、誰もいないでしょ! ちと、いやみったらしいのでこの辺で…と、思いましたが、「ジャック レモン」で思い出しました。この役者さんは優等生的雰囲気ではない。ただ、どことなく若い頃から「男の哀愁」「やさしさ」「せつなさ」を感じさせる役者さんでしたが、いまその残像を、吉野悠我さんに感じています。

…まさみ…
# by masami-ny55 | 2014-04-24 03:42 | 日記

再会が続く…

8月に「坊っちゃんからの手紙」と題して、夏目漱石の初期作「坊っちゃん」を題材にして、明治ロマンを展開して、友情、あこがれ、男気質などの人間味を音楽と手紙で表現してみようと思いました。

そんな事を思っていても、なかなかキャストが揃いません。今日、ソプラノの茂木理さんとお会い出来ました。さっそく巣鴨のカラオケでオーディション。いろいろとやれる人でした。オペラのアリアから唱歌、ミュージカルソング、それと演歌まで。今回の芝居の趣旨を伝えたら「わッ、それはおもしろそうですねぇ」と、台本が出来る前から楽しそうです。

そんな事をしていたら、ふと、旧友・小倉一郎君を思い出しました。深作欣二監督の「仁義なき戦い-頂上作戦」での演技は未だに映画ファンの語り草になっている…。小倉君はいまでは、俳句の先生をしたり、中学生たちの演技指導をしたり、たまにテレビに出演している。
彼がまだ日活の子役から青年期になる頃、ボクは大学生1年でNETでバイトをしていたのです。報道番組のFDでした。そのスタジオの隣でドラマを撮っていた出演者の中に彼がいました。それがきっかけで、いろいろと話をしたり、渋谷でジャズ喫茶でレコードきいたり…。映画を撮ったり(これは途中で挫折)、ボクの青春時代を知る数少ない旧友です。
とにかく、所属事務所を捜して、連絡を待っていました。
まったく変わらないあの声で「小倉で~~す」とボクの携帯にかかってきました。
「ボクも…さんのことを捜しまくってたんですよ。とにかく会いましょう」と、何10年ものブランクを感じない世間話も。

新聞記者時代はほとんど会うことがなかったけれど、記者業を札業してから、不思議なもので様々な人たちと再会が続いています…。まさか、ボクが劇作家としてもやっているとは…、彼の反応が気になります…。

…まさみ…
# by masami-ny55 | 2014-04-18 02:06 | 日記

23年ぶりの再会…ちと、メロドラマ的?

ふと思い立って「あの人」に連絡を取りたくなる…って経験のある人は多いでしょう。
「あの人」はいま、なにをしているんだろう…と。
ボクは今日、突然、旧友のことを思い出しました。FT君です。彼は確か、ガン患者に向けた雑誌を編集していたはずだ…と、突然思い出したのです。ボクはいつでもこんな調子なので、思い立ったら直ぐ行動です。彼と無性に話がしたくなって、あれこれ捜していたら見付けました。
早速、電話です。

事務所の人が電話に出て、「実はFTは昨年2月にガンで他界しました…」と、いう。
「ボクはFT君と昔の友人で、…まさみといいますが、ボクもガンになって…」と言ったところで、電話口の女性が「もしかして、…君?! 私、R子です」と、名乗った。FT君の奥様であり、ボクの青春時代を証言出来る数少ない女性です…。

話が尽きません、「ねぇ、今日会って話をしようよ」となり、R子さんの事務所はなんとまあお茶の水でしたから、ここ本郷とは目と鼻の先。で、さっそく御茶ノ水駅で合流。そのままクルマで板橋まで。彼女はお肉が好物だったことをボクは覚えているので、板橋の行きつけの中華店へ。

夫を亡くしていろいろと大変だった、その話を聞きました。FT君の最期のことばも聞きました。
ボクとFT君とは浜松町にある出版社で出逢いました。編集マンとしてFT君は腕のいい青年でした。不慣れなボクにいろいろと教えてくれました…。

