<   2005年 11月 ( 8 )   > この月の画像一覧

青空と銭湯

今日、東京は青空が広がったままだ。午後三時をすぎてもその様子は変わらない。 どうやら、このまま夕焼け空に変わっていきそうな按配だ。
青い空からオレンジ色に変色する空を見上げるのは、東京では久しぶりのような気がする…。
明後日から、12月。秋も終わって、冬が来ていた。
e0013640_18255320.jpg

本郷の坂下にあるこの事務所は窓ガラスが大きいから、外の景色が遠くまでよく見通せる。あんまりいい天気だから、ビルに籠もっているのがもったいなく感じて、外に出て歩いてみた。商店街では、主婦たちが夕餉の買い物で忙しない。
並木の影が舗道に長く伸びて、街の喧噪はこの時間、静まることはない…。

寒いから、顔に手をあてがってみたら髭が伸びているのに気づいた。朝の洗顔で手を抜いたか。
お風呂屋さんに行って髭を剃ることにした。陽の残っているうちに、風呂からあがって事務所に戻ってくればいいか…と。
都会で銭湯に行けるとは、現代人の生活感覚からすると、これは少々贅沢なのかもしれない。
まあ、いい。本郷という地域が、私の性分に合っているだけのことだから…。

私の風呂好きは子供の頃から変わりない。
でかい湯船が好きだ。子供時分は、渋谷の銭湯はプールと同じに見えたから、泳いで遊んだ。調子に乗りすぎて、湯を跳ね上げるほど騒ぐものだから、おっかない叔父さんに拳固をもらった覚えもある。自分で創った船を家から持ち込んで、浮かべて遊んだこともあったし、手ぬぐいを手に広げて石けんを塗り込んでシャボン玉を作り、お風呂屋さんの広い洗い場で飛ばしたこともあった…
もちろん、近所の子供たちと一緒に銭湯に行くのである。銭湯は、子供時分には恰好の遊び場だった。
そう言えば、最近の銭湯に行っても子供たちを見かけない。どこに行っちゃったんだろう。
たまに見かけても、大人たち同様に静かにしている。


e0013640_18222844.jpg私たちの世代は、子供の頃に親と一緒に風呂に入ることで、いろいろと学んだものだった。
大人になっても未だに私は、靴下から脱いでいく。この指導は、父から習った。下着の着方は、母親に習った。たたみ方も同様だが、これは大人になったら自分流にアレンジしていた。
裸になるとうれしくなって、そのままドボンと湯船の飛び込んだら、父の拳固が飛んできた。人がいっぱいいるのに…。恥ずかしいやら、痛いやら…
「洗ってからにしろ! 馬鹿!」
洗ってから…か。

父は、人がいっぱいいるのに湯船の中で鼻歌を歌った…
新潟出身だったので、佐渡おけさ、だったか、十日町小唄だったか。子供ながら、父の鼻歌には感心した。いい声、なのである。
それが広い銭湯に響く…。

「歌っちゃってる…」

歌い方に特徴があった。必ず父は、歌い途中で、
「…かぁ~」と、一節入れる癖があった。私はその歌い方がおかしいから、笑った。笑うと、父はよけいに「…かぁ~」を強調した。

苦手は、父や母から自分の背中を流してもらうことだった。母親が私の体に触れると、くすぐったくて我慢できない。一方、父親は私を捕まえて押さえつけて洗ってくれたのだが、痛くて痛くて我慢できない。
「我慢しろ!」
の、父の声に我慢できない。泣けばまた拳固だろうし…耐えられないが、耐えるしかない。
今になって思うが、父は私を銭湯に連れて行くことで、生活道徳と習慣を教えていたようだ。

