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「飢餓海峡」と「砂の器」の共通性

「飢餓海峡」と「砂の器」は、実によく似通った映画です。
2作品ともに原作が推理小説であることから、犯人捜しもしくはその動機を解明していく過程に観客は引きつけられていく。
内田吐夢(1898年生)監督・鈴木尚之脚本 「飢餓海峡」
と、
野村芳太郎(1919年生)監督・橋本忍脚本 「砂の器」

の決定的な相違は「音楽」の使い方でしょう。音楽担当の冨田勲さんと芥川也寸志さんですが、両人とも映画音楽界の重鎮です。
正直、「飢餓海峡」を見終わってもテーマ音楽が残っていませんでしたが、「砂の器」はその正反対。音楽がいいからCDがほしくなったほどでした…。

e0013640_1911859.jpg物語としての完成度は制作した時代からみて、
両作品は「ベスト1.」であったと思います。

高倉健の刑事と、丹波哲郎の刑事…
伴淳三郎の老刑事と、緒形拳の老いた元刑事…
犯人の三國連太郎と、加藤剛の演技…
左幸子の東北弁の演技と、島田陽子の都会の女性の演技…

台詞を比べてみても、実に似通っています…。




いつか、友だちを集めて、この2つの作品を映写してみようと思っています。違いと、共通性…。
日本風土という、映画的と言うより、文学的な表現で紹介すべき作品です。


…まさみ…
by masami-ny55 | 2013-10-28 18:47 | 日記

シナリオ作家「鈴木尚之」先生との出逢い

本棚にはこんな本があります。
学生時代、散々使った「日本シナリオ文学全集」のほかに、シナリオ作家協会が出版した「人とシナリオ」シリーズの数巻です。「井出雅人」、「橋本忍」、「新藤兼人」、「菊島隆三」などがありますが、なかでも最もお世話になっているのは…。

橋本忍さんの作品に「砂の器」(1974年10月19日公開、野村芳太郎監督 松竹)があります。
この映画をボクは「日本映画」での、最高峰と評価しています。橋本さんは皆様もご存じのように、黒澤明監督と長いコンビです。代表的な作品は、やっぱり「七人の侍」でしょう。
あるいは日本映画の代表は、溝口健二監督や小津安二郎監督の作品を筆頭にあげる人たちも大勢いると思いますし、その方が一般的であり、説得力があるでしょう。

ではボクがなぜ「砂の器」を最高峰の日本映画と評価しているか…。e0013640_57585.jpg

それはこの台本の、ソラ恐ろしさを感じてしまうほど、完璧な作品であることです。映画シナリオのすべてが投げ込まれていて、緊張感の継続、映像の自然感、無駄のないキャラクター設定など、観客が楽しめる要素が全部揃えてあることです。こんな台本は、まず他の人には思いもしなかったのではないか…と、今更ながらこの台本の偉大さを痛感しています。

伝統芸能である人形劇の人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)をご存知でしょうか?
太夫、三味線、人形遣いの「三業(さんぎょう)」で成り立つ三位一体の演芸です。「文楽」と言う方がおわかりでしょうか。

「太夫」とは、浄瑠璃語りのこと。これを、丹波哲郎が扮する「今西警視庁捜査一課警部補」の台詞に託しました。
「三味線」は、太棹の三味線を使う。これは、そうですね、音楽です。芥川也寸志さんが担当して、お弟子さんの菅野光亮さんが作曲した作品をドラマチックに東京交響楽団に演奏させました。
「人形遣い」は、古くは1つの人形を人の人形遣いが操っていたようですが、現在では3人で操っています。これを、名優・加藤嘉が扮する本浦千代吉、その息子・秀夫(少年期)に、春田和秀君、そして、緒形拳が扮する地元警察官・三木謙一の3人の葛藤をラストシーンに展開します。日本映画史上、最高の見所になりました。
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「七人の侍」と「砂の器」なら、現在でもロードショーで封切りしても間違えなく観客をよべる作品です。ただし、ノーカット版で放映しなくてはいけませんよ。