その頃の1年前、大学時代から成城にある映画会社で演出部にいました。その時代、同棲生活です。で、ある日のこと、女性とケンカになって帰ってきたら誰もいません…。彼女は「別れるって言われてもいい…男の人と会ってきたのよ」。「だからなんだよ、ボクだってオナゴと会うけど」とかなんとか…。結局彼女はボクの勤め先に分厚い封書の手紙を送ってきた後、作家と結婚しました。
彼女がいなくなったアパートにいるのは、悲しすぎるから、ボクは彼女の親友であるR子さんが近所にいることを知っていたので、尋ねました。その晩、泊めてもらいました…。
その後、ボクはR子さんと生活を始めました。映画製作をしているロケ地に着いてきましたし、映画台本を見せてあげたり、ドラマの現場の様子を話したり…ケンカもしたり…。

R子さんとは結局友達のまま時が流れました。そして、ボクが映像と音楽から離れて出版社で務めはじめたとき、R子さんをFT君に紹介したら二人はなんと結婚したのです。
ボクはあのとき、ものすごくうれしかった。FT君がR子さんを人生の伴侶として選んだことに無性にうれしかった…。FT君にボク言いました。「R子を幸せにしろなッ、絶対だかんね…おめでとう」って。

あれから30年…。
R子さんと会わなくなって23年。まさか、こんな話になっているとは。
23年ぶりに会ったR子さんが、
「ちっとも変わってないねッ、派手なクルマに乗ってるし…」
「そういえば、R子さんの親友どうしてる?」
「彼女、ガンで亡くなったのよ」

んーー。やはり…。
以前、検索していたらたまたま彼女の名前が出てきて、ガンで亡くなったという記事だった…。
本人だったのか、と。
「結局残ったのはボクとR子さんだけか」
「まさみ君はあの頃、青春破滅型みたいに生きてたね、危なっかしい人に見えた」
そうだったかもしれない…どこか中原中也みたいに生きているってR子の親友がボクにそう言っていた…。

突然会うことにしたから、お土産がない。手ぶらで会うのもなんだし…。そこで「ユーガットメール」のパンフを過去数回に亘って持って見せた。

「えっ、舞台? 音楽劇…そうなんだ。結局まさみ君はまた元に戻ってきたんだ。なんだか…うれしい」
そう言ってくれた。

23年のブランクは感じない。いつものふたりが他愛のない会話を楽しむかのように、他の人たちからはそう映っていたことだろう…。


…まさみ…
# by masami-ny55 | 2014-04-03 23:47 | 日記

「好中球」と「腕時計」

いまもその名をとどろかす吉行先生の随筆本に「なんのせいか」という一冊がある。ボクの大学時代、女性とケンカになって会ってもらえず、混乱していた最中、江古田の古本屋さんで見つけたのが、この本。文芸学科にいるのに、吉行先生を知らなかったとは恥です、ボクって。
ま、とにかく吉行淳之介先生の著作を買い求めて、毎日読みふけってしまった。
その中に息づく男のやさしさに共感していました。…いまだにあの時期のことは、いい想い出です。

ところで、最近「好中球(こうちゅうきゅう)」ということばに出逢った…。
なんのことか…。MLBが開幕したから、その話題かな…と、思われた人もいるでしょう。まさに、絶好球以上の打者にとっては「ど真ん中の球」のことか…と。違います。

野球用語ではないのです。医学用語…でしょう、これは。
白血球には5種類あるそうですが、そのひとつがこの「好中球」。好中球の役目は、要するに「軍隊の強者たち」です。バイ菌が体内に侵入したらその「悪漢たち」と戦闘開始、一匹残らず退治するまで、戦闘をやめません。「悪」がいなくなるまで徹底的に戦い続けます。体を守る兵隊さんですから、その数は多い方がいいのです。なんだか、人海戦術の中国・水滸伝みたいな話ですが、そう思われてもいいです。ふつうの人なら、白血球全体の50%以上が平均だそうですが、ボクは昨日の検査結果で40%以上になっていました。
それを見たボクの命の恩人先生が「順調に回復していますよ」と、まあ、なんとも珍しくボクの体の快復を祝福してくれちゃったのでありますよ!
で、ボクは恥も外聞もかなぐり捨てて、質問しちゃった。
ボク「先生…」
先生「んーー?」
ボク「最近なんですけど…あのですね、…つまりとくに朝ですが、すごく元気になっちゃって…痛いくらい…で。先生、つまりそのアレしちゃっていいんですかねぇ…」
先生「あっ、それね、ドンドンやっちゃってください。体調がいい証拠ですから」
と、あっけらかんとおっしゃった。

