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タクタク君のこと…

サラリーマン生活につきものの言葉たちがいる…。
例えば「新規採用者」とか「途中入社組」、「終身雇用の賃金」とか「能力給の査定」、「正」社員と派遣「さん」…だの、という言い方はいかにも日本風だが、区別感を好む日本企業にはこうした言葉が相変わらず継続している。こんな言葉たちの陰に隠れて、差別や支配を感じなくもないのだが…。

さて、そのサラリーマン用語のひとつに、「円満退社」という言葉がある。
履歴書に記入するときに、この言葉を書き込んだ人たちもいるのではなかろうか。
最近では耳にすることは少なくなったが、まさか、死語ではないだろう。

円満な退社とは、どんな退社の仕方なのだろうか…。
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職場の仲間たちから惜しまれて退職することか…それとも、
退職の理由を仲間たちに理解してもらうことか…それとも、
職場に被害や迷惑をかけない退職の仕方を、そう呼ぶのか…

転職先の会社の人事課から「前の会社は、円満退社ですか?」と尋ねられることもあるだろう。
要は、「仲良しの状態」での退社か否かということなのだろう。「仲良しの別れ」とは言えないが「喧嘩別れ」だって、あるだろう。どうせ、人が集まっているのだから、職場といえども「喧嘩」もするだろう。意見や言い分の違いはどこにでもある… かつて、ボクのいたマスコミでは、社内外の喧嘩と批判、論評と争いごとはつきものだった…
かと言って、どんなに派手な言い争いをしようとも、会社に対して実害を与えるようなことはしない。

公金の横領や、会社の開発技術やノウハウ、会社側の顧客名簿をなんの相談もなく無断で私物化するようなまねをする社員は、本人がどんな言い訳をしようとも、「円満退社」にはならないだろう。


ところで、昨日のこと。
「円満退社」したスタッフがいる…
まさに、絵に描いたような「円満退社」だった。

タクタク君である。
スタッフになる以前から11年間も、仲間たちとかかわり続けたから、彼には友だちが大勢出来た。
この間、恋らしい体験があったようだが、交際途中で「違う!」と言い放って、その関係を「ただの友だち」に軌道変更したそうだ。

タクタク君は、大変な働き者だった。
ダンプの運転手であり、美容室の技術者でもあった器用な前歴から、ここの業務を なんでもこなしてくれました。そんな姿を見て、仲間たちはタクタク君を大好きになっていったようです…


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結局、タクタク君はメキシコの隣国にある中南米の小国「ポカホンタス(?)」に移住して、叔父さんの経営するホテルの仕事をすることになりました。
本人は「もしかしたら、また戻ってくるかも…」とは言うものの、しばらくは日本とはお別れのようです。

そんなタクタク君との別れを惜しんで、昨日、喫茶302で盛大な「見送り会」が催されました。
好物のタカノのショートケーキを頬張りながら、タクタク君は30人以上の仲間たちに見送られて、ご満悦だったようです…
サトナちゃんのタクタク君に「送る歌」が、印象的でした、ハイ。

みんなは、何を記念にしようか…と、考えたあげく、ノートパソコンを贈ることにしたようです。
「これがあれば、メールが書けます」

「えっ? くれんの? ホントに!」
と、歓声を上げるタクタク君でした。
その国では映画も見られないだろうと、DVDを20タイトル入れた仲間は、ガンキチ君でした…
関西から急遽この会合に駆けつけたドイツのヘルメット君は、「ダビンチ コード」の本を…
サトナちゃんのお母さんは、自分のお気に入りのCDを…

お姉さんに紹介されて、みんなと出逢ったタクタク君。「あの頃は、ただのチンタラ男でした」と、ご本人の弁を聞くまでもなく、みんなと出逢うことがなかったとしたら、「ポカホンタス」への旅もなかったことでしょう…。

そのお姉さんが、今はタクタク君の紹介でまたみんなとかかわり始めています。

タクタク君は、ここを退職してもみんなとのかかわりは変わりません。そして、海外に出ればまた、友だちも増えていくことでしょう。

円満なお別れとは、「また、いつでも会える関係」のことです。つまり、「別れ」がないのです。

「二度と会わない、会えない関係」ではありません。会えない関係を創って、職場を去っていく人たちに限って、人間関係を狭くしていくのではないでしょうか… 家族も、友人関係も、その場だけの「いいとこ取り」で終わっているために、結局その後は仲間たちから「お誘い」を受けることは、もうなくなっていくようです… 
ボクは、タクタク君の生き方を見ていて思いますが、人は「与えた分だけ、人に与え返してもらえる」んだなあ、と。得損に重きを置いた人たちは、結局、老いていくたびに財を確保することにのみ、生涯を費やすんだ、と…。自分が得すれば「しあわせ」だと思っている。
こういう人たちとは、友だちにならなくて、ボクは良かったと思う。