結局、お風呂屋さんでおしゃべりできるのが一番の楽しみである。だから、未だに私は人を誘って銭湯に行く…
e0013640_18153479.jpg


…まさみ…
by masami-ny55 | 2005-11-29 18:28 | 日記

手紙の言葉たち

たしか、遠藤周作だったと思う…。
吉行淳之介との対談で、文学の目覚めはいつ頃か、という話になり、遠藤が「それはラブレターを書いたときだよ」と答えていた。何日も費やして書き上げたが、結局は投函せずに終わった、というオチで、話題は他に移った。

ここで、最近の日本文学は何処へ行っちゃったんだろうか…的考察をするのではない。
もはやその考察をするのは、あまりにも空しすぎるのでやめておこう。

e0013640_1252978.jpgそんなこ難しい話ではなくて、今日の話題は「ラブレター」である。
「ラブレター」とか「恋文」
この言葉はいまや死語に近く、滅多に耳にしなくなった。

形容詞も動詞も、そして名詞も同じことだが、「使わなくなった単語」つまり「死語」というのは、社会環境と一致している。死語になった名詞は、すでにその社会では「存在感」がなくなったという意味である。だから、使わない。
「ラブレター」は、現代社会ではその存在感がないのである。要するに、ラブレターを書く人たちがいなくなったということなのだ。歓迎すべきか、落胆すべき現象かの判断は読者諸氏にお任せするとして、筆者としては甚だ淋しい。

ボクがまだ高校生に成り立ての頃。
異性に関心を寄せてしまう自分の心が、汚らわしく感じた。悪いことをはじめる人間になったのかと、自分に嫌悪感さえ感じたものだった。だから、異性と話したくなかった。どうしても話さなければならないときは、相手を見ないよう心掛けた。清らかな水が濁ってしまうような恐れさえあった。
だが、そう言う心の変貌と葛藤は「成長」なのだということを、友だちとの雑談から知ることになる。
異性に心を奪われることは、自分だけではないんだ、と言うことも知った。そして、それは、健全な心の動きなのだと、理解が難しかったが、なんとか理解できたのもあの頃だった。
あの頃は、中学生から始めたトランペットを吹いて得意になっていた。デキシーを吹いたり…。
しかし、楽しみは音楽ばかりではなくなってきた。現代国語の授業に大変な興味を示し始めた。
漢字のおもしろさ、形容詞の使い方に動詞の自由な動かし方、言い方。言葉の組み合わせと物語の構成の仕方…。難しい漢字を覚えると、偉くなった気がしたのもこの頃である。
中島敦の作風と出会い、梶井基次郎の文体にも共感した。戯曲を読んで、それを暗唱するのもあの頃の楽しみだった。使っている言葉の増大を実感できた時期だった。


e0013640_1481588.jpg次第に、自分でも何かを書きたくなった…
詩を綴ってみた。
で、「ラブレター」も書いた。渋谷の道玄坂商店街にある下駄屋の娘宛である。
数日、費やした。下書きは…覚えていないが、便箋を何冊も買い込んだことは覚えている。それを、すべて使い果たした。
コーヒーを飲むようになったのも、この頃だ。タバコは高校時代から吸っていたが、むろん学校ではそんなことはしない。自宅で、こっそり…だったが、両親は知っていて、黙認していた。
その「ラブレター」の返事は来なかった。しかし、書き上げて、投函できただけでホッとした。胸のつかえが取れたような気分がした。

下駄屋の娘に書くために、詩集を読みあさった。とくに、フランス文学はあの場合、とてもよい参考書になったことをいまでも忘れない…。フランス文学には、大変お世話になった。


さて。
こんなことを、最近感じている。それは、感情言語が乏しい、と言うことだ。
人が感じたくない感じ、反対に、人が感じたい感じにはどんな言葉があるか、と質問しても、答えてくれないのである。
言いたくないのではなく、ほんとに知らないのである。