と、こんなにベタ褒めしていますが、橋本さんではないのですよ。
実は、「鈴木尚之」先生なのです。

e0013640_4384357.jpg要するに、一番見ている映画のシナリオ作家は鈴木先生だということ。こうして改めてふり返ってみると自分でも以外でした。
大病して退院した晩に観たのは、中村錦之助「宮本武蔵」でした。もう、何回観たことでしょうか…10回や20回ではないです。ただし、このDVDはひどい。思い切りカットしてありましたから。是非、ノーカット版の「宮本武蔵」を発売して欲しいものです。キンちゃんと言えば「沓掛時次郎・遊侠一匹」はボクにとっては、名作です。気になって「五番町夕霧樓」、「飢餓海峡」も観ますが、これも鈴木先生の台本なんですよ。

「人とシナリオ」シリーズの「鈴木尚之」の本の帯には、「日本映画の全盛期を彩った珠玉のシナリオ」と、ずいぶんと勇ましい紹介文が記されています。
「五番町夕霧樓」、「飢餓海峡」、「沓掛時次郎・遊侠一匹」、「おかね雲」、「婉という女」の鈴木先生の代表作が記載されています。


鈴木尚之先生とは一度も面識はないのですが、もっとも親近感を抱いてしまうシナリオライターです。というのも、鈴木先生は大学の先輩であること。ボクの最も好きな時代劇は、と問われると、黒澤明監督の「七人の侍」、「用心棒」でもありません。
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内田吐夢監督、中村錦之助主演の「宮本武蔵」全5巻なのです。大人になった今でも時代劇は、いの一番にボクは「キンちゃんの武蔵だろう」っています。この「武蔵」の台本、5本ともすべて鈴木先生の執筆なのです。
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何故ボクが「武蔵」が好きなのか…いまだに自分でも不明です。とにかくボクがはじめて日本の長編小説を読み切ったのが「宮本武蔵」だったからかも知れませんが…要は「武蔵」が大好きなのです。
片岡千恵蔵、三船敏郎なども「武蔵」を演じていますが、ボクにはピッタリきません。でも、キンちゃんの武蔵はドンピシャリ。以後、様々な役者が武蔵を演じていますが、原型はキンちゃんの武蔵ですね。まあ、「武蔵の教科書」とでもいいますが、そんな基礎を創った映画だとボクは思っています。
内田吐夢監督の執念の作品とまで伝説化した「宮本武蔵」の台本を書いた鈴木先生は、当時そうとう卓越したシナリオライターだったのだろうと、思いますよねぇ。ところが、違います。その正反対、まだ無名に近いライターだったんですよ。

鈴木先生は東映に勤務する月給1万9千円のサラリーマンでした。昭和30年頃の話です。映画が日本の娯楽の王者だった時代です。比佐芳武氏、日本シナリオ史の草分け的大先生です。この人を書き込むのはこのページではたりません。又の機会にしますが、この人の台本は当時もっとも高額で、1作100万円でした。新藤兼人、橋本忍、小国英雄各氏も高額ライターだったと伺ったことがあります。
いずれにしても、サラリーマンだった鈴木先生の仕事は、脚本課にいても台本を書くのではなくて、監督とシナリオ作家との愛だ゜に入って意見調節をしたり、会社の意向を伝えたりと、「進行係」をしていたのです。でも、鈴木先生は大作家のシナリオを直に読むことも仕事でした。
シナリオ作家としてのはじまりは、テレビで放送していた「時代劇番組」の台本を2,3本書き上げたことから始まっています。社員ライター、です。

鈴木先生は、シナリオ作家になったきっかけをご自分でも「自分でもよくわかりません」と応えておられます。内田吐夢監督から、「宮本武蔵」の台本を仕上げて、との依頼が鈴木先生が日本映画界のシナリオ作家としてのデビューだったと、ボクは思っています。もちろん、以前から台本は書いておられますが本格的なデビューはこの「宮本武蔵」でした…。
チャンスを生かしたシナリオ作家といえます。人が生きるってことは、まさに「ドラマ」です。

ついつい、自分の道楽をお調子に乗って載せさせていただきました、

…まさみ…
by masami-ny55 | 2013-10-23 04:32 | 日記

伊藤大輔監督 生誕115年記念

どんな分野でも、「もしこのとき…」「もしその人が…」との歴史観なくしては語れないことが多いものです。
映画の世界でも…同様です。

もし、伊藤大輔さんが松山中学(現・愛媛県立松山東高等学校)で伊丹万作らと同人雑誌を作り、中村草田男、大宅壮一らと文筆を競ったりしなかったとしたら…。おそらく、「文章を書く」「ものがたりを綴る」楽しさを知らないままの青春だったはずでしょう。卒業する頃、中学校教師だったお父様が亡くなって進学を断念して、そのまま呉海軍工廠に製図工として勤務しますが、さほど好きな仕事ではなかったようで長続きはしません。