生き方が違いすぎます、ね。

みんなから贈られたノートパソコンを手にしながら、タクタク君は、
「これでブログが読めるね、書き込みも出来るし…楽しッス」
だ、そうです。


…まさみ…
by masami-ny55 | 2006-05-30 19:22 | 日記

さよなら ピーターパン

落雷事故で電話回線が不通になってしまった。
携帯電話を使って友人と連絡を取り、事情を説明して、友人宅から電話局にその旨を連絡してもらった。
それでも、復活したのは二日後になってようやく、だった。
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電話自体なくても、不便は感じない。携帯電話でおおよそ用は足せる。
ところが、PCの電話回線を使ったインターネットは、お手上げだった。
国内外のメールが来ない、出せない…

落雷事故で、改めてPCの便利さを思い知らされた。

さて、二日間も放置していたメールは復旧してみると八十通を超えていた。もちろん、例によって「いかがわしき広告メール」も多数含まれていたが、その中に名古屋からの友だちのメールが数通入っていた。なかなかの手紙文だった。
読みやすく、歯切れのいい文章だった。自分の気持ちもうまく混ぜて、書き味がいい。
まあ、報告文なのだが、そのメールから書いた人間の姿や表情が浮かんでくるのが、いい。

始めの頃、この「名古屋の青年」のメールは、あたかも「ギャルメール」か? と、疑うほどの書き方をしていた。破壊された日本語と絵文字の氾濫だ。
とてもとても、事務所で読めるようなメールではない。「いかがわしき広告」のようだった。

記念にとっておこうか、と思ったが、それは意地が悪すぎるのでやめたが、返信に「アホたれ!」とだけ書いて送ってみた。
すると、電話で「すみません、今後気をつけます…」と、わざわざ謝罪してきたのだ。

それから、この青年、すっかり手紙文の練習でもしているのかと思うほど、丁寧な文章を創ってボクに読ませてくれた。毎回、報告文なのだが、最近ではけっこう様になった手紙をくれるのだ。
練習していくうちに上手になるスポーツマンのようだ。

不思議なことに、この青年。言葉遣いも違ってきたから、驚く。以前はただの「ノリノリ野郎」的な会話しかしなかった。素っ頓狂な笑い声を出すし、奥歯に物の挟まった言い方をし続けるし…で。
とてもとても、まともな会話は出来なかったのだが、最近の話し方は、自分の思いや感情がどうだったか、など会話に取り混ぜて話してくる。聞いているだけでも、その場面がどうだったのか、想像出来るように話してくるのだ。
そして、じつに人の話を聞くのだ、これは驚いた変化だ。いやいや、成長、といえる。
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報告文にしても手紙文にせよ、文章を書くことはおもしろい。

なのに、なかには「文章は苦手」と言い切ってしまう人もいる。しかし、こういう人は「苦手」と断言するほど、文章を書いたことがない人たちであろう。それに、苦手、と言っておけば書かないですむだろう…。

ボクの場合、書く作業と話す作業は、同列的におもしろい。

書くのが苦手という人に限って、会話が楽しめない。
ただのおしゃべりで時間が過ぎてしまう。別れると、どっと疲れを感じたりする。
冗談ひとつ言わない。てこない。本人の嗜好も伝わってこない。噂話のオンパレードである。
現れている表情も、一定だったりする。
こういう人が笑顔になると、逆に恐怖感さえするから不思議だ。