言葉を知らなければ、物語は読めない。日本の若者なのに、これでは日本文学を読むことも出来なくなってしまう。

まあまあ、そこは許せるとしても、自分の心を言葉で表現できなくなることがボクには恐ろしいのだ。
貧弱な言葉だけで、会話を処置する。報告と反応だけの言葉で間に合ってしまう現代会話。
キレルだの、ムカツクだのと、この程度で「怒り」を表現しようとする。「挫折感」や「哀れみ」、「懐かしさ」や「ふくよか」…という言葉を知らないままでいる。だから、現代会話では使うことはない。
悲しいではないか。


e0013640_1445859.jpg本を読む時間がなければ、せめて映画を見ることをおすすめしたい。或いは、舞台演劇を見に行ったらどうだろうか。そして、その帰りにはお茶でもして、感想を述べあってみたらどうだろうか。
渇いた心に少しでも潤いが戻ってくるというものだ。

そして、誰かと「文通」をしてみるといい。会うことのない人と、E-mail をしよう。
社会性をもって、言葉を選んで、個性的に。きっと、楽しくなってくるはずだから…

言葉こそ、人間の持つたったひとつの「お宝」だ。
この宝物は、お金や財産とは違う。財産は使うたびに減っていくけれど、言葉という宝物は、使わないと、減ってしまう。
「言葉」は覚えて、仕舞い込んでしまったら消えていくもの。

「言葉」とは、使えば使うほど、その人の人生は豊かになっていく…



e0013640_1421480.jpg
…まさみ…
by masami-ny55 | 2005-11-25 01:34 | 日記

Yankees calendar 2006 の当選者発表!

当選者は
ペンネーム「じじっこさん」に決定!

審査は、厳粛な雰囲気に包まれ、応募者の書いたコメントからいかに「欲しいか」を探った。
その結果、じじっこさんの「元気づけるにはカレンダーが一番!プレゼントしたいなー。」という一節が審査委員各位の共感を得た。
ひどかったのは、「欲しい!」を3回も繰り返したビトンだった。審査委員各位は、その駄文に目を覆った。「あまりにも、ヒドイ」と…

また、今回の応募者は大変たくさんの方々からいただき、その大反響から、ひとりだけ、というのは少ない、と判断。特別賞に輝いた「ねっこ」にも、Yankeesカレンダーを贈ることに決定した。その書き方から、地方色豊かな感じがよく伝わり、懐古的とも言える文体が審査委員の目に止まったようだった。

さて、これからも続々と「読者プレゼント」を企画します。多数の応募をお待ちしています。

尚、ふたりの当選者には、事務所でお渡ししますので、お受け取りに来てください。
おめでとう!

で、感謝は? 「手ぶら厳禁」のこと!

…まさみ…
by masami-ny55 | 2005-11-24 23:34 | 日記

カードの季節

11月末。
アメリカでは、今週末は感謝祭だ。
各家庭の主婦たちは 、親しい来客のために、そして子供たちのためにとこの季節になると特に主婦がキッチンを忙しなく動き回っている。メインディッシュのターキー料理は、日本風にたとえるなら「お袋の味」といったところか。
そして、あとひと月すれば今度はクリスマスがやって来る。アメリカの家庭では、この季節は毎年忙しいのである。
e0013640_1919191.jpg
この時期、カードが飛び交うのも、彼らの生活文化だ。
彼らは贈り物をするとき、欠かさずカードを書き添えて渡している。もちろん、肉筆だ。とりたてて贈り物がなくても、ちょっとしたお礼と感謝でも、彼らはカードを書くことを欠かさない。
きっと今頃、ニューヨークの友だちはせっせとカードを書いているに違いない。