こんな質問ができるようになったのも、医療関係のことばに関心が向くようになったことも、命の恩人のことばに感動する自分に出会えたことも、そしてボクにはこんなに沢山、ともに生きて、支えてくれる人たちがいることも、そんなことを改めて実感できたのは、明らかに「ガン」になってからである。
ちと、折れそうだったボクの心に生きる力が蘇り、学生時代にやり残したことをはじめたのも、吉行先生風にたとえれば、みんなみんな「ガンのせい」であり、「ガンのおかげ」だ。
心臓病にになった行きつけの珈琲店の親爺さんがボクに言いました。「身辺整理をしておいた方がいいよ」と。秋山ちえ子さんはその随筆「さよならを言う前に」のなかで身辺整理のことを書かれています。そうでしょうけど、ボクは身辺を整理するほど、ボクの身辺は広々としてないし…、まだまだやる気が学生時代のままだし…で。人生の大掃除をするには、まだまだ若すぎるので先にしておきます。そんなに年齢もたくさん取ってないとおもってるし…。

不思議なものです。ガンという最悪な病原菌を体内に抱えて、そのバイ菌を駆逐する「好中球」が活躍して退治してくれているけれど、ボクは「悪」に、生き方の「善」を確認させてもらえた。

e0013640_14463134.jpgそうそう、25年ぶりでなくした腕時計が戻ってきた…。過去に出会った人から小包がとどき、その中にこの腕時計が入っていたのです。革のベルトはボロボロになっていました。長い間、誰にも使われていない様子です。
ボクがまだ経済記者だった頃、アメリカで取材していたときに、小達君という青年が「これは、父親の形見なんですが」と言っていただいたのが、この腕時計。超薄型で手巻き、中2針です。MICHEL HERBELINというメーカーなのですが、日本にはお店を出していませんでした。で、25年も行方不明だったこの時計が戻ってきたので早速調べてみたら、なんとMICHEL HERBELINはつい最近、日本に進出していました。

なので、この腕時計も「検査入院」させてあげようと思いました。
日本のMICHEL HERBELINに電話したら、「古い時計ですね、私にはわかりませんが、検査はできます」と、とても親切な応答です。行って確かめてこようと思いました…。



生きていると、いろいろ起こります。だから、人はこんな刺激にうれしくて、楽しくて、生きていようと思うんでしょぅね。
みんな、生きよう!



…まさみ…
# by masami-ny55 | 2014-04-03 14:47 | 日記

ユーガットメール#12「星の王子さまからの手紙」終演!

とにかくも、大勢の人たちに感謝!
ユーガットメール#12「星の王子さまからの手紙」が満席(に近い状態)で終了しました。
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ボクのいのちの恩人である「王子病院」のO先生、看護師さんたちの全面的協力を得て、今回の作品が完成しました。
実は今回の作品はすでに昨年の8月公演以前、ボクがまだ入院していた一昨年、病室でぼんやりと考えていたことがきっかけでした。昨年8月公演の「優等生からの手紙」の主人公の名前ですが、これは明らかに王子病院のボクの先生のお名前をお借りしています。
8月のパンフは落ち着いた感じにして、来年はいのちの活動を象徴した「赤色」でいこう、とも考えていました…。

