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加熱! 米大リーグ地区優勝決定戦

かつて、これほどの大接戦を演じた年があっただろうか…
今年度の米大リーグのことである。
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        9/19対オリオールズ戦でクロスビー自身初のさよなら本塁打

National Leagueは、東部地区ではアトランタブレーブス、中部地区はセントルイスカーディナルス、西部地区サンディエゴパドレスの3チームがリーグ優勝決定戦の進出戦出場が決まり、後はワイルドカード1チームを残すだけになったが、おおよそヒューストンアストロズが有力だ。それにしても、優勝チームが決定するのに、これほど切羽詰まった年はない。
おまけにNational Leagueではパドレスが78-79で勝率5割を切っているのに地区優勝を果たすという珍事。

                       大リーグで3割打者になれるか、今年の松井選手
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さて、全米が注目しているのが我がヤンキースが所属するAmerican Leagueだ。
とくにメデアが追いかけているのが、ヤンキース対レッドソックス、宿敵同士の毎試合の勝敗結果である。
9月29日現在、ヤンキースが93-65の勝率.589、ボストンレッドソックスが92-66の勝率.582で1.0ゲームヤンキースが有利なのだが、仮に明日の試合結果でゲーム差2.0になろうとも、残り3試合が直接対決になっているから、ヤンキースは2勝しなければ地区優勝は出来ない。ボストンは3連勝できれば逆転優勝となる…


                 
また、中部地区のシカゴホワイトソックス対クリーブランドインディアンズもまた同様の大接戦である。
もし明日の試合で、シカゴが勝ってクリーブランドが負けたら、シカゴの優勝になるのだが、そうならなかったとしたら両チームは残り3試合の直接対決で雌雄を決しなければならない。もし、クリーブランドが3連勝したら大逆転劇を演じたことになる…

「新人王」なるか? 井口選手
e0013640_2513872.jpg接戦中のチーム同士が、最終戦までもつれ込んだシリーズは今までの米大リーグの歴史では、そうそうなかった。
そして、3連戦は日本時間で土曜日午前8時5分、日曜日午前2時15分、月曜日午前3時5分なのだからMLBファンはテレビの前に陣取っての観戦になると予想されるから、「国内時差ぼけ者」が多数出るのではなかろうか…
現実にこの3連戦を生中継で観戦したいと言うなら、土曜日午前8時までに起床して第1戦の観戦をし、そのまま同日は深夜2時から又第2戦の観戦になる。で、日曜日の午前中は寝て、再び深夜3時に目覚めてテレビの前に集合、ということになる。サラリーマン諸氏は、月曜日はなんとしても休暇を取らないと生中継は観戦出来まい。もっとも、第3戦までもつれ込んだら…だが。

National Leagueリーグ優勝戦がいよいよスタートするが、パドレスの大塚投手、カーディナルスの田口選手の出場が決定している。

カーディナルスの田口外野手
e0013640_323415.jpg一方American Leagueも、ホワイトソックスの井口選手、そして我がヤンキースの松井選手と四人の日本人選手がリーグ優勝戦に出場する可能性が出てきた。この話題だけでも、胸が熱くなってくる。

夢を追いかけて太平洋を渡った日本人選手が、米大リーグのリーグ優勝戦に出場するのだから…

井口選手は目下、ヤンキースのカノー選手と新人王争いの真っ只中でもあり、優勝から見放されたとは言えマリナーズのイチロー選手は200安打まで後3本に…。個人記録も目が離せないが、松井選手の打点がどこまで伸びるかもまた、興味深い。そして、打率.300以上を残せるのか、も関心が集まっている。

200安打まで、あと3本のイチロー選手
e0013640_35387.jpgいずれにしても、10月が熱い!
この温度が、MLBなのだから。










(掲載の写真は「Yahoo!sports MLBサイト」より)
…Masami…
by masami-ny55 | 2005-09-30 02:58 | 我がヤンキース