アメリカ各地に行っての楽しみ方にはボクの場合結構多いのだが、本屋に立ち寄ることもそのひとつになっている。ボストンでもニューヨークでも、ワシントンDCでも本屋に立ち寄ってくる。時には、PC専門書や美術書に戯曲、詩集などもまとめて購入する。そのおかげで、「Barnes & Nobel」の会員になってしまった。会員になったら、割引率が良いのである。
本屋へ行くのは目当ての本を購入することあるけれど、大半はぶらりと店内物色してまわる。文房具を見て回るだけでも、楽しい。コーヒーもあるし、ゲームもある。あっという間に、1時間はすぐに経つ…。
ところで、アメリカの本屋さんでいつも感心するのが、カードである。トランプ、ではない。
風景写真からジョークのきいたイラストに、あたたか味を感じるデザインカードなど種類は多数ある。女性向けに子供用、各記念日や感謝、あいさつとその使い方も又、豊富である。ボクもその楽しさと美しさにつられて、ついつい数枚か買い込んでしまう。 
ここ数年、日本の書籍販売店でも見かけるが、その量と種類の多さには、アメリカの本屋さんにはかなわない。
アメリカ社会では日常的にカードが使われているということなのだろう。

もうすぐ、お正月だ。
日本では年賀状の季節である。
年賀状に、家族写真を印刷して送ってくる人がいる。自分の子供の成長を見てくれ、ということか…。しかし、こういう人に限って、今年一年、じかに会って挨拶した覚えがない。電話すらないのに、印刷したはがきが届くだけである。そして印刷した、余白の、ほんの僅かに残った白地に「お元気ですか?また会いたいものです」などと、細かい字で書き込んであったりする。これが、年賀状か…。
こうしたはがきは、ボクの場合、始末に困る。

アメリカ人のカードの使い方は、日常、職場でも私生活でもかかわり続けている人に、平気で自分の気持ちを文字に書く。さっき、会っておしゃべりしたばかりなのに。

e0013640_1921483.jpg1980年の前半だった。まだ、NYで記者をしていた頃…。
女性の友だちがいた。ビレッジに行った時だった。
「ねぇ、ちょっと寄りましょう」
と、カードショップに立ち寄った。「このカードがいいなあ」と、ボクが言ったら彼女は、
「じゃあ、あたしがもらっておく」と、ボクの見つけたお気に入りのカードを取り上げるのだ。
「なんだよ、それはボクのだよ」と、腹立たしかった…。気に入った風景写真のカードを彼女は取り上げて、とうとう返してくれないのである。
彼女は「どうせマサミに届くのに…」と、ボクの怒ったことを不思議な顔で見ているだ。

そして数ヶ月が経った。冬の日本でボクの誕生日が来た。誕生日なんて、忘れていた。
それより、〆切の原稿書きだから。すると、机に海外便が届いた。
開けてみたら、あのときのカードが出てきた。

「お誕生日 おめでとう」

とペン書きだ。彼女からのカードだった。慌ただしい〆切原稿の執筆中に、あぶなく涙が出そうになった。
感動だった。
彼女の声と思いがそのカードから伝わってくる…
「なにしてんのか、電話してみっかな」

それ以後、ボクは彼らの生活習慣を覚えた。素敵なことだと思う。
だからボクも、日本でも親しい友だちには、彼女の手口を真似することにしている。
で、おかしいことに、全員があのときのボクと同じ怒った顔になるのである…

e0013640_19172684.jpg
…まさみ…
by masami-ny55 | 2005-11-24 19:31 | 日記

松井選手 Yankeesと4年間の再契約!


で、ビツグプレゼント!!
e0013640_1549188.jpg


MLBサイトによれば…
「ヤンキースと松井は5千2百万ドル、4年に同意する」
との見出しで報じている。
その記事の内容は、以下の通りだ。
「2005年11月15日
ニューヨーク( AP ) - ヒデキ・松井とヤンキースは火曜日の夜に5千2百万ドル、人気が高い外野手をニューヨークに置いておくであろう4年の契約に同意した。
松井のエージェント、11月15日の期限がチームとの松井の最初の契約に含んだブライアン Cashman が会った Arn Tellem 。 その会合で、もしその時までに合意がなかったなら、ニューヨークが外野手を無条件のリリース権利放棄の上に置かなければならないであろうと述べた、そしてそれはヤンキースが5月15日まで彼と再契約するのを阻止したであろう。

「私はヒデキがリリーフされることを知っている。 これは彼が常にどこにいることを望んだかである」、と Tellem が言った。 「彼の希望はヤンキーとして彼のキャリアを終えて、そしてヤンキースがワールドシリーズで勝つのを手伝うことである。」

とのこと。

さあこれで腰を据えて、また来年からヤンキースの挑戦が見られるぞ!
ワールドシリーズを制するヤンキースの面々の姿を夢見て…その中に我が友、松井選手がいるのだ!

