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直江津の旅と味

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が 白くなった…とは、いかなかった。

今日、ボクにとっては早朝の8時30分に板橋のアパートを出で、新潟に向かった。
新潟とは言っても、山陸の雪深い十日町などの飯山線沿線ではなく、ボクには北陸のイメージが強い直江津への旅だ。新潟県にはその昔、越後と呼ばれていたけれど、ボクにとって直江津は北陸のイメージ強い。日本海の荒波を渡って海の幸を陸揚げする男性的な漁港との印象だ…。

それでも都会育ちのボクには、新潟は「清水トンネル」を抜けて行くので、確かに「雪国」というイメージはある。だから、このまま普段通りのスカイラインで突っ走ってもいいものか、という懸念はある。でも、相手はボクがクルマで行くことを知っていてもそのことに関してなにも言わなかったので、そのまま運転することにした。
練馬から「関越道」でいく。途中、日本最長の「関越トンネル」を通る。10キロ以上はある。学生時代の夏に散々登った八ヶ岳を、くりぬいたトンネルとして話題なったがその事実がボクには当時ピンとこなかった。「八をくりぬくなんて、ひでなぁ」と思ったことを覚えている。まあ、とにかく日本の技術力には関心したが…。
そして今日、その長いトンネルを抜けたら、「雪国」はまだなかった。
11月末だというのに関越道の路面は平常だった。スキー場には裸のロープウェイがそのまま動かずに長く伸びていただけだ。だが、遠く見える山々は真っ白に雪をいただいていた。冬の空が透き通り、眩しい。

藤岡から左に折れて「上信越道」に入り、そのまま上越方面の「北陸道」を走り続けた。
上越に着いたら、友だちが待っいた。
「お疲れ様でした」
「めし」
「そうしましょう」

目指すは直江津港の魚たち。直江津駅前の道にはシッターが下りたままの店が続く。かつての繁栄の名残だろうか。港にも漁船は少ない…。なんだか川端先生の物語よりも、清張さんのイメージになった。まあ、いいそんなことは。

さすがです、地元の小料理屋さんに案内してくれましたが、ボクが手洗いで歯を磨いたり、顔を洗っている間にヤッコさんはすでに「お刺身」を注文済みでした。ボクは東京感覚だったので、「刺身か…盛りつけは派手だがどうせ少しだろう」との考えがよぎって、「なんか、喰うか」とメニューを見た。

見たが、すごい。なにがスゴイかって、お膳物の質と量だ。更には、東京育ちのボクから見たら、このお料理の数々は明からに2000円以下では永遠に食べられない超贅沢三昧。品は書かない。すごすぎた。ふだんさほど食べないカナちゃんは「お魚には目がない」が、「きゃあ、スげぇこれ」と歓声に近い悲鳴を上げながら、地元の高級魚白身魚の10品お刺身は元よりのこと、あれよあれよという間にほぼ完食状態。
1品料理で「蟹みそクリームコロッケ」と言うが目に留まった。それを2個注文。「蟹クリーム」ではない、「蟹みそクリーム」という書き方に興味が湧く。ハンバーグ大の大きさだ。いただいたら、中身は全部蟹さんだらけ。贅沢この上なしの1品。たったの500円。これ、もちろん実話だ。
とにかく、1人前のお膳料理をいただいたら、他は注文しても食べきれない。なので、いろいろ食べてみたい人は、10人とか、20人で行くべきだ。シェアした方がいい。
お刺身の包丁の入れ方が違うのだ、伝統ある港街のこと、男性的です。都会の2切れが1切れになっていましたから。

「次は?」
「風呂だろ、聞くなよそんな当たり前のことは」
「だろうと思いまして、すでに手配ずみです」

直江津の天然温泉へ。手ぶらで行く。
390円ということは、東京の銭湯よりもお安い。
いい温泉だった…。

「次は、茶ですか?」
「そういうこと」

直江津最大のホテル、そのレストランへ向かった。物静かな高級レストランなので下世話な話しもママならず、珈琲1杯まで。

「また来る、絶対」
「是非是非、お待ちいたしております」
冗談はさておき、友だちの母上様には、至れり尽くせりのご配慮をいただき、感謝でいっぱいだ。
帰りには「こしひかり」までいただいた。