書くのは好き、と言う人もいるが、こういう人は、おしゃべり好きだ。
あまり読者の立場を考えないで勝手に書き並べたりする。
話すときも、自分のことばかり話す。
注意するれば「なんで怒るの!」と、怒るか、「叱られた…」と、他人に自分の正当化を主張しに出掛けたりする。ご苦労なことだ…
「そんな言い方、直しなさい」と言っても、決して直さない、所詮、自分勝手主義なのだ。
生活態度は、よろしくない人が多いようだ。
こういう人たちのメールは、絵文字主義、とでも言うべきか、伝達範囲があまりにも狭い。
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ものを書く作業は、自分の言葉を鍛えてくれる練習の場でもある。「好きか嫌いか」ではないとボクは思っている。鍛える場、なのだから、ルンルン気分の楽しさとはひと味もふた味も違っている。
ときには、苦しさも勇気もつきまとう…
このおもしろ味は、「言葉の世界」と出逢う最短コースでもある、とボクは思っている。


一昨日、高校生が自作の台本を書き上げてボクのところに持ってきた。四百字詰め原稿用紙五〇枚の力作だ。手書きだった。1時間ものの芝居台本である。
モデルを使って書きあげたようだったから、「作者としての人道的なルール」という基本的なことだけを伝えた。書き直したり、手を加えたりはしなかったが、高校生は「わかった」といって早速自分で手直しをしていた…

言葉は成長する。成長の気づきは早ければ早いほどいい。
なぜなら、「成長があたりまえ」という意識が早くから芽生えるから。

大人たちと子供たちの違いは、成長を恐れているか、いないか、という点にある…
そんな気がした。

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その高校生の書いた台本のタイトルには、
「さよなら ピーターパン」
と、書いてあった。

…まさみ…
by masami-ny55 | 2006-05-26 02:48 | 日記

アメリカの友 第3弾 …Are you growing? …


あのさぁ~ 太平洋の向こうで、モンモンとしているのは、もうよしましょう、ってばぁ~。
どうせ、日本には来てるんだから、会いに来なさいよぉ~~
楽しいぞぉ、「言葉たちの世界」は。
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韓国ドラマの定番といえば、交通事故と記憶喪失、でしたよね。
で、また交通事故に遭うと記憶が回復したり…って、ものすごい設定だれど。

記憶がなくなるって、つまり自分の「言葉」を失うってことですよ、だからこれはおっかないです。
つまり、自分が無くなる…
そして、まわり、環境がなくなる…

身体は生きているけれど、身体より先に「自分」という「言葉」が無い…
まあ、人の魂が身体よりも先に死んでしまうってことですよ。

それとおんなじことなんだけど、ある環境に自分を置くと、いつも同じ反応をしている…としたら、こりぁロボットでしょ。それに気づかないとしたら、魂が死んじゃってる状態とおんなじ、ですよ。
自分の使っている「言葉」が、わかってないだもの。ヤバイ、です。
こういえば、ああいえばいい…
こう言われたら、ムカつく…
こう言われたら、許してあげる…

だのと、過去の出来事を根に持っている人たちって、怖いですよ…
だって、人との会話が成立しないんだから、こういう人って。だから、怖いの、よ、ね。

e0013640_423143.jpg朝、その時刻に身体を布団から出す。部屋を歩いて、トイレへ。そして、洗面所で使い古した歯ブラシを使う。そそくさと身支度して、駅に向かうが、なにも考えたり思ったりすることはない…いつもの朝。なんら、変わっていない毎日。
職場に着いたけど、挨拶もほどほど。別にお互いに笑顔もない。昼食は、人のいる社員食堂でしているけれど誰とも会話することはない…食べているだけ。食べる時間はほんの数分。食べ終わったら、自分の机に寄りかかってひと眠り… 
話しかけられても、人の目を見ないで、話す…できるだけ、短時間で会話は終わらせる。
そんな自分のふるまいに気がつかない、としたら、ヤバイですよ。
変わっているのは、老けていく自分。若々しさとはほど遠くなっていく自分の姿…だとしたら、ヤバイって!

だって、「言葉」が死んじゃっているんだから。

変化なし…停滞と漂泊…の繰り返し。
そこには「人の成長」はないです。老いていくだけ、ではありませんか…

老いた自分に嘘をオナゴたち。
高額な「変身用具」を買い込んだり、間違えだらけの食生活で「ジコマン」している。
40過ぎて、なにをいまさら、と思うが、他になにをすべきか自分でも実はわかっていなかったりする。いい年なのに、「愛」を確保したがる…ヤバイ、ですよ。どうせ、あと数年で完全に「言葉」を失うのに…ね。
そんなオナゴ心理につけ込んだ商売が至る所に…ありますねぇ。
要は、「不安」なのですね。それを処置しない。気づいていないから。