おっとお、そこでみんなに素晴らしいお誘いをしておきましょう。
ボクはなんとしても来年の9月、YankeeStadiumに行くぞ! そう、シリーズ終盤戦の熱き9月だ!
おそらく、ボクの天敵ビトウにユジゥ、ピンポケ先生のナメカワに燃えるクルマ屋カズマサちゃん、そしてヨコハマの元イケメンのバイク屋ナカジョウ君たちも行くでだろう…
ボクたちと一緒に一緒に、ナマ松井選手を見たい人は、早めリクエストしてくださいね。切符は4月頃購入しますからね。土壇場ならナンボになっちゃっうか、知らないぞぉ~~~

そしてそして、松井選手再契約を記念して、ボクの大切な大切な「お宝」を、お一人様にあげちゃうぞぉ~~~
「お宝」とはなにか??
なんとなんと、
MLB公認「2006Yankees Calendar」だぁ!!!!!
欲しいヤツは、コメントに「欲しい!」と書き込め!!!!
ただし、ヤンキースのファンじゃないと、その資格はないぞ。あったりまえ、だ!!!!!!
e0013640_15493345.jpg

(写真はYahoo!sports MLBサイトより)
…Masami…
by masami-ny55 | 2005-11-16 15:51 | 我がヤンキース

ひとみちゃん奮闘記

なんて言えばいいのかなあ~~~

もし、十数年ぶりで「かつての仲間」から連絡が来たら…。
ボクだったら、とにかく失礼のないようにと、ひとまずは応答程度はするだろうなあ… 
関係ないと感じたり、アブないと思ったら、「君子危うきに近寄らず」で無視するのが正しいことなんだろうけれど、それがボクには出来ないんですよ…ねッ。

e0013640_16101823.jpgかつての仲間とは、例えば学生時代のクラスメイトだったり、同好会のメンバーやクラブ活動の友だちだったりするだろう。
そしてその連絡してきた「媒体」もまた、連絡内容と比例している。郵便物で印刷だけのものなのか、肉筆の手紙なのか、いま流行りのE-mailや携帯メールか、それとも直に電話なのか。それによって、連絡内容の性格がつかめるというもの。
ボクだったら、そう思う…

先日のことだった。
ひとみちゃんが「クラブ活動の同窓会」を企画した。そのクラブは、ひとみちゃんがまだ独身時代に参加していたものだという。
「あれから十数年経ったから、みんながどうしているか、シェアしようよ」
という企画だったらしい。ひとみちゃんの企画に賛同した仲間たちが増えて、「幹事たち」になった…
で、一斉にみんなでかつての仲間たちに直に電話掛けをしたと言う。昔のことだから、相手の電話を調べたり、知っている人に尋ねたりといろいろ取材もしたようだ。

「ワーイ! 名古屋からニイミちゃんも来るって! やったぁ~~」
はしゃいでる。その姿を見て、電話している人達のパワーも上がっていった。
だが…

楽しそうに見えていたのだが、昨日の晩、ひとみちゃんはなんとなく淋しそうにしているではないか。
「なにがあったの?」
「つまんなくなっちゃった…」と、いつものキャンキャン声が消えている。

理由を聞いたみたら、こうだ。
電話に出た相手の、なんとも冷たい声だったという。ひとみちゃんが例のハイトーンでおしゃべりしていても、返事もしてくれなかったという。なにを今頃騒いでいるのか…そんなグループはとっくの昔に終わったことだから、誘いの連絡をされても行く必要はない。そもそも、記憶がほとんどない… と、まるでひとみちゃんの連絡を「押し売り相手」同様に冷たくあしらわれた、と言うのだ。