帰りは、上信越道から関越道、首都高板橋まで近道を使った。4時間足らずで到着できた。
絶対にまた行く。この体験を活かして、今度は欠食児童・カッパとチビ丸・オノッチ、美食家・ユウコちゃんに田舎ッペ・ネモコなどを従えて20人程度で行くことにしよう。上越が「雪国」になる前に…。


…まさみ…
by masami-ny55 | 2011-11-27 01:29 | 日記

ビリー・ビーン氏と松井秀喜選手 映画「マネーボール」

久々に栃木の実家に戻った。
温泉に2日間通ったら、体重が2キロ減ったが、これは汗が流れただけのことだ。
映画も見た。ブラッドピットの「マネーボール」だ。見る前に映写時間を確かめたら2時間30分程度だ。ずいぶん長い映画、と思ったがあっという間だった。いい映画だった。

実在する人物を映画にする場合、ほとんどが「過去の物語」をアレンジする台本になる。ところがこの物語は、現在活躍中の人物、オークランド・アスレチックスのゼネラルマネージャーであるビリー・ビーン氏を題材にした台本だ。ここに興味があった。
現在活躍している人物をまさか美化した物語でもなかろうに…。どうしていま、ビリー・ビーン氏をブラピが主演してまで映画にするのか…と、公開前から興味を持った。しかもアスレチックスは大リーグのチームの中ではボストンほどの人気もないし、話題性もないのに、なぜだろう、と。もうひとつの関心事項は松井選手が所属するチーム、と言うこともあるが。

撮影はドキュメントタッチだったので、映像はあえてハイトーンになっていた。
ところどころ実写も交えている。2002年、つい最近とも言えるが、あの20連勝したときのドラマもいま映画にしてふり返ると、確かにもの凄いゲームだった…。今年のワールドシリーズ第6戦に匹敵するドラマチックなゲームだ。今年の第6戦はもうMLBファンにとって「伝説試合」になったが…。ハミルトンのホームランがフイになるとは…。ボクにとって今年2011年MLBのゲーム、として脳裏から消えることはないだろう。まあ、それはいいとして、映画の話に戻ろう。

大リーグでのGMの立場を知るには実にいい台本になっている。アスレチックスGMのビリー・ビーン氏の立場が鮮明に描かれている。監督以上にチームの勝敗には絶対の責任があると言うことだ。ここは日本の野球界とはずいぶん違っているように感じた。最近、東京のチームで内紛があったが、もしそれと同じ事が大リーグで起こったら、それは大変な醜態。というより、まず起こりえないだろう。なぜなら、責任範囲が明確だからだ。

見終わって、ぞっとした。このビリー・ビーン氏が松井秀喜選手に狙いを定めた、ということ。ビリー・ビーン氏に松井選手は大リーガーとして評価されていたんだ、という現実がボクにはやけにうれしくなり、また同時に、エライところに移籍したモンだ、とも思った。昨年、楽天の岩隈投手がアスレチックスに移籍できなかったが、これは日本球界がもっと大リーグ関係者たちとの人的交流の不足が原因ではなかったのか、とさえ思われる。もっと、相手と話し、お互いを知り合っていたら岩隈選手のような悲劇はなかったはずだろう。大リーグの各選手は確かにひとりひとりが株式会社みたいなものだからこそ、話し合いが必要なのだ。それをよくわかっている人物が、GMの重責を担っている。とくに、ビリー・ビーン氏はボストンから当時最高金額の、5年契約1250万ドルという高額のオファーを受けたが、後に断ったほど、大リーグ業務に徹底した考え方の持ち主。
「二度と金によって人生を左右されまいと心に決めたから」というのが、その理由。

それほど大リーグは選手たちに限らず、「お金」がついて回る世界。かつてビリー・ビーン氏もスタンフォード大学の進学が決まっていたのに、お金で大リーグ入りして危うく人生を棒に振るところだった。
もし、松井選手が来季もアスレチックスと契約したら、それはビリー・ビーン氏との契約を意味するなあ、と感じて、是非そうなって欲しいと思った。とにかく、おもしろい映画と久々に出逢った。暇に任せて、韓国ドラマばかり見ていたが、ハリウッド映画はいいです。


…まさみ…
by masami-ny55 | 2011-11-16 11:49

お赤飯が出来た!