お見舞いに来てくれた人には、なんと言ってお礼を言うべきか、ことばが見つかりません。うれしかったのは、ミーミが毎日病院に来てくれていたことです…。韓国から来ている先生も、春日の仲間たち…様々な人たちが入院先に来てくれました…。岡田君までも…。

e0013640_12493260.jpgいのちの恩人…このことばが自分のことばとして実感したのは大病の手術をしたあとです。日増しに大きく心に響いてきました。
長い病院生活でしたから、暇があります。なので、ノートパソコンで暇つぶし。題して、「ボクのいのちの恩人リスト」です。真っ先に王子病院の先生と看護婦さんのお名前を書きました。そして、家族の名前…そしたら、なんとなんと、517人もの人の名前が書けました。
平均したら、1年に10人弱程度になります…。このリストを書いてみたらいろいろな時代が交錯しました。まるで時空を超えて飛び回っているようにさえ感じました…。
例えば…。
ボクはまったく記憶にないのですが、ボクが4才の頃に胸の病気になり、それが感染して弟が亡くなったと実母から聞かされていたことも思い出しました。渋谷の幼稚園に通っていた頃の先生の顔も思い出しました…。あの頃の友達と、遊び回った渋谷の路地と飲食店…。すべてがボクにいのちの輝きを教えてくれていました。スクリーンでは、多くの俳優さんたち、シナリオ作家に映画監督、歌手に漫才師…きりがないほど、ボクの心を刺激してくれた人たちの名前が飛び出してきました…。
このリストこそ、ボクが今まで生きてきた証、です。

e0013640_12495178.jpgこの感じをシナリオにしてみたらどうなるのかなあって…思った。そしたら、ああなったのです。
「星の王子さまからの手紙」って、ね。

で、ボクはまた思ったのですよ。
ボクにはこれだけのいのちの恩人がいるけど、ボクは人様のいのちの恩人になっているのかなあ…って。むしろ、毛嫌いされている人間なのかもって思うことが多くなりました。先日も…。つらい気持ちになりました…。

そしたら、無性に「中原中也」の歌声が聞こえてきます。
高校時代、文学に関心のある人が必ず通るところでもありますが、中也の生き様には共感するしないは別にしても、わかります、ああいう生き方をする青年がいると言うことはボクにはよくわかります。

まだ誰も映画や舞台に書かないこと…が、あることに最近気がついた。
「中原中也と太宰治の交友物語」です。2才年下の太宰が中原を敬愛していた様子など…、4才年下の与謝野晶子と「明星歌人の仲間たち」との関係…、山川登美子、石上露子たちの歌声、松井須磨子たちの音楽性…などが混じっていた大正ロマン時代。日本文学界の第2期黄金時代をシナリオにしたらどうなる…って、考えています。
白樺派と称する常識人、かつ、裕福なご家族のお坊ちゃまたちの文学と中也の叫び方は全然違う。どっちが生きている声か…。

さあ、皆様、ハンカチのご用意は出来ていますか? では、みなさま、いまからお涙頂戴の場面です! 泣いていただきますよぉ、泣いてください、さあ、どうぞ! 
…なんて、舞台はボクはダメなのですよ。
歌は歌として、物語は物語としてここにある、という区別が見ていて伝わる芝居が好きです。そう、歌舞伎の世界がボクの教科書です。観客になってみるとそれがよく分かります。子供たちが喜んでくれるお芝居、物語は、本物です…と、言うのがボクの持論。小難しい物語はボクは学生時代から避けてきましたから。

純粋のことばとは、体験したままのことばのこと。
その体験が「楽しい」なら、そのままにしておく。「かなしい」のなら、そのままにしておく。この、そのまま、を「純粋体験言語」といいます。
でもね、人って、とかく若い時分は、そのままにしておくことが出来ないようです。ジタバタするのであります。「悲しみ」から逃れようとして、自分よりも弱い人に八つ当たりしたり、お酒を沢山飲んで暴れたり、自分の体を傷つけたり…と。純粋な「悲しい体験-悲しさ」を自分が自分の手で「汚して」しまう。せっかくの純粋体験であると知りながらも、ズタズタに汚してしまう、そんな自分を悔やむ。その堂々めぐり…。

こんなことをするのが、青年時代の人たちのようです。
ボクは高校時代、そんな青年たちを無視してましたね。だから、「中原中也なんぞ、どこがいいんだよ!」なんて、豪語してました…。が、大人になるほどに、その頃のボクが中也の歌の中から確かに、確実に蘇ってきます。
深刻さをはぶいて、滑稽で楽しい生き生きとした物語をシナリオにしたら…どうなるでしょうか、ねぇ。
「中也と太宰」の交友に混ぜ合わせて、松井須磨子と抱月の歌声、与謝野晶子に山川登美子、石上露子の熱情の違い、そしてあの白樺派のお坊ちゃま作家たちを足し算したら…。