「場と時」の発見

小学校の高学年になると担任の生徒への叱り方に違いが出てくる。
「時と場をわきまえなさい」
こんな言い方で、悪戯をする悪童たちを静かにさせたものだ。

「場」と「時」…

e0013640_1339666.jpgボクはベースボールが大好き。ベースボール用語に「適時打(タイムリーヒット)」という言い方がある。安打は安打でも、直接得点に結びつく安打のことをこういう。反対に、「失策(エラー)」でも、「致命的な」と言う表現もある。その失策は、直接勝敗に悪影響が出るという失策である。このほかにも、「絶好球」、「まさかの(盗塁、ダブルプレー、本塁打)」という言い方もある。

ベースボールに限らず、日常生活でも「仕事の待機中」とか「待ち合わせ」、さらには「明日」「昨日」「時期」…、というように「時」と「場」を示す言葉は限りない。春夏秋冬、歳月、新旧、出逢い、別れなども同様である。

また「場」だけを示す言葉もある。極限、局地、地帯、欧米、地方…は分かりやすいだろうが、明暗、陰陽、勝敗、喜怒哀楽…などもまた、「場」を実感できる言葉だ。

これらの言葉「場」と「時」はすべて、私たちが生きている地上でのことであり、視野を広げれば「宇宙空間」そのものの営み。私たちの人生はこの「場」と「時」の上にあるものだから、それを無視した生き方は出来ない。それが自然の「秩序」なのだろう。

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認識論ではこれを「場の発見」「時の出逢い」と表現しているようである。
このことについて書くのは、この「場」ではふさわしくないし、書き上げるには「時」が不足している。

にもかかわらず、人はその場、その時を感じない時もあるようだ。
グループ全体が「勝利」を目標にしている「時」、ぎりぎりの力を出し合わないと目標を達成できない…なんていう「時」に、ひとりだけボーッとしたり、力をそぐような言動を無意識でしたりしている人が、ままいる。
そういう人は、グループの方向性からみて、「外」にいる。従って、みんなの嫌われ者になったり、厄介者扱いされたりする。
成果という言葉、達成という状態、全体から見た団体の行動という点では、こういう人達は悲しいかな、成果や達成とはほど遠い「場」に置かれているのだ。


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心配な仲間たちがいる…
タカノにシミケン、そしてあの勘の悪さでは金メダルのビトウに、特1おんな…なんでボクの周りには、「場」の悪い奴らが多く集まるのか…。

「時と場をわきまえなさい」
と、言うわけである。


…まさみ…
by masami-ny55 | 2005-09-27 13:28 | 日記

「独り言」と「反応」


e0013640_150504.jpg人の反応を見ているだけでも、ボクは話を聞いているのと同じほどに、おもしい。
そして、興味深い…


社内の電話で、お客様と商談している様子は周りにいる人なら、その話し方や様子で察しがつく。
だいぶ、忙しい話し方だから、その商談はきっと緊急なのだろう…。
慌てているその人、受話器を肩で支えながら隣の席にいる同僚に、
「ごめん、これ、コピーして」
と、小声でお願いしている…
すると、隣の同僚サンは間髪入れずに、こう返答した。
「できない!」

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1秒間くらい、考えてくれてもいいのに…ねぇ。


この場合、「できない!」という言葉にはなっているが、実は「したくない」が本意の言葉ではなかろうか。

頼まれた瞬間、「できない!」。
このときの「できない!」は、言葉だが、会話ではない。反応、である。


「これ、どう思う?」
と、自分が作成した書類を同僚に見せる。
同僚からの意見を聞きたいのであろうが…
そのひと、その瞬間
「わかんない」

1秒間くらい、書類に目を向けてくれてもいいのに…ねぇ。

この場合、「わかんない」という言葉にはなっているが、実は「てめえで考えろ」「責任、おっかぶせるな」「おめぇのことだろ、人を巻き込むな」が本意の言葉ではなかろうか…。
このときの「わかんない」は、言葉だが、会話ではない。反応、である。
反応したとたん、会話は停止する。