お赤飯を炊いた。

大手術をした同僚が元気になったので、うれしくなった。で、こういうとき世間の風習として全快祝いとかいって、お赤飯を炊く。
それならと、ボクもお赤飯制作に挑戦してみた。

まずはスーパーのおばさんにお赤飯の作り方をその場でいろいろと取材。
とにかく、まずは「もち米」の購入だ。1㎏1パック700円がその日は幸運にも特売日になっていて580円程度だった。失敗する可能性が高いから、3袋買い込む。
次に、「お赤飯の豆」だが…。「小豆(あずき)」と「ささげ」はどっちでもいいよ、とおばさんは言うから、小豆にした。安いからである。200グラムで380円程度だったと思う。一方、ささげは70グラムしか入っていないのに500円程度はする。まあ、小豆でいいだろう…、と。

おばさんが教えてくれたので、もち米を十分に洗ってから、一晩もち米を水に浸した。
起きてみると、水がだいぶ減ってもち米が膨らんでいるようだった。
ここで先ずは第1の失敗に気づく。というのは、1㎏パックを全部あけて洗ってしまったことだ。このアパートで使っている電気釜は、お米は一升、おこわなら6合炊きだ。なので、このまま全部入れてみた。果たして炊きあがるのか、心配になってきた。水を吸い込んでふくれあがったもち米をいまさら計量しても手遅れだし…。結果は、オーライだったが、この時は不安だった。

いまさらどうにもならないもち米はいいとして、次は「小豆」を炊く。200グラム全部鍋に入れて沸騰したら中火にした。これもおばさんに教えてもらった。で、30分程度だったか…、炊くのだが、この際にコツがある。これを忘れると、ヤバイ。
炊いている最中、煮汁をお玉ですくってから、サラサラぽたぽたと高いところから鍋に落とすという手法だ。これは、煮汁が空気と触れることで、あの「赤飯色」に変色する効果があるのだ。これに手間がかかる。炊いていればお湯が少なくなるので、適度に水を追加していく。
確かにおばさんが教えてくれたように、この手間を加えると、みるみるうちに変色が始まった。
「お~~ッ、なるほど」と、歓声を上げてしまった。
少し固めに炊きあげるのがコツであるが、初心者のボクは食べて確かめたが「ふつうの硬さ」だった。

さあ、次はまた新たな鍋を用意して、煮汁と小豆をわける。放置しておくと、小豆が煮汁を吸い込んでふやけてしまうからだ。煮汁を別の鍋に移したら、そのまま鍋のまわりを水で冷す。こうすれば煮汁も冷える。

いよいよ釜入れだ。
迷う暇はない、洗った1㎏のもち米を全部電気釜に移す。もちろん水は切った。
続いて、冷えた煮汁だけをもち米に注ぐ。そして、かき回す。炊きあげた小豆を上にパラパラとちらしてもち米を覆った…。
第2の失敗は、煮上がった小豆をどうすべきか、取材不足。仕方がないので、まずはこうしてみた…。
ところが、第3の失敗に気づく。小豆が多すぎる。200グラム全部使うのかと思いきや、半分以上は鍋に残ったまま。仕方がない、お汁粉にしちゃった。これはこれで、あとで餅を焼いて食べましょう…。

待つこと、おおよそ40分程度…。
いよいよ作品の出来具合は…。
「お~~~ッ、やったジャン!」
まさしく自画自賛。この歓声。ひとり、アパートで歓声を上げる。ボク人生に新たな成果を創り出した歴史的瞬間、である。写真を撮らなかったが、まあ、そんなことはいい…。

第4の失敗に気づく。
やはり、小豆はもち米と混ぜてから炊くことだった。仕方がない、おしゃもじで混ぜた。
いい色になっている。まさしく赤飯色、ではないか。さっそく、大型のタッパーに詰めて会社用と同僚の病院用にわける。ゴマ塩を忘れてはいけないので、スーパーに立ち寄る…。おばさんに「出来たよ、教えてもらったとおり創ったら出来ちゃったよ」と報告。「えらいねぇ」とおばさんが笑う…。「ゴマ塩のふりかけ、ついでに買いに来た」というと、「こんどはそれも自分で創りなよ、教えてあげるから」とコーチしたいみたいだった。