22歳(1916年・大正9年)に文通相手だった小山内薫を頼って上京します。
この年が伊藤先生にとっても、日本映画界の将来にとっても大事な分岐点になっています。上京の理由は俗にう「赤狩り」でした。当時、共産党員のレッテルを公にされると人間関係にも支障が生じた時代でした。今の若い人たちにはなかなか理解できないでしょうが…まあ、労働組合の活動に参加しただけでも、そう見られてしまう時代だったそうで、伊藤先生も「演劇グループに参加した」だけでそんな風な風当たりです。
上京したのですが、伊丹万作と同居し、2月に創立された松竹キネマ付属の俳優学校(小山内が主宰)に入ることになります。その後、松竹、帝国キネマで数多くのシナリオを執筆していきました。

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伊藤先生は「イケメン」だったから、役者としても通用すると思いますが…。そこは、青年のビジョン「監督/脚本」への情熱は不動です。

ここで即席ですが、その後の伊藤先生の経歴を記しておきます。

1916年(大正9年)、小山内薫の推薦を受けて、ヘンリー・小谷監督の製作第1作『新生』のシナリオを執筆することになります。プロの仕事として、初めての執筆になったのです。
1924年(大正13年)、26歳。監督業は、国木田独歩原作の『酒中日記』でこの年に監督デビュー。
そしてそして、記念すべきことは、同年、時代劇第1作品となる『剣は裁く』を監督したのです。

1925年(大正14年)、27歳。独立して「伊藤映画研究所」(伊藤大輔プロダクション)を設立、稲垣浩、岡田時彦らが研究生所属。
同年、日活太秦撮影所に移り、まだ新人だった大河内傳次郎とコンビを組み、『長恨』、『流転』などの時代劇作品を監督、激しい乱闘シーンやアメリカ・ドイツ・ソ連など外国映画の影響を受けた大胆なカメラワークで注目を浴びる。
1927年(昭和2年)、29歳。映画史上に残る「金字塔」と称される傑作『忠次旅日記』三部作を発表。
一躍映画界を代表する存在になり、後世に大きな影響を与えた。この年監督した河部五郎主演の『下郎』も名作に数えられる。
この日活撮影所時代に「監督:伊藤大輔」、「主演:大河内傳次郎」、「撮影:唐沢弘光」の「ゴールデントリオ」が生まれ、サイレント末期の日本映画界をリードする旗手となった。「大河内傳次郎の丹下左膳」の人気を不動のものとする。

日本映画では1931年(昭和6年)の『マダムと女房』(松竹キネマ製作、五所平之助監督、田中絹代主演)が初の本格的なトーキー(発声映画)作品です。しかし、活動弁士が無声映画に語りを添える上映形態が主流だったため、トーキーが根付くにはかなり時間がかかったようです。
1936年(昭和11年)、38歳。伊丹万作、稲垣浩、池田義信、井上金太郎、小津安二郎、渡辺邦男、田坂具隆、成瀬巳喜男、村田実、牛原虚彦、内田吐夢、山本嘉次郎、山中貞雄、阿部豊、五所平之助、衣笠貞之助、木村荘十二、溝口健二、島津保次郎、清水宏、鈴木重吉、野村浩将と連名で「日本映画監督協会」を設立。

終戦後の1948年(昭和23年)、50歳。『王将』(大映京都)を撮り、健在を示した。
この作品はその後のライフワークとなり、その後、1955年(昭和30年)に新東宝で辰巳柳太郎を主演に『王将一代』、1962年(昭和37年)に東映東京で三國連太郎を主演に『王将』と、2度に渡りリメイクしている。