反応とは、自分個人だけの言語であり、会話とは複数の人達との「かかわり」だ。
かかわりのない言葉、反応言語とは、「独り言」とも違うようだ。

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独り言は、「かかわり」と言う観点で言えば、「自分が自分」とかかわっているときである…
ときには、自分のしたことを自分で承認したり、自分のしたことを後悔したり謝罪したり…そんなとき、人はときどき「独り言」を呟く。
現実の自分と夢を追う自分、今の自分と時空超えた自分との「会話」を楽しむ…。
創作言語という意味では、舞台の「脚本」を書く作業も「独り言」といえるのではなかろうか。

この日記もまた、独り言、であることには間違えない…

会話とは、自分以外のものとの「かかわり」が前提だ。かかわる、と言うからには、相手からの返事が戻ってこなければ会話として成立しない。
この言葉の世界の原則を無視して、会話は成立しない。
一方が語りかけているのに、返事がない。会話が成立しない。

一方的に、携帯メールを出して読んでいないアンタが悪い、と怒っても、もともと会話のルールを無視しているのだから困ったものである。

会話の基本姿勢は、一方が話し、一方が聞く、ではなかったか…。それが「かかわり」の始まりだったはずだ。
最近の人々の話し方は、一方的にしゃべりまくり、相手もしゃべり続け、一緒にデカイ声で大笑い…とか。
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ちっとも、話してない。聞かない…。現代人は、聞くことがあまり上手ではなくなったのかも。


…まさみ…
by masami-ny55 | 2005-09-21 01:53 | 日記

大器晩成の樹

パリのルーブル美術館の至宝「モナリザ」が来日したのは、確か昭和49年頃ではなかったか…
まあ、歴史的記憶は定かではないけれど、ただ、モナリザが上野の美術展に飾られたとき、日本国中がモナリザ一色になったことを覚えている。
どこに行っても、どこにいてもマスコミの話題は「モナリザ」だった…

「ねぇ、見た?」
「見た見た! でも、ほんの数秒間。止まって見られないのよねぇ」
「でも、見られただけでもよかったじゃない! 私の友だちは、ダメだったみたい…」
「あっ、そう。やったね!」

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「モナリザ」の美術品としての価値感や、画家ダビンチと宗教画との関連、その背景と、なにひとつ飾りを付けていないモナリザの姿の意味なんて、どうでもよかった。見たか、見ないかが問題なのだ。ただ、それだけだ。

この現象は、上野のパンダも同じだった。
当時の田中総理と中国外交のシンボルとして、「パンダ」が日本にやってきた。これもまた、大変な人気になった。
地方からは観光バスを乗り付けて、上野動物園に行列が出来た。一目パンダを見ようと、長蛇の列だった。子供は泣き出すし、お年寄りは待ちきれずに倒れるし…

これもまた、見たか、見ないか…が、問題なのである。中国との国交回復なんて、まったく話題にも上らなかった。

ブームが去ると、また次のブームを待ち、その波に乗って楽しむ…
同時に、ブームが起きるとあえて抵抗する人達も登場する。
「あ~~、それね、くだらんよ」
「なんであんなものに感心するのか、わからない」
「流されるようで、いや。個性を大事にしないと、ねぇ」
などと、ごもっともなことを言うが、こういう人達は友だちが少ない。

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最近では、「韓流」というのがあった。
その代表は、「冬のソナタ」という悲恋物語だろう。ボクもこのドラマが気に入ったひとりである。
とにかく、主人公のふたりは、なにひとつ決めない、という物語である。その場その場で、立場を豹変していく。
ボクには、ここが現代的でおもしろい。
決めないから、かかわる脇役陣がこのふたりを「かまって」いる。
「ああしなさいよ、こうしたら?」
「早く行きなさい、遅れるから」
「心配しないで。大丈夫よ」