会社では、ヤッちゃんにオスギ姉御、ナオミちゃんにトオル、シュウちゃんが歓声を上げてくれた。
「ホントに自分でくったの?女の人でも今はお赤飯炊ける人、そんなにいないわよ」なんて、ヤッちゃんが最大級の誉めことばを送ってくれた。
「うんうんうん…、おいしい」と、感動しながら食べてくれたのはナオミちゃんと。
「すげぇ」の感嘆詞は、あのトオルだった。「うまいうまい」と言ってくれた…。

病院では、「作ってくれたんですか、ありがとうございます」と喜んでくれた。

彼らのお世辞に乗るのがボクのいいところ。
で、次にナラちゃんに電話報告したら、「値段は高いけどササゲのほうがいいんじゃないのぉ」との助言。

よし、わかった。で、「ささげ」を1袋購入。よく読むと、1㎏に対して70グラムと明記してあった。なんだあ、200グラムは多すぎたわけだ。
同じ手法で今度は「ささげ」を投入して、炊きあげる。完成時間も同じだった。
釜のふたを上げたとたん、気づいた。明からに「ささげ」のほうが、「赤飯色」だ。デパートで売ってる赤飯の色になった。「これだ!」

ボクは、子供時分からもち米が大好きだからお袋は事あるたびにもち米を炊いた。赤飯以外にも、栗おこわや五目なども創っていたことを想い出したのだ。

よし、それを創る!
始めたのは「栗おこわ」である。もち米シリーズ3回目の挑戦だ。
瓶詰めの栗を3つと「金時豆」。金時豆の煮方は同じだが、煮汁は使わない。
これも、見事に完成した。会社の仲間たちに作品を運び、また自画自賛。

そして次の晩は、第4弾「五目おこわ」に挑戦だ。
こんにゃく、椎茸、れんこん、ぎんなんなどを購入。ネモコとシミヒロにも手伝ってもらった。
これも見事な出来映えだった。だが、昨日の「山菜おこわ」は失敗している…。失敗の原因は、水が足りなかった。

失敗から学んだことは、2つだ。
おこわづくりの最大のポイントは、もち米と水に分量、である。
味付けは個人の趣向でいいけれども、とにかく水の分量を間違えたら致命傷である。
電気釜でも炊きあがることがわかった。電気釜では、一晩もち米を水に浸さなくてもいいこともわかった。だが、もち米をきちんと計量して、それにあった水で炊くことだ。これさえ守れば、誰にでも出来る。
第2のコツは、もち米を十分すぎるくらい洗うことだ。うるち米よりも2,3倍の手間をかけて洗えば、電気釜でも美味い味になって完成する。

もうひとつ付け加えるとすれば、出来れば「ケチ」らないことだろう。小豆でもいいけれど、ちと高価だが「ささげ」を使いたい。その方が「本格的」である。


そろそろ七五三。電気釜で赤飯を炊いてみようではないか。



…まさみ…
by masami-ny55 | 2011-11-09 13:20 | 日記

中原美紗緒さんに再会した日

この週末、例によって浅草に。うなぎでも食べようと…。
小柳にするか、それともいつものつる屋にするか…と、新仲をぶらぶら歩いていたら、いつものマルベル堂の看板が目に入る。
浅草には散々行っているけれど、子供時分からこの写真屋さんにひとりで入ったことはない。女優さんのプロマイドを買って、定期入れに忍ばしていた男たちは確かに多くいたが、ボクはそんな趣味はない。映画を見ればいい。女優さんは銀幕の中にいるものと決めていたので、写真にして眺めると、どうも印象が違ってしまう。ボクにとっての永遠の女優・加賀まりことて彼女のブロマイドは持ち歩いたことはない。

ところが、このときに限って、ひらめいた!