普遍は…
永遠とは…
美とは…
そして、「生きる言葉」とは…

「愛」なんかじゃないのだ! そんな「ジコマン言葉」の中に「光」が潜んでいるわけがないのだ。

世界は広々している。
海はとてつもなく広いのに、なんと自分の存在は小さいことか…

言葉の森は、とてつもなく広々している。
光と影が美しい…
迷ってもいいと、覚悟さえ出来たら、歩く勇気の足さえあれば人たちは「永遠」を見つけられるのに…ねぇ。

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ここで待ってるから、はやく大海原を越えておいでよ!
きかん坊サン…



…まさみ…
by masami-ny55 | 2006-05-19 04:03 | 日記

アメリカの友へ第2弾 …IN GOD WE TRUST…

イライラしていた…
ライターが見つからない。大声で怒鳴りたくなる…「ライター、知らない?」と。

たばこを銜えたまま、机の周りを歩き回る。机の上に、ちいさい籠がある。
小物を入れておく籠だ。籠をあさったら、古いメモ用紙の下に隠れていたライターを見つけた。
「こんなところに…まったくぅ~~」

物をなくしてしまうのは子供の頃からの、ボクの十八番。

忘れ物は少ないが、無くしてしまうことが多い。
出掛けるとき、必要な物は身につける。確認もして、出掛ける。
が、行った先で使った物はその後、置いたままにしたことに気づく。数日後、時間が経ってから探し求めても、もう出てこない。無くしてしまうのだ。
準備はいいのだが、後の始末がダメだ。
子供の頃、後片付けは母親がしていたからそれに頼りっぱなしだったことが、今になっているのだろう。

無くしたと思っていた物が見つかるときもある。ZIPPOの純銀製のライターがクルマの運転席から見つかったときは、なんだか得した気分にさえなった。

ここに、これがある。
だから、処置できる。

ここに、これがない。
だから、処置できる。

これは、なにか?
知るから、処置できる。

後先のことを思って処置する。
処置の仕方に、人格が現れる…
そして、まわりのことも、観察できる。


いつだったか…時期は覚えていないけれど、こんなことがあった。
まだ、ボクが経済記者をしていた頃の話だ。

競馬場に行った。日本ダービーの観戦だった。
ボクは競馬記者ではないが、特別にオーナー席近くのプレス席を用意してくれたのだ。
このダービーで、その昔「ハイセイコー」なる競走馬がいたが、ダービーで五着に敗れたという。
そして、その子「カツラノハイセイコー」が今回のダービーに出場するという。日本人が好きそうなお話だった。
案の定、この子の人気は高かった…

で、ボクはおもしろがって、その子の馬券を買うことにした。

結果は、なんとその子が日本ダービーを制した。

ボクは連勝複式まで買っていたから、配当金は確か…数十万円になった。
で、単勝馬券だけは、ジョッキーにサインしてもらい、換金せずに「記念」に取っておくことにした。
ボクをダービーに招待してくれた競馬記者から、「いい日になったジャン!」と、冷やかされたものだ…。

ところで、ボクと一緒に来ていたスポーツ記者がいた。
彼は別の馬に投票したから、配当はない。彼の予想は外れた。
「もったいねぇ、このカネで飲みに行けばよかった…」
と、ぼやく。

宝くじも同じだ。
結果は、当あたるか、外れるか、である。
「当たるといいねぇ…」
「そうだね…」
楽しそうに話している。
「当たるかもしれないよ」「ねぇ、当たったらどうすんの?」「そんなぁ~、考えてないよ」
ほんとに、楽しそうだ。
宝くじに「当たると信じて」買っている人達の話は、聞いていてこっちも楽しくなる。
どんな結果になっても、「信じて」いる期間が、楽しいのだろう。

しかし、投機目的で宝くじを買ったとしたらどうだろう…
この金額を投資した以上、最低これだけの配当金がないと…と、いう気持ちで買っていたとしたら。
結果を見るたびに、「得した」「損した」という言葉を吐き出すだろう。
楽しかったね、この期間…なんて、言葉は絶対に出てこない。

これは、人生そのものだとボクは思う。

まさか、死の間際で「得した人生」だの「損した人生」などという人はいないと思うが、ふだんの心がけとして、「楽しめる期間」を保って生きているのか…と、聞きただしたくなるような人はいる。