…その台詞を上げたら、書ききれない。

決めないから、悲恋物語が成立する。脚本を少しでも学んだ人達にとっては、定石オンパレードだ。

ただ、この「冬ソナ」は、現代的だというおもしろさを感じた。なぜ、このドラマがこれほど支持されたか。
視聴者は、このふたりをブラウン管を通じて「かまいたかった」からではないだろうか。
「そうよ、それでいいの」
「だめだめ、それは危ないじゃないの」
と、ドラマを見ていて奥様方はそんな声をブラウン管に浴びせたことだろう…

現代の人間関係は、ほとんどが、「これ」である。
はっきりしなければ、はっきりさせてあげようとお節介を焼いてくれる人が現れるものだ。
決めない間は、「かまって」もらえる。これがまた、なんとも心地好い。

言う人と、言われる人…。
かといって、なぜ決めないのかと、強く諭さない。強い口調で伝えると「嫌われる」からだと。
嫌われたくないないから、相手が人生の道をウロチョロしても、所詮は口出し程度でとどめてしまう…

人は、間違える確率の方が断然多い。失敗は人生で、つきものではないか。
3割打者というと、ベースボールでは偉大なバッターである。が、ヒットしている確率は、7割の失敗である。

e0013640_123634.jpg自分を包む。いつの間にか、なぜ自分を包んだのかさえ、記憶がないほどに、自分を包んで飾り立てる。その多くの理由は、「バカにされたくない」から。なので、知っていることを増やそうとする。知る量を増やせば、バカにされない、と勘違いしている人は多い。


ボクの授業に、国立大学の教授が参加したことがあった。その同じクラスに、地方から来た72歳の女性がいた。彼女の仕事は農業である。で、こんな質問をしてみた。
「先生。のりを巻いた三角おむすびを作れますか?」
「できんなあ」
「あっ、そうですか。ねぇ、お母さんは出来る?」
「はい、出来ます!」
「じゃあ、先生。金魚の正しい育て方を知ってますか?」
あえて、「知ってますか」というキーワードを使ってみたら…
「いや、それは…できません」
と、「知る」と言う言葉を避けての答え方をしていた。で、
「ねぇ、お母さん。金魚の飼い方、知ってる?」
お母さんはケタケタと笑いながら…
「お祭りで買ってきたから、孫に飼い方、おスえましたよぉ」
大学教授は、以後静かになった…

自分の知識は、自分の人生で「役に立っている」というのと、「役に立っているはずだ」…とは、全く意味が違うとボクは思う。

こういう人達の、常套句は「ああ、知ってるよ」「行ったよ、それ」「もういいよ、以前やったことがあるから」
まるで、昔々の「パンダ現象」「モナリザ現象」とおんなじなのだ。
金魚の飼い方も知らないくせに…よく、言うよ、ね。要は、実質的な成果を創れないことを、知ってるんですよね、こういう人達は。
口から出任せの会話だったり、人によって言っている言葉や表現を変えちゃったりとか、ね。
とってもとっても大切なものをその都度、失っていることに気がつかない…

ボクはもしかしたら大器晩成ってヤツなのかもしれないなって思う。
ボクの人生での発見は、賢い人達に比べるとノロノロしているかもしれない。ホントにボクって、スーパー ウルトラ ゴールデン スペシャル 馬鹿者なのだろう。実はボク、自分がバカだと言うことをちっとも恥じていないという点が、多くの賢者達から「毛嫌い」される原因みたいだ。でもね、ボクはいつまで経っても「成長をおそれる人」にはなりたくないのですよ… 第一、自分のバカさ加減を知れば知るほど、まだまだボクは人生で学ばなければならないことが多いから… 小利口な人生は、ボクには不向きなのですよ。
少しずつでもいいから、年輪を拡大していきたい。不思議なことなんだけど、ボクって、自分の年齢がわからなくなることがあるのですよ…ボクより全然若い人なのに、「ウソッ…老けてる」って感じちゃうことがあるのですよ。これって、ヤバイでしょ。



「冬のソナタ」…
ミニョンさんが、ユジンに言いました。
「なぜボクがあなたをここに案内したかって? 前をご覧なさい。こんなに美しい景色が広がっているではありませんか。それなのに、なぜユジンさんは現実の景色を見ないで、過去の思い出ばかり見てるんですか? 思い出探しの人生をいつまでやっているんですか? 影の国に住んでいるのは、ユジンさん、あなたですよ…」


e0013640_1144615.jpg素敵です! この台詞!!