これなら、いつものファミリーコンサート「ユーガット」の舞台になるし、子供たちにも楽しめる「大正ロマン時代」になりそうでしょ!
もしかしたら、来年3月か8月にこんなシナリオで舞台を創ってみたいね。

そうそう、今年の8月公演は、
夏目漱石先生の作品を使って「坊ちゃんからの手紙」をやります!

よろしく、ね。

今回、初めての桜咲く3月公演。とっても盛況でした。
皆様に感謝!


…まさみ…
# by masami-ny55 | 2014-03-25 12:50 | 日記

公演迫る! 新作「春のユーガットメール」

このブログにはすっかりご無沙汰しました。

さてさて。
例年、夏休みにだけ創っていた音楽劇「ユーガットメール」でしたが、今年は3月にも公演をすることになりました。夏休みと春休みです。

ボクは小学生の頃から「春休み」が好きでした。夏休みは宿題が多かったけど、この休みばかりは宿題がまったくないときもあった。暖かくなるので、自転車であちこち行きたくなった…。自宅のあった渋谷のワシントンハイツあたりから東京タワーとか、二子玉川まで走った。桜が咲くので、田舎のおばあさんや親戚も渋谷に来て、父が運転するクルマで上野や浅草、靖国神社に行って、桜の花の下でお弁当を食べまくりました…。靖国神社は、田舎から来たおばあさんが必ず立ち寄り、ボクたちも父の運転で行きました。父の兄が特攻でなくなっているのでそのためここに春に来たものでした。
春。この季節は期待と不安が混じりました。
そう、進級の季節だから…。

そんなボクの気持ちは大人になったいまでも変わりません。春の季節にだけ感じるこの期待感と不安感…。出逢いの期待と別れの悲しさ、そんな面倒な季節がボクは好きなのです。

e0013640_19594856.jpgこの気持ちのまま、舞台を創ってみました。
題して、「ユーガットメール#12 星の王子さまからの手紙」です。
これが書き上げたシナリオで、実際に役者さんたちが使っている台本です。総ページは140ページになります。毎回、こんな台本をPCで書き上げて、自分で印刷製本してみんなに配ってます。

今回は、このまま演じたらなんとまあ、3時間程度の大舞台になっちゃう内容です。
シェイクスピアのヘンリー五世がはじまるのか? と、皆様を勘違いの世界にお誘いしたかと思った瞬間に明治時代にお連れします…。

今回の見所は、
1.クラシックバレエ「瀕死の白鳥」
おそらく、現代人でもこの演目をじっくり見られる舞台はないのではないかと…。まあ、どうあれこの演目が見られます! 
若き日本のバレリーナが堂々と演じますのでご覧ください!
2.歌舞伎「白浪五人男」をそのまま演じます。
花道から登場する場面から演じますから、ね。
3.合唱です。何を歌うかは、お楽しみに!

e0013640_20046.jpgそうだ! 書き忘れていました。今回のパンフは、保存版になるかも…。
というのは、出演者全員が「ユーガットの想い出」など原稿にしたからです。
いままでは見て楽しむパンフだったと思いますが、それとはひと味違って、読み応えのあるパンフに編集してあります。ごひいきの役者のナマの声を掲載してありますので、休憩中に読んでみてください。
岡田君の「特別寄稿」も掲載されていますし、柳沢三千代さんの「12年間の歩み」も楽しい読み物になっています…。

若い彼らが、ありったけの情熱をぶつけた舞台です。
8月の舞台とはひと味もふた味も違う、
「若い命が生きている」舞台です。
ご存分にお楽しみくださいませ!
e0013640_2003098.jpg

韓国で買ったハンヒョジュの栞をボクは使ってます!

…まさみ…
# by masami-ny55 | 2014-03-16 20:02 | 日記


東京の日常生活と、仲間たちとの交遊録


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