はじめてひとりでマルベル堂に入ってみた。狭い。
「なかはらみさおって、おいてあります?」と、店員さんに伺った。
「女優じゃないんですが…随分昔の歌手なんですが」
「誰だろう…調べてみましょう、あるかもしれない…」
そう言って店員さんはマルベル堂の所蔵ノートを開いて調べてくれた。
「あッ、ありますねえ。この字でいいのかしら?」
芸能人の名前がびっしり書き込んであるノートには、確かに、
「中原美紗緒」と書いてある。間違いない。
「在庫は…ないかもしれない…、あっ、ここにありますねぇ」
「えっ、あるんですか!」
驚いたのは、ボクだった。
店員さんは在庫をかき分けてくれて、数カットある中原美紗緒さんの写真をガラスケースの上に並べてくれた。

e0013640_085142.jpgボクが覚えている彼女の印象とは随分違う写真だったが、まあいい。で、何枚か買い込んだ。
「この写真、マルベル堂さんのオリジナルですか?」
「ええ。ほとんどそうですね。ウチのスタジオで俳優さん達が来て撮った写真がほとんどです。たまに、相手のスタジオなどに行って撮影することもあったようですが」
そう説明してくれた。中村錦之助も大川橋蔵も、高倉健さんも、そしてひばりさんもみんなマルベル堂のスタジオで撮影したようだ。将に、日本の芸能史が飾られてある。
そう言えば、「ブロマイド」という呼び名を、商品名にしたのも確か、マルベル堂さんがはじめられたことだったと、どこかで聞いたことがあったが…。

実はボク、映画も大好きだが、音楽も好きなのですよ。いまだに。映画には音楽がつきもの。テーマ曲を聴くと映画がよみがえる。
映画には様々なジャンルがあるが、音楽にもまた様々な分野がある。シャンソンも、そのひとつ。
子供時代、そんな小難しいことはちっともわかっていなかった。ただ覚えていたのは床屋さんのラジオから流れていた「パリのお嬢さん」。あのメロディと彼女の歌声だった。真っ直ぐな歌声に、子供だったボクははじめて大人の女性の歌声を感じて、笛吹童子や紅孔雀みたいなチャンバラ世界とは明らかに別世界を感じた。
メロディもテンポも、当時の聴き馴染んだ歌とはまったく違って聞こえた。「こういう歌もあるんだ…」と、興味を抱いた。ボクの生活とはまったく違う人が歌っている、そんな歌声に聞こえて、いつまでも耳に残った…。
はじめて彼女を見たのは、お蕎麦屋さんのテレビだった。テレビからこの曲が流れていた。歌っている大人の女性をボクは見た。「この人なんだ、なかはらみさお、っていうんだ…。名前までおんなっぽくない。外人と友だちみたいだなあ、この人…」と、住む世界の違いを実感。そして、子供ながら「きれいな人だなぁ」と思った。
以後、歌手の中で、一番のお気に入りになったが、ボクは長い間こころにしまって、秘密にした。
「女優は加賀まりこ、歌手は中原美紗緒」と公然と言えるようになったのは、大学に入ってからだ。

こうしてふり返ってみると、東映チャンバラ映画専門小僧から、洋画を見るきっかけを創ってくれたのは明らかに中原美紗緒さんの「パリのお嬢さん」だった。この出逢いが益々ボクの映画好きに拍車をかけた。極端だが、やがて青年時代、アラン ドロンやジャンヌ モローの映画を追いかけたのも、その始まりは中原美紗緒さんの歌声だったなあと、といえる。
お袋にせがんで代金をもらい、渋谷から地下鉄に乗って銀座に行き、ジャクリーヌ・フランソワのレコードを買い込んできたのも、中原さんの歌声のおかげだ。そんなことも、買い込んだ彼女の写真を見ながら想い出した。お恥ずかしい話だが、ジュリエット・グレコは彼女よりもずっと後になって知った。大学の頃は、ダニエル ヴィダルが随分はやったことも想い出のひとつだ…。

シャンソンって、大ホールがお似合いのオペラのアリアと比べたら、こぢんまりとしたカフェとか、アコーデオンを持った大道芸人が舗道で鼻声混じりに歌っているような気軽な雰囲気がよく似合う歌声だと、ボクはあの頃そう感じた。
大ホールで聴くアリアもいいけれど、でも、上手に歌ってくれるシャンソンはなんだかいつまでも耳に残る…。

いまさらだが、いつか自分の舞台でシャンソンを使ってみたくなった…。
中原美紗緒…詳しく取材したことはないけれど、たしか、もともと二期会出身だったと思うが。
澄んだ歌声のわけです。


(写真は「マルベル堂」で購入)
…まさみ…
by masami-ny55 | 2011-11-07 17:17 | 日記


東京の日常生活と、仲間たちとの交遊録


by masami-ny55

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