人がいつまでも、おんなじことをしていると思う人は、自分がそうだから…ねッ。




…まさみ…
by masami-ny55 | 2005-09-14 01:06 | 日記

十数年ぶりの「新たな言葉たち」

昨日、ひょっこり秀さんがボクの事務所に顔を出した。
十数年ぶりの再会だった…

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大型の台風が去った本郷の坂下では、涼しい風が吹き始めたから、その風に乗ってやった来たのか…
手ぶらで訪れた秀さんは、上着を脱ぐとそそくさとハンガーに掛ける。その仕草は、勝手知ったる我が事務所と言わんばかりだ。
それはそうだろう、かつて秀さんはこの事務所を起点にして数々の成果を作ってきた。ここ本郷は、彼にしてみればまさしく「我が家」同然なのだろうから…。

「かわんねぇなあ、秀さんは」
「そうですか、これでも太ったんですよ」

突然顔を出した訳を尋ねてみると、秀さんはどうやら、ボクの新しく開発した言葉の授業に興味を持ったらしく、その話を聞きに来たというのだ。

秀さんの勤務先は、日本を代表するシンクタンク会社だ。彼が、ここ本郷を巣立ってから十数年が経った。
今では百人以上の部下がいるという…仕事は相変わらずせわしない。自宅に戻るのは「11時過ぎ」とのこと。

e0013640_14204427.jpgボクも懐かしく、あの頃と現在の現状の大きな違いを説明したら、秀さんは「会社もおんなじですワ」と笑った。
どんな世界であっても、どうせ人間がしていることだ、大差はあるまい。

ますます、彼は「ことば」への関心が増してきたようで、「愛の否定? なんです、それって? 人間同士に愛がなくなくなったらヤバイじゃないですか」と、秀さんは不思議そうにボクに聞き正してきた。
「愛? まっいいか…って、ボクは妥協してからね。その妥協がこんなことになっちゃって…今後は、いやいや、今こそホントに伝えなければならない言葉の世界を始めるときなんだろうなぁって思えて、ね」

そんな雑談をしていたら、西荻の風呂屋のババチャンが現れた。百キロを超える巨体を動かしながら、ハーハーと息を切らしてやって来た。ババチャンも十数年ぶりで本郷に帰ってきたひとりでもあり、秀さんの顔を見たさに飛んできたのだろう。
ババチャンは自分の参加した新しい授業内容の体験を秀さんに伝えた。
結局秀さんは参加することになったが、そこにまた、大学病院の教授秘書をしているヒトミちゃんが現れた。

ヒトミちゃんも秀さんとの再会は十数年ぶりだ。ヒトミちゃんとババチャン、秀さんとボク…
そこにまたしても、なんと世界のスピーカーこと、元学校教師のやっちゃんが座り込んだのだ。これはもう、話は止まんない。
みんな、十数年前はここ本郷の「同級生」だったのだから…
まるでこの時は、卒業生の「クラス会」になったみたい。

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若かった頃の思い出話はそこそこに、「新授業の内容」に花が咲いて、いつまでも散ることがなかった…
こんな話が続いた中で、秀さんは久しぶりの熱情を押さえきれず「十月に全開のボタンを押しますよ」と、笑っていた。

旧友との再会。そして、新たな言葉たちとの出逢い。新たな人との出逢い。
ボクは、「夢」がますますふくらんでいく…

また、ここ本郷はおもしろくなりそうだ…e0013640_14223313.jpg



…まさみ…
by masami-ny55 | 2005-09-09 14:26 | 日記

言葉とまなざし

大熊だって? ただの犬なのに…
そんなこと、出来ない。いままで、したこともないし…
わかってる、きっとそれはあれに決まってる。常識だよ…

そうかなあ?