1950年(昭和25年)、52歳。東横映画で『レ・ミゼラブル あゝ無情(第一部)』を監督。戦前についでのリメイクを行う。

1951年(昭和26年)、53歳。松竹30周年記念映画『大江戸五人男』を阪東妻三郎、市川右太衛門ら、オールスターを迎えて製作し、人気を博した。
1958年(昭和33年)、60歳。大映京都で『弁天小僧』を監督。
1960年(昭和36年)、62歳。大映京都で『切られ与三郎』を監督。この2作品は大映スター市川雷蔵のために撮られた作品で、歌舞伎の様式美を意識した映像が話題なり、評価された。
また、1965年(昭和40年)、雷蔵主演の「眠狂四郎シリーズ」の『眠狂四郎無頼剣』、1966年(昭和41年)に勝新太郎主演の「座頭市シリーズの『座頭市地獄旅』に脚本を提供、大映の2大人気シリーズに関わる。
1970年(昭和45年)、72歳。中村プロダクションで撮った『幕末』が最後の監督作品になった。
その後、晩年は萬屋錦之介の舞台の脚本や演出を手がけています。

このように、伊藤大輔先生はまぎれもなく、「日本映画界・時代劇の父」です。
実際に演出や脚本を書いてみると実感出来るのですが、その時代の「生活習慣」や「価値観」を自分で決めておかないと先に進めません。例えば、「武士」が上司に挨拶する台詞と、「町人」が親方に挨拶する台詞、「任侠/渡世人」が人と挨拶をする台詞は、明らかに違っていなければウソです。
でも、それを知らなければ台本は書けませんね。こんな些細なことまで、「時代劇の台詞のルール」まで決めたのは伊藤先生でした。
御用提灯は刀で斬りつけていいのか…とかいう役者のこまかい動作、というか、どうでもいいようなことにも決めていった人が伊藤先生です。

経済記者だった頃、なんの因果か、中村錦之助さんを取材しました。加藤泰監督の「宮本武蔵-巌流島の決闘」が封切られてしばらく経って、渋谷の彼の事務所で取材しました。そのとき「台詞の発音は伊藤先生からたくさん教えてもらいましたねぇ」とか「伊藤さんがそう言ってたよ」とか…。伊藤大輔さんのことを中村錦之助さんは随分口にしていたのがいまでも記憶から消えることがありません。

さて、時代劇とは、だいたい4つの分野があります。
「赤穂浪士」でお馴染みの時代劇は、「武士もの」とか「殿中もの」といわれます。
黒澤明監督の「用心棒」は、「浪人もの」といいます。
両者の作品の台詞は、「武家用語」がきほんです。

「股旅もの」「任侠もの」という作品は、「やくざ映画」と言った方がわかりやすいでしょうか。台詞の特徴は、武士ものとは反対で、リズミカルに切れ味のいい小気味よさが耳に残ります。

もうひとつが、「一心太助」のような「町人もの」があります。

「武士が演じられて、股旅ものもピタリと演じられ、町人ものも自然にこなせる役者」という役者は日本映画界ではそうそういませんが、これが出来た役者がいます。中村錦之助(萬屋錦之介)です。
三船敏郎さんの「股旅もの」「町人もの」は、連想しにくいですね。むしろ、「浪人もの」「武家もの」がよく似合います。市川雷蔵さんもいいけれど、「町人もの」のリズミカルで切れ味のいい台詞回しよりも、じっくりと整った台詞を、情の世界に浸ったように語りかける姿が似合います。

e0013640_4185123.jpg伊藤大輔先生が中村錦之助とコンビを組んで「反逆児」を撮影したのが、1961年(昭和36年)のこと。大佛次郎の新作歌舞伎(戯曲)『築山殿始末』を伊藤大輔の脚本・監督で映画化した時代劇です。徳川家康の嫡男として生まれながら若くして悲劇的な死を遂げた松平信康(三郎信康)の生涯を描いた物語です。映画界を去った後でも、萬屋錦之介の舞台でたびたび「反逆児」の公演を演出しています。
同年、5月に加藤泰監督も「宮本武蔵」第1作を制作。「反逆児」の制作は11月でした。
同じ時代劇であり、同じ役者でながら一方は泥だらけの傷だらけ。いかにも粗暴な若者・新免武蔵を演じて、「反逆児」では時代絵巻から抜け出たようなおしゃれな衣装をふんだんに使い、理知的で自分のこころに誠実に生きようとする青年武士を見事に演じきっています…。