相手は、いまでも、あの頃同様に高校の教師である。そして、夫もまたかつて、ひとみちゃんたちと一緒になって「クラブ活動」に参加していた人だった。ご主人は、国立大学の講師から教授になっていたようだ。

e0013640_1692964.jpg
ひとみちゃんの落胆ぶりは、察しがつく。
こういう人達と一緒に、あの「クラブ活動」をしていたんだ、という現実を見るのは切なかったのだろう。
大学の教授と高校教師の夫婦だったら、電話の話し方程度は「常識範囲」にとどめて欲しかった…。エライ人たちなのだろうから。

ボクはかつてエライ人達、と電話していた頃があった。記者生活をしていた頃だ。
電機メーカーの社長に総合商社の社長や役員、基幹産業の役員たちと毎日電話していた。不思議なことだが、日本を代表する企業のトップに限って、電話は単純明快。不快感ゼロだった。そして、なににもまして雑談の名手が揃っていた。その雑談から、ボクはその人柄を探っていたものだった… そして、それをそのまま記事にしたことは何度もある。

ボクはひとみちゃんの話を聞いて、これが現在の日本の「常識会話」だったとしたら、悲しすぎると思った。
少なくても、電話相手に不快感は与えないだうろ。用件程度はきちんと聞くと思う。

十数年…
時が流れる。やがて、また時が流れていく。多くの時間が流れていく。
「時間」とは、すべてを押し流す魔物なのか、それとも人を成長させてくる福音なのか…

いやいや。「時間のせい」ではあるまい。
なにを大切に生きていたのか。その人の人生という「時間」の質が決定されるのではなかろうか。
ひとみちゃんの落胆は、ひとみちゃんひとりにして欲しいものだが…

e0013640_15542758.jpg

…まさみ…
by masami-ny55 | 2005-11-15 16:10 | 日記

ともに勝つ?

最近になって、こんな言葉を聞く…
「ともに勝ちましょう!」
ビジネスの会合でも、こんな言葉で演説している人を見かけたりもした。あたかも、カッコいいだろう! と、言わんばかりの演説だが…

私には、さっぱり意味がわからない。
e0013640_16461253.jpg

勝つ。克つ…。
んーーー、難しい。
なぜ、ビジネスの世界で「ともに勝ちましょう」と言えるのだろうか?

勝つ、とは「うまくいく」という言語的表現だ。
あるいは、「負け」が存在しないと「勝ち」が存在しない。まあ、勝ち負け、のこと。
スポーツの本質は、競い合うのだから、勝ち負けゲームに他ならない。したがって、スポーツの世界では「ともに」は勝てない。どちらかがうまくいき、どちらかがうまくいかない。欲しい結果はどちらか片方、ということになる。

ビジネスとて同様。出来るだけ、原材料は安い方がいい。安い原材料を提供できる組織が「勝つ」。加工会社、メーカーも同様だ。出来るだけ工賃は抑えたい。そして、流通では少しでも利幅をふくらませたい…どこかで、その歪みが生じているはずだ。
ということは、この行程でどこかの担当部門が必ず「うまくいかない」グループが出る。で、「借り」を創る。それが商業という経済組織である。
極端な言い方をすれば、10で仕入れて、200で売ろうと10000で捌こうとも、お構いなしである。
と言うことは、誰かが多く支払っている…それが商業主義の本質のはずだ。
この経済界のどこに、「ともに勝ちましょう!」なとど言えるゲームが存在しているのか…あり得ない。どこかが、嘘っぽい。