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ただの犬、としか見なければ、犬は犬のままだ。
いままでしたこともないのに、してみる前に、なんで出来ないと決めちゃうんだ。
わかってるって、なにを? 常識って?

ほんの少しの創造力で犬を見れば、犬だって大熊に見えてくるのに…
したことがないから、してみると、素晴らしい体験が待っていることが多いのに…
常識って、言っているのはあなただけなのかもしれないのに…
したいことをしないどころか、したいことさえもう思いつかなくなっている大人達には、創造の世界や空想のお話なんて聞こえてこないんだろう…

「妖精の存在? そんなもの、あるわけないだろ。見た人間がいるのかね…証拠もないのに」
と、言う度に全世界にいる妖精がひとり、死んでいく… とは、ピーターパン君の有名なコメントだ。

人の中にある創造力を殺しているのは、他でもない。そういう、自分自身ということだ。

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日々、生きるこの人生で、現実しか見ない大人達は多い。
いや、現実しか見られなくなったとき、人は「子供」を捨てる。現実しか見ない教育をされ続けると人は「夢」を見なくなる。
見たところで、「何の役に立つのか、そんなもの」と、言葉で吐き捨てる。

椅子だって、登ればその瞬間に踏み台に変身だ。幼稚園に行ってみれば、椅子はジャングルジム、汽車ポッポにもなってしまう。
創造して、椅子と子供がかかわっているから。

これは、こうだ。こうに決まっている…が、しかし、それだけでもないかも…。


今の時代、使われている言葉の大半は「守る言葉」のような気がしてならない。
かかわりを広げることよりも、いかに狭くするか。
まるで籠の鳥がその籠を小さくしているみたいだ。飛ばない鳥になっちゃって…。

こんなだったら、ボクたちは「旅」は出来ない。休暇も取らない人になっちゃう…
妖精と出逢うなんて… とてもとても、無理な話。


ことばって、おもしろい。ボクはそう思う。
言葉を正していけば、人生は正されるし、言葉を豊かにしてみると、不思議なことに人生が豊かになる…e0013640_12271267.jpg



…まさみ…
by masami-ny55 | 2005-09-07 12:29 | 日記

私のトレーナーたち

今日のボクがここにこうしてあるのは、人生で出逢った多くの「トレーナーたち」の御陰だと思っています。
彼らはみんな、ボクの成長に関わってくれてました…。
同時にボクは自分の人生を思うと、この「トレーナーたち」に恵まれていたと、思っています。そんな観点ボク人生を見てみると、ボクは幸運だった、と思います。


e0013640_13143369.jpgボクにとってのトレーナーとは、母であり、父だったし…。小学校の先生たちであり、個性豊かなあの頃の友だちであり、高尾山から帰ってきた鳩であり、自転車であり、縦笛であり…そして、鉛筆たち。
映画のスクリーンの中で生きていたボクのヒーローたちであり、後楽園球場全部であり、ボーイスカウトの隊長と制服であり…そして、歩いた世界の道たち。

そんな多くのトレーナーたちから、いっぱい「生きる」を教えてもらってきたのがボクなのです。
もちろん、ボクはまだ多くのトレーナーから「様々な生きる」を教えてもらっている最中ですが…

ボクがこうして生きている理由とその答えは、とても簡単です。
そう。母がボクに「生きるチャンス」を与えてくれたからです。

初めてこの世でボクの存在を知ったのは、おそらく…お母さんだったと思います。
母は自分が身ごもったことを知ったはずです。子供が出来たことを知ったのは、誰よりも早く知ったのは、きっと…ボクの母だった。

で、お母さんにはこの瞬間「選択」があったでしょう…
身ごもったこの生命をどうするか、と。産むか、産まないか…と。

現代は優生保護法から、妊娠中絶は許可されているし、まして、宗教的倫理観の会話がさほど高くない我が日本では掻爬しても、個人差はあるもののさほど罪意識は高くはないのが現状ではなかろうか…
そんな社会性の中で、お母さんは少なくてもあれこれ考えたかもしない。
夫との今後の人生関係や、経済状態…女として、母として子供を育てられるだろうか…等々。
否定的な考えもよぎったかもしれないが、結局は「この生命、育てよう」と、決めてくれた。