こういう役者はきっと伊藤先生にもかわいがられていたはずです…。



稲垣浩監督は、伊藤先生が1925年(大正14年)、27歳で独立して「伊藤映画研究所」(伊藤大輔プロダクション)を設立したときの研究生でした。伊藤先生は稲垣監督とは7歳先輩です。稲垣監督は黒澤監督とは、5歳先輩です。ですから、伊藤先生と黒澤監督は、干支で言う「ひと廻り」違います。干支はふたりとも「戌年」です。
この三人の共通点は「時代劇」であり、「活劇」で人気を博しているという点です。

伊藤先生は映画人だけでなく多くの創作活動家たちからも「先生」と呼ばれています。伊藤先生がもし映画界にいなかったら「日本の時代劇」はなかったかもしれない…いや、あったにせよ、今日の様相を呈することはなかったかもしれませんね。

10月12日は、伊藤大輔先生の誕生日でした。この日までにこの原稿をアップしたかったのですが…体調がすぐれず…ごめん…なさい。

ということで、しばらくはボクの道楽、映画と舞台の話を書きます。退屈すると思うけど、知っていれば損のない話、知れば映画が10倍楽しく見られる情報になると思いますが…記事にしていきましょう。まずは、得意の分野、映画シナリオ作家たちのお話をしようと思ってます。


…まさみ…
by masami-ny55 | 2013-10-18 03:56 | 日記

食べる道楽 …本日はここ!

明日、「抗がん剤投与」の日。ということは、また副作用が強く感じてしまう日々がやってくる…。

食べることが今の道楽。食べられるうちにどんどん食べておきましょうと、ボクは自分にそう言い聞かせる。そして、このお店もそんなボクが見つけました。
新富町からすぐ、屋号は「八十郎 築地」(03-6264-0986)と、いいました。
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ここで食べたのは、以下の写真ですが、ここはお安い! しかも、おいしいですよ。
オナゴどもが大勢いるお店は、「いい店」と言われていますが、「安い」だけではダメで、「安い 旨い 楽しい」の三拍子がそろわないと、オナゴらは来ません。これだけ来ていれば、絶対に保証付きでしょ! 確かに電話したら「予約をしていただければなんとかお席は…」という店長さんに言われたほどです。繁盛してます!
ではでは…早速、ご注文して食べまくったお料理をご紹介しますね。
6人で行きました。結局ワリカンにしてひとり、3000円程度…いや、もう少し安かったかも…。
とにかく、参考にしてください。

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クレソンとパルミジャーノのサラダ ¥680

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米沢豚のパテ・ド・カンパーニュ ¥580

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ハモン生ハムとマンゴのサラダ ¥680

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アンチョビとキャベツのソテー ¥480

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本日の鮮魚のカルパッチョ ¥880

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ノルウェーサーモンのガダイフ揚げ・タルタルソース添え ¥980(オナゴどもが感動してた)

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生ハムのコカ(スペイン風ピザ)¥580

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たっぷり野菜のボンゴレパスタ ¥780(下記同様、パスタは間違いないです!)

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しらすと香味野菜のペペロンチーノ ¥780

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シャラン産鴨もも肉のコンフィ ¥1180(メインはこれ! 超おすすめ!)

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濃厚バニラアイスの甘口シェリーがけ ¥280

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ピスタチオのクリームブリュレ ¥380


銀座近くなに、こんなうまくてお安い、お店を見つけました、ハイ。
「ビレッジにあるお店をぎゅっと小さくした感じだね」とは、オナゴたちの感想。満足げ、でした。

…まさみ…
by masami-ny55 | 2013-10-15 22:56 | 日記

「ヴァン ア ビブリオテイク」で「鴨のオレンジ煮」

これがこのお店の「鴨のオレンジ煮」です。
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料理長が特別に作ってくださいました。40数年ぶりの懐かしい味でした…。

ついでに、ボクたち10人で出向いたのですが、お店でいただいたすべてのメニューを紹介して書きましょう。
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お酒類はいただいていません。ソフトドリンクだけでしたが、料金はひとりあたり4500円程度ですみました。とても「お安く感じる」ほど、お料理が美味しかったのです…、ハイ。

お店の名前は、「ヴァン ア ビブリオテイク」で、東銀座の歌舞伎座前にある「東劇」がありますが、その裏手にあるお店です。帰りは、料理長がご挨拶に出てくれました…。
いい時、いい友、いい味でした。