マネーゲーム、経済界の中では、「ともに」は、うまくいかないのである。だれかが、どこかで「損」もしくは「借り」、犠牲になってしまうのだから。競い合う本質の場では、「ともに」は、勝てない。にもかかわらず、
「ともに勝ちましょう!」
と、商店街の集会などで演説している人こそ、「うまくいっていない人」と言えるのではなかろうか…

e0013640_16462612.jpg


しかし、単純に人間関係、となると話は俄然違ってくる。
ふだんから、自分を取り巻く人たちに対してどんな言葉を多用しているのか…自分の使っている言葉に意識がさほどないのでは。
職場の人たちに対して、自分はどんな態度でどんな言葉を多用しているのか。そして、その訳は? と、なるとけっこう答えに詰まってしまう人が多いのではなかろうか。
友だちと言っても、せいぜい飲みに行く人とかコ博打の付き合いをしてくれる人。もしくは、自分にとって都合のいい人…などを友だち、と呼んでいたりはしないだろうか。友だちの概念も曖昧だったり…

自分をよく見せたい、自分を守りたい。自分の主張を押し通したい。自分は動かないが、人の批判や文句はお得意…
そんな生き方をしている人も又、いる。
「あんな人にはなりたくない」
と、批判しているけれど、自分の生きる目的はない、なんて人もいたりする。
「うまくいってない」

言葉は力。継続する人生の中で、変化させる力をパワーと言っていたはずだ。
人間は成長していいとボクは思う。こう言うボクだって変化していい。

覚えてきた言葉を使うのではなくて、「生きている言葉」を自分の言葉にしたいものだ。
いま、なにを感じて、なにを思い、どう振る舞っているのか…それをどんな言葉にして、人とかかわっているのか。
実はここが、おもしろいとボクは思う。
なぜなら、ここにその人の人生そのものが顕れるのだから…
e0013640_1901921.jpg

…まさみ…
by masami-ny55 | 2005-11-11 19:01 | 日記

人生で最も素晴らしいこと

おはようございます!

e0013640_12231126.jpgこのブログって、自分の日記を書いているはずなのに、いつの間にか「読者たち」を意識して書くことになってしまいました。
日記だけだったら、読者への意識は無用なのに… 従って、文章上の配慮もいらないはずなのに、まあ、「出版されない随筆」というような意識で書いていた方が筆者は社会性を保てるのでしょう。
ブログって、人に見せる日記と言うことなのか? おかしな話です。



おかしな話といえば、ボクの周りには日常そんな話が山盛りです。
職場でのこと、家族とのかかわり、友人たちとの関係…おかしな話をたくさん耳にする毎日。つい、昨日も…

ボクが言う、おかしな話とは、こんなことです。
当事者が自分のしている「目的」を忘れてしまう、ということです。
例えば…
街を歩いていた。突然トイレに行きたくなり、デパートに飛び込んだ。そして、セーターを買って出てきた…
おいおい、「用」は足してないじゃないか!

と、言うような事柄です。
以下、実話です。

友だちの卒業式にプレゼントをしてあげたい。なので、友人とデパートに買物に行った。そして、ふたりはケンカして出てきた。
おいおい、「用」は足してないじゃないか!

友だちに自分の楽しい出来事を伝えたい。なので、焼き肉屋さんに誘った。そして、おごってあげて帰ってきた。
おいおい、「用」は足してないじゃないか!

家族で楽しい時間を持ちたい。なので、ディズニーランドに行った。そして、子供が迷子になって親子げんかになった。
おいおい、「用」は足してないじゃないか!

家庭を持って幸せになりたい。好きな人が出来たから、結婚した。そして、男は昔の女と別れずに隠れて逢っていた。それを女は知らない。
おいおい、「用」は足してないじゃないか!

お金持ちになって、人並み以上の生活をしたい。頑張って、仕事を続けた。そして、貴重な休日は部屋で寝ているだけ。
おいおい、「用」は足してないじゃないか!