お母さんの「決めてた」ことで、ボクは母から「生きるチャンス」を与えられた…そう、思っているのですよ。

子供の頃母がよくこんなことを言っていた。
「お前には不自由させないから…」とか
「なんとしてでも、教育は最高のものを与えたいから…」とか
「人様のお役に立つ人間になりな…」とか
「まったくお前は極楽トンボみたいだし…」とか
「お前ならなんでも出来る…」とか
ことあるたびに、ボクにそう言って聞かせていました。

要は、ボクのお母さん。そんな思いで、ボクを産んだのだと後になって知りました。

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子供と親とのかかわりは、生まれる前に決定しているというボクの個人的意見は、このことなのです。
どんな思いで子供を産むか…で、その子供の将来はほぼ決定してるように思えるのですよ、ボクには…
親との関係は、まずその人の親が自分の子供が生まれるとき、なにを決めていたか…で、それ以後の親子のかかわり方は、意識的にも無意識的にも、決まっていると…ボクは、そう思えるのですよ。

その証が、子供の名前、です。どんな名前にしたか、どんな付け方をしたか、どんなやり方で名前を付けたか…で、親子のかかわりが一段とボクにはよく見えてしまうのですよ。

今更ここで仰々しく書くこともないけれど、ここまで、すべて「選択」の結果、なのですよ、ね。

子供を利用した親たちは、やがて子供に利用されるし…
子供に対して決め事の多い親は、やがて子供に制限付きのかかわりをされるし…
物や形を求める親は、その子供も財産で争うし…
親の言葉が自分の子供に伝わっていく…

「トレーナー」と、その言葉を受け取る子供たち。

言葉と生きる姿が重なっている人をボクは、どうあれ「正直な人」として見てしまうようです。
父の仕事は土建屋だったから、そこで働く人たちは、学問だの教養という観点では、まあ正直さほどのレベルではなかったです。
年に何度か自宅で酒盛りがあったが…「まあ~ょ、どうせこっちトラ、働くしかノオねぇから、さ」と、高笑いしていた昭二あにいは、休みの日は渋谷に繰り出して弁当持参でパチンコ屋に行って遊んでいた。父が「パチンコしかしらねぇのか…」と呆れていたが、しかし昭二あにいは仕事で遅刻はしたことがないし、嘘を言わない人だった。トラックの室内はいつも整頓されていてきれいだった。使う道具は自分で手入れして、父とは違って、他人にはさせなかった。渋谷署に仕事仲間がなにかの理由で留置されたが、そのとき警察官を殴り倒して泣きながらその仲間がしたことではないと言い切って、仲間を釈放させたのも、昭二あにいだし…。言葉通りの人だったのですよ。

ボクはそんな人たちが、ボクの人生の「トレーナーたち」なのです。
いっぱい教えてもらった… いろんなことを。

さてさて。横道にそれたけれど、要は、「選択」とは自由のこと。
自由と「わがまま」の区別も出来ない大人になった子供たちが多いのではと、感じているのですよ…

おしなべて現代人は、自分の言っていることと、無意識でしている行動が一致しない大きくなった子供たちが多いように思えて…
と、書くと、鬼の首でも取ったかのように「あなたもそうですよ、ね」などと、自分の現実を見ようともしない小利口な人たち。
「ああ、そうさ…」と、ボクも話が終わってしまう。

こういう人たちの周りに集まる人に、どれほどのトレーナーがいるのか… もっとも、小利口な人には「トレーナー」の存在はうざっといのだろう。成長はもういい…と、言うわけだ。

一夜開けるたびに、人たちの多くは悲観的な現実だけしか見なくなる。子供の頃の「夢」が消えてゆき、大人の「常識」だけが残る…
自分のことは自分で処置できる。処置できる範囲が自分の自由とさえ思う大人たち。これでは、会話もなくなってしまう…

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ボクはまだまだ、生きている…人の中で。
スーパー、ウルトラ、ゴールデン、スペシャルの大馬鹿者であるボクには、人生を生き生きさせてくれるトレーナーが必要だし、そして多くの人たちとのかかわりの中で、母から与えられたこの生命をもっともっと輝かせたいのですよ…

ボクにだって、「相手を選ばせてくださいな」、ね!