…まさみ…
by masami-ny55 | 2013-10-15 22:33 | 日記

「鴨のオレンジ煮」物語

読書の楽しみはここまでにして、読書以外の道楽を見つけたのですよ。
病気になってから、体重が12キロも落ちました。すっかり体力は落ち込んで、寝ている体を起こすのが面倒に思えました。寝たまま出来ることは、テレビを眺めているか、読書するか、でした。

このままではいけないと、先生は「とにかく食べてくださいよ」とおっしゃる。
でも、薬の副作用がひどくて指先がピリピリ状態で、シャツのボタンでさえ自分で掛けられなくなりました。足の指先もピリピリ感で、舌もピリピリ感です。ですから食べるたびにあの刺々しいサボテンが口の中に飛び込んでくるようなもの。味もわからないし…。しかし、そう言っても食べないことにはますます体重が落ちてしまいます。ボクにとっての食事は、我慢、忍耐の道場でした。

その状態が8月まで続きましたが、9月から「薬」が変わりました。
新しくなった薬の副作用は「しびれ感」ではなくて、ほかの副作用が出る人がいるとのことで、新薬を投与する直前に血液検査です。その結果、ボクにはその「副作用が出にくい」との診断結果でした。
薬を変えたからと言っても、いきなり、いままでの副作用が消えてしまうというものではありません。先生の話だと「3ヶ月間かけて、徐々に消えていくはずです」との報告がボクの励みになっています。

だんだん食べられるようになり、現在では最悪時代よりも3キロ以上、体が増えました。食べることが楽しくなってきたのですよ。読書同様に…。

十数年ぶりで銀座に所用で出向いたので、ふと、「資生堂パーラー」のレストランで「鴨のオレンジ煮」を食べようと、ひらめいたのです。
「鴨のオレンジ煮」との出逢いは実父がきっかけです。実父は田舎者でした。働くこと以外に能のない人間みたいに思えたほど、ボクの目から見ると実によく体を動かす男でした。土建屋の頭領でした。
実父の楽しみは今思い返すと、「食べること」だったように思います…。家族を引き連れて地元の渋谷はもとより、浅草に銀座などの食堂に連れて行ってもらったものでした…。
学生時代、実父とふたりで「資生堂パーラー」で、はじめて「鴨料理」を食べてみました。それが「鴨のオレンジ煮」だったのです。ものすごくいい香りで、こんな料理があるのかと感動したことはいまでも消えずに心に残っています。味と香りは、いまでも口と舌の中に残ったままです…。
昭和四十年代でしたか…、今で言う「レトルト」も資生堂パーラーにはあったのですよ。まあ、お土産替わりみたいなものですが、そんなレトルトにも、「鴨のオレンジ煮」は堂々の仲間入りでした。ボクもこのレトルトが食べやすいので大好きでした。今思えば、当時の方がメニューはたくさんありました。

e0013640_1361992.jpg元気になったいま、せっかく銀座に来たのだから、「資生堂パーラー」のレストランで「鴨のオレンジ煮」をと思い、早速、行ってみました。すると、十年以上前にレストランはリニュアルされ、豪華なレストランに模様替えです。


「鴨のオレンジ煮」はメニューから消えてしまった…。
むかしのことですから、当時のシェフもいなくなり、当時のレシピも残っていない、と店員さんが教えてくれました。…残念。

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せっかく入ったので友だちは伝統の味、カレーを食べてました。
そしてボクは鴨料理のアラカルトを…。




こういう展開になると、なにがなんでも「食べてみたぞ」との結果が欲しくなるのがボクの性格。銀座のレストランではすでに「鴨のオレンジ煮」のメニューは消えていーたのです。
この事実を知れば知るほど、実父と食べたあの味が懐かしい…。

銀座のあちこちのレストラン、家庭料理店に電話をしたり、サイトを見たり…。しかし、「鴨のオレンジ煮」をメニューにしているお店は見つかりません。仕方がありません、ここぞと思うフレンチレストランにぶらりと寄って食べてたりして、ビストロにも立ち寄ってみましたが、いまひとつで…。

そんなこんなで、数日前のことです。
学生時代から使っていた譜面書き用のモンブランが故障。インクが入りません。修理は銀座にあるモンブラン直営店に行かなくては出来ないとのことで、行ってきました。
直ったその日の夜、ペンを受け取った後、歌舞伎座近くで立ち寄った簡素なレストラン。看板にはフレンチと記してありましたが、ボクにはお店の構えはビストロ風にしか見えませんでした。
屋号が覚えられません。「ヴァン ア ビブリオテイク」です。