神様の存在も同じかもしれない…
神様と宝くじを同じに並べるとは! と、宗教家の方々にお叱りを被るかもしれないが、その存在はボクにはよく似ているように見える。

宝くじの当選番号は、誰も知らない。しかし、見たことのない当選番号に出逢うために買ってみる…
「その番号かもしれない」と信じて。

神様の存在も、これと実によく似ている。

誰も、神様に出逢ったことはない…
いるのか、いないのか…その存在は、誰も知らない。神のいる場所がここだ、と指させない。
姿形は誰も見ていない。

従って、いないという人達は、「神はいない」という。反対に「神はいる」という人達も又、いる。
しかし、両者の立場とも、その持論を立証することは出来ないのだ。

いるか、いないか…ではないのだ。
当たるか、当たらないか…ではないのだ。

その存在を、「信じる」か「信じない」か、である。

「IN GOD WE TRUST(私たちは、神の存在を信じる)」
と、1ドル紙幣には印刷されている。その紙幣をアメリカ人たちは毎日使っている…
そして、アメリカ人の誰ひとりとしてこの言葉に反論を加えてはいない…
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神は人の目に見えない… いるか、いないかではなくて、自分にそれを信じる気持ちが「在る」か「無い」か、であろう。

神とは、人の目に見えない。だから、不安とも言えるし、希望と見る人たちもいていいのだ。

ライターは、ボクの手に有る。
そして、ライターの存在は、在るか、無いか…であろう。

…まさみ…
by masami-ny55 | 2006-05-15 17:39

アメリカの友へ

最近このブログとはご無沙汰続きです。もっぱら、ヤンキースが気になって…

いつだったか、アメリカにいる友だちからメールが来ました。

「在る」が私にはよくわからなかったんです。
私の信じている神様にしても、目に見えないし、ただ自分の体験信じるだけです。
もうひとつは、「友」は同じ目的に向かってる。ってどこかにあったのですが、今わたしはまきちゃんとか同じ目的に向かってるわけではない。ほんじゃぁ、「友」じゃないのかな~とか思ってたんです。

ところで、神様って存在するんでしょうか?
それとも、存在しないんでしょうか?

両方とも、立証することは出来ませんね。
できるのは、信じるか信じないか、のようです。

こういう疑問を持つアメリカ人は、「1ドル紙幣」をよく見るといいよ、ね。
なんて書いてあるか…

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目に見えるものばかりを「在る」と言ってるわけじゃないのに…。
信じていると言葉と、在るという言葉は意味が違っていますよ、ね。
信じていなくても、在るものは在るし…
信じていても、無いものは無いし…ね。

こんなことを書いていたら、なんだか幼稚すぎて、アホになってきそうです。

友。この文字から、どんな連想をしているのでしょう?
仲良し…とか。
だから厳しいことを言わない人…とか。
いつもやさしく包んでくれる人…とか。
要求を受け入れてくれる人…とか。

こんな人たちを、友、というのでしょうか?
バカ言っちゃ、いけません。日本の文字で古来から「友」とは、そんな意味はありません。

言葉の仕組みは、あたかもバームクーヘンみたいなものです。何重にも重なっています。
表面的な言葉の下に言葉があり、その下にもまた言葉が敷かれています。
そして、敷いてある言葉を葉がしてみるとやがて核にあたる原語に突き当たります。
そこまで下げて観察するのは、ちと、時間が必要でしょうが…
その原語が人の「生命」そのものようです。

ほとんどの人たちは、自分が持っている言葉のなかで、表面にしか見えない言葉でかかわろうとしているようです。なので、そのかかわりには、限界があるようですね。残念ながら。

こういう人たちは、結局無意識にその場限りの言葉で間に合わせているので、世話になった人の悪口を平気で言っているから、人とのかかわりは次第に狭くなってしまいます。限られてしまいます。
神に出逢うことは生涯ありません。また、そんなことにはなんの価値も感じません。それよりも、目に見えるものが先です。優越感だったり、勝利感覚だったり、支配欲だったり…と。
友、はいないのですよ、こういう人たちには。いるのは、その場限りの「仲良し」だらけ、という訳です。

なんだか、コメントしにくいねぇ、今日のブログは…
まあ、そう言わずに、なんかコメントしてくださいませ、よ、ね。

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…まさみ…
by masami-ny55 | 2006-05-10 04:13 | 日記


東京の日常生活と、仲間たちとの交遊録


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