…まさみ…
by masami-ny55 | 2005-09-05 13:17 | 日記

選ぶ

もし、今この世界にテレビがなかったとしたら…
ボクは甚だ困ってしまう。だって、ヤンキースの中継が見られないではないか。
もし、今この世界に電話がなかったとしたら…
ボクはさほど困らないが、携帯依存症候群の人々にとっては恐ろしいことになるのではなかろうか…
もし、この世界にいま…

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テレビはボクが子供の頃に家庭に入ってきた。
野球中継にプロレス、歌番組やドラマ、そしてニュースなど、ブラウン管を等してそれらを放映していたし、現在も変わりがない。
やがて、地上波だけではなく、BSデジタルに放送電波が変わって要は全世界で同時間同質の内容で見られることになった。
野球中継も、日本のチームの試合に限らず、大リーグの試合を画質の良さで見られる。
ベースボールの「楽しさ」が、広がった。
見方を変えれば、テレビが「楽しさ」を提供し、そして広げたと言える。

「広がり」とは、何事でもそうだが、「選択範囲」を意味しているように思われるのだ。
テレビは一台。しかし、番組はその時間に多数…。どこにしようか…。人は個人の事情で番組を選ぶ。
数年前まで野球番組は国内野球に限られていたが、今では大リーグと国内野球のどちらでも選べるようになった。
サッカーも同様であろう。

「広がり」の媒体は、テレビのブラウン管である。
あたかも、ブラウン管が「おしゃべり」しているかのようではないか。身振り手振りをしながら…。
日本語しか話せなかったブラウン管が、いつの間にか英語もスペイン語も、今では全世界語でおしゃべりしているかのようではないか…。

ボクが、ヤンキースのファンであり続けれられるのもテレビのブラウン管のおかげである。

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この楽しみ方は、テレビを持つ人に限られる。
テレビに関心がない人には、テレビを購入しないだろう。
携帯電話に魅力を感じない人に、いいぞいいぞの一点張りの主張ではなかなかその便利さは納得し切れまい。

巨人とか阪神が我が命、と言っている人にいくら大リーグの話をしたところでヤンキースの美しさは伝わらないのと同じである。

つまり、「選ぶ」のは、その人自身だからだ…
そんなことを今更なんなの、さ。と、呆れられるかもしれないが、ボクが気になっているのは、その人の「選び方」なのである。
そこにその人の人生が表れているように思えてならないのだ。

どういう「選び方」をしているか…なのである。
好きだから、という理由で選んでいる人は、嫌いになったらもう見向きもしない。
便利さ、で選んでいる人は、もっと便利な物が出るとそれと交換したくなる。
必要、で選んでいる人は、不必要と感じれば捨ててしまう。
かっこいい、で選ぶ人は、不格好になったらそそくさと立ち去ってしまう…

これでは、きりがないとボクは思う。
その場限りの「いい体験」を確保することで、必死の人達、に見えちゃうのである。
なんというか、これでは刹那的人生になりはしないだろうか…

自分の人生をどうしたいのだろう…と、尋ねたくなる。
実際、質問してみると
「そんなこと、どうでもいいじゃない、迷惑かけてないんだし…」
「つまんないことは、忘れることに決めてんの! 楽しければそれでいいモン…」

…あっ、そうですか。ボクの出番はありませんでした。


この続きは、またあとで…。


…まさみ…
by masami-ny55 | 2005-09-02 19:18 | 日記


東京の日常生活と、仲間たちとの交遊録


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