こんなことは、限りなく書ける… おかしな話ですね。
人生の目的意識をなくしてしまうと、おかしな話がおかしな話ではなくなって、「状況が変われば、それなりに気持ちも変わりますよ」と弁解が始まります。そうでしょうね… と、ボクは答えることにしています。どうせ、聞こえない人だから。
でも、ホントにそうでしょうか…?
e0013640_12255062.jpg

状況。
現実は、変わりありません。問題は、その現実をどう見ているか? 自分にいま、どんな言葉がよぎっているか…では、ないかなあ、とボクは思います。
あきらめの言葉か、イライラした自分の言葉か、勝ち負けを競っているのか、どんな不安や疑りの会話があるのか…を、自覚出来たとしたら…。また、本来の目的意識を回復できるはずなのにって、思うのですよ。だって、少なくても、自分の感情と意識を区別できますもの、ね。
目的を成し遂げようとする言葉と、現状での言葉の区別が可能になってくるってことです。

もし、現状に応じた生き方をしていたとしたら…つまりは、現実に流されて生きていることになっちゃう。それも、無意識で。
そんなの、ボク、やだな! ロボットじゃあるまいし!

失敗をすると恥ずかしい、なので失敗したくない。そうだ!なにもしなければ、失敗はない。これだ!
でも、成功や達成が削除された人生ってことになる… けっこう、こういう人達って多いようですね。


要は、自分の人生を人と一緒に生きるか、自分ひとりで生きるか…の、違いがその人の「言葉」に現れているようにボクには思えるのですよ。
与えた人生か、守った人生か…。


e0013640_12344828.jpg誰だって、人生で大きな失敗はしています。大きな忘れ物もしています。そのとき、自分が自分にどんな「言葉」を使っているか…が人の生き方だと、ボクは思うのですよ。
人間と他の動物とのたったひとつの違いは「言葉」を持っていること。かかわれるってことだと、ボクは思います。
その貴重な言葉をどのように使うか…が、その人の人間性が現れると思う。ボクは、その人の言葉を聞けば、その人がわかります。
ボクは始めは、相手の言葉にあわせます。かかわりやすくするために、ね。

人生で最も素晴らしいことは、「訂正できる」ってこと…。
間違えたら、元の道に戻れるってことです。素敵なことだと、ボクは思う。
悪いことをしたら、「ごめんなさい」と相手に言い、感謝があるなら「ありがとう」とその人に直に伝える。この単純な会話から始めていくと人は「成長」という「単語」に出逢えそうです。

そして、最も偉大な人間の行いとは、「訂正できる」ことを、現実に「実行する」ことではないかな…って。まあ、かなりの勇気がいるでしょうけれども、ね。しかしそれも、所詮は自分の言葉なんですが…。

友だちが多い方がいい? それとも、人を利用する人生がいい?
愛されたい? 人からよく見られたい? 

でしょうね… でも、ホントですか?

目的意識の強い人の行動は、その瞬間は人からの理解はなかなか得られませんよ、残念だけど…。
後になって、わかってくれる人がいるかもしれないけれど、ね。
こういう人は、友だちが欲しいからという目的で生きていませんね。でも、結局は気がついてみたら、多くの人達と生きていたりする。
愛されたい、なんてあまり感じていないみたいね、こういう人って。でも、多くの人達から尊敬や愛されていたりしますよ、ね。
人生を豊かにしたいのか、生活を豊かにしたいのか…生き方は、正反対ですね。

言葉を豊かに
もし、いま自分の人生が自分で思ったほどの豊かさを感じていなかったら、自分の言葉を訂正してあげればいい。
それで、また元の道に戻れるはずです…よ、ね。

e0013640_12183096.jpg
…まさみ…
by masami-ny55 | 2005-11-02 12:37 | 日記


東京の日常生活と、仲間たちとの交遊録


by masami-ny55

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30

Translation(翻訳)

記事ランキング

以前の記事

2015年 10月
2015年 04月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 08月
more...

カテゴリ

全体
日記
我がヤンキース
自己紹介
未分類

フォロー中のブログ

空とぶっちゃの日々
松井秀喜選手の「夢」物語

検索

画像一覧

その他のジャンル