「オレンジ煮」は初めからあきらめていたので、鴨メニュー中から「鴨もも肉のコンフィ」を食べてみました。すると、「んっ」と刺激的に反応する味付けなのですよ!
早速、店員さんに「これだけの味付けが出来るなら、鴨のオレンジ煮が出来ませんか?」
「では料理長に聞いて参ります…」
しばらく待っていたら「出来ます。で、何人様で、いつ頃来られますか?」
ちと、急すぎる…。「後ほど連絡します」

そうこうしているうちに、ボクの携帯に登録のない番号で呼び出し音が鳴りました。
「? ハイ、…ですが」
「シェイノの…といいます」

ま、まさか…あの超有名フランス料理店の「シェ・イノ」から…????
「鴨のオレンジ煮をお探しと聞きましたが、当店では『鴨のオレンジソース』というメニューで召し上がって頂いております。是非…さんも当店にお越しください」と、なんとなんと、料理長自ら直々のお電話だったのです…。
感激です!
先だっての「ハン ヒョジュさん」の声優、加藤忍さんとの出逢いじゃないけど、こんなことって人生でそうそうないでしょう…。と、堂々と書きましたが、実はボクの人生って案外他の人たちより、こういう出逢い方が多いのかもしれない…って、最近感じてます。

シェ・イノの料理長さんが直々に電話していただいた上に、ここまでおっしゃってくださるのなら、男として断れませんよ、この場面では、ね。むしろ、うれしくなっちゃって…ハイ!

「必ず伺います。日程と人数は後ほどボクがそちら様にご連絡いたします。ありがとうございます」
と、お礼を伝えました。あのときは、かなりの緊張感でしたね。
そしてまたここでも、新たな人との出逢いが「鴨のオレンジ煮」を通して生まれました…。

さあ、明日。
資生堂パーラーでも消えてしまったメニュー、「鴨のオレンジ煮」を40年ぶりで銀座のレストラン「ヴァン ア ビブリオテイク」で、ボクを含めて8人でいただきます。
ボクが元気になったことと、新しく始める事業の船出もかねて、集まってくれました。ここでは果たしてどんな味付けの「鴨のオレンジ煮」なのでしょうか、いまからワクワクです。
ここでいただいた後は、あの有名店「シェ・イノ」で「鴨のオレンジソース」を11月中までには、いただく予定です。味くらべ、です。
どうです、羨ましいでしょ! と、自慢させてくださいな…。

こんなに贅沢なことが出来るようになったのは、命の恩人「エガワ先生」との出逢いがあったからです。エガワ先生はボクが元気になる姿を見て楽しそうに笑ってくれます。どんなことでも電話すれば手術でない限り、出てくれます。いつもお世話になる二人の看護婦さんと、専門治療医の先生もボクの顔色を見て、いつも褒めてくれます…。

どんなに長い時間が経っても、人としての関係をいつまでも大切に継続してくれる人たちこそ、ボクにとって人生の恩人、です。
こんな病気なってみたら、益々この想いが明確になりました。

そんな人たちの生命が輝いているではありませんか!
そう、想いますでしょ 皆様も!

さあ、明日はみんなして銀座に「鴨のオレンジ煮」を食べに行きます!


…まさみ…
by masami-ny55 | 2013-10-11 02:14 | 日記

伊藤大輔さんの脚本と出逢ったのは…

最近は読書ばかりしています。
きっかけは来春3月の「ユーガット」の台本を書くために、取材かたがた神保町を歩き回ったせいです。

本を読んでばかりいると、体を動かしている時間が少ない。食事もいい加減になり、本を読みながら食べる。おかゆを炊いてもらい、ふりかけだの佃煮をのせていただく程度。こんな食べ方なので、あちこちこぼしたり…で、まるで幼児の生活かと言われそうです。
お恥ずかしい…。

そんなこんなで、学生の頃より読書時間が多いような気がします。
こうして、朝7時過ぎには起床する日々が続いています。起きると洗顔してすぐさま珈琲を入れる。インスタント珈琲を入れるのではない。珈琲問屋で購入した豆を選びます。酸味系が好みのボクなのですが、たまには自分でブレンドもしてみます。香りを楽しみながら時間をかけて朝の珈琲を作るのがこれがまた、ボクにとっては贅沢な時間なのです。
出来立ての珈琲をマグカップに注ぎ、そのまま持ってPC部屋に直行。PCをオン。メールを読んだり、新聞社のサイトで今日のニュースと経済状況をさっと読む…。
そのあと、新鮮な珈琲の香りを部屋に漂わせて、アマゾンから届いた古本をあたかも子供が贈り物をもらったような気分でページを追いかける…。ついでに、BSで「MLB中継」をオンして「10月決戦」も流しておく。そっちもまた、気になる…。

学生時代とは明らかに読書傾向が違っていますね。物語や戯曲はほとんど読まない。もっぱら、大野晋、白川静両先生の言語学、文字学の世界に思考を巡らす時間に、贅沢さえ感じています。いまは、白川先生の「文字講話」を読んでいる最中ですが…。

皆様もご承知の通り、白川先生は90才を過ぎても教鞭を執っておられました。伝えることへの情熱というか学問する楽しさを先生ほど身を以て伝え続けた人をボクは知りません。.ボクにとっては、見習うべき人であり、尊敬する人でもあります。
先生がいなくなっても立命館大学では「白川静リサーチ」が現在でも継続していますし、白川先生の講義や書簡などをのこして活動している「日本文字文化機構」も活動をし続けています。
すばらしいです、先生はここに生きています、ね。

最近は小説や戯曲は読まない、と書きましたが、今になっても「伊藤大輔」先生の台本だけは読んでます。時代劇の、あの言い回しがなんともボクの性分にあうようで…。ふざけ半分で、親しい仲間と話しているとき、突然ボクは時代劇の台詞のような会話して相手を驚かせては、ひとり楽しんでます。自分の創る舞台でも、なんでここで時代劇の台詞なのよ…と、観客が不思議がるのを楽しむこともあります。それほど、ボクの中にはいつの間にか、「伊藤大輔の世界」が入ってしまったようです。チャンバラ好きの子供だったからなのか…。
学生時代は戯曲、台本を勉強していたので随分盛んに読んだものです。とは言っても、当時から自分が好きな作家しか読まないという不届き者ではありました、ハイ。
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            ≪伊藤大輔氏 昭和40年頃 書斎にて≫
        
何を今更、と言われても仕方ないですが、「伊藤大輔」と言えば、我が国の映画界で「時代劇」の分野の基礎を創った人ですし、舞台にも影響を与えた人でもあります。彼がいなかったら、黒澤明監督の「活劇時代劇」は生まれなかったかも…。
台詞の「発音指導」から始まって、「御用提灯」の使い方等の細かい指示も伊藤大輔さんが先鞭をつけましたね。
今になって読み返すと、意外な発見があります…。

例えば皆様もよくご存じ、時代劇の代表作にもなっている「宮本武蔵」の全五部の作品は、昭和36年から40年まで一年1作品のペースで東映の製作で、内田吐夢監督がメガホンをとった作品です。脚本は、ボクの大学の大先輩でもある鈴木尚之(なおゆき)先生の執筆でした。

e0013640_128119.jpgただし、中村錦之助主演の「宮本武蔵」には、もう一本「真剣勝負」という作品があります。この作品だけが東宝で制作され、監督は内田吐夢先生ですが、脚本は伊藤大輔さんでした。

伊藤大輔先生と中村錦之助(後、萬屋錦之介)のコンビは大変に長い。
錦之助以前は、阪東妻三郎や嵐勘十郎、大河内傳次郎、片岡知恵蔵たちと時代劇を制作していました。
宮本武蔵のイメージは、いまでは誰が演じても同じようなスタイルですが、この「武蔵」のイメージを創ったのは、他でもなく、伊藤大輔イズムとでもいいますか、それを土台にして中村錦之助と加藤泰、シナリオ鈴木尚之のトリオによる「武蔵完成」の実現です。こんなことも想い出しながらいま、「反逆児」の台本を読み返しています。学生時代とはまったく違った印象で読める自分が清々しい。

映画で育ったボクは、大人になったら言語世界に没頭しています…。


…まさみ…
by masami-ny55 | 2013-10-11 01:31 | 日記


東京の日常生活と、仲間たちとの交遊録


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