ふたりの韓国青年と「フォトショップ」

はいはい、では更新しましょうか…。
と言っても、別段書くようなお話はないのです。

そう言えば、つい最近のこと。こんなことがありました。
韓国から来た2人の青年に「フォトショップ」の使い方を教えました。
彼らとの出逢いは突然でした。ボクが事務所を出ようとしたら、「お客様が来たからごあいさつを」とやっちゃんから頼まれました。挨拶だけすればいいのだろうと…。で、お会いしたら、なかなかの好青年です。話を聞くと、日本に来て暇が出来たのでその間に仕事の役に立つことをマスターしたいという相談です。

で、どんな…ことを…したいのかなぁ…。

すると、デザインをやりたい、なのでフォトショップを動かしたいとのご希望です。
えっ、PCかい!?
と、なると…。なんでも、このソフト。インストラクターの資格を持っている日本人は少ないようで、資格を持つボクにそのおはちが回ってきたようです。
話しているだけで、大変にまじめで明るい青年たちなので、「じゃあ、ちょっとだけだけど動かしてみましょうか」と。

韓国の青年もさほど「日本語」が通じる様子でもありません。片言の英語も交えてみたら、ニコニコ顔で指示通りの動きをし始めます。ふたりとも、机には「電子手帳」を置いています。ボクの「ことば」をお国のことばに訳していたのでしょう…。懸命についてくる姿がなんか無性に可愛くなってきて、「どう? 出来た?」「わかりますか?」

実はボク、韓国ドラマのファンなんですけど…と、のどから出そうになったことばを、ぐっと飲み込んでふたりにわかるまでおしゃべりし続けました。
で、「韓国ドラマとおんなじだ」と、ほんとに感激したことがあるんです。
それはですねぇ、ふたりともコートを脱がないんです。それも、「冬ソナ」で散々見たあのダッフルコート。ボクが学生時代に流行っていた、あれです。
人の話を聞く時は、ふたりとも両手をきちんと自分の膝にのせます。そして「はい」と、日本語できちんと返事してくれます。そんな応対をしてくれるふたりとのやりとりを続けていたら、まるで、ボクは講義でもしているような気分がしてきます。

その昔。「ヤマトコトバ」には倫理観や宗教思想、科学的思考言語もなく、こころの表情だけがあったようだ、と大野先生の本に書いてあったことを思い出します。やがて、日本は文化のすべてを輸入して現在の日本語へと辿っていった…と。
「孝」という文字と意味もまたそんな昔々に輸入されて、やがて日本の文化の中軸になっていた、と。しかし、戦後の現代日本は、もうその文化も押しのけられて、理論と技術の向上という欧米文化思想が繁栄し、「孝」なる文化は見る影もない、といいます。
それは日本ばかりではないでしょう。きっと、経済発展を念願している韓国でもまた日本同様の欧米文化が流れ込んでいるはずです。

でも、このふたりの韓国の青年。日本の若者たちと比べると、少なくても「師の立場」を認めているようにボクには映りました。そして、自分たちは「私は学徒だ」という立場で座っている。たまたま出逢った青年がそうだったのかも知れません。でも、ボクはこのふたりの青年の「学ぶ姿」から、ボクのまだ学生時代だった若い自分を思い起こさせてくれたことは事実です。
実はこのふたり、「また来週、教えてもらいに来たいけれど…」と、これまた可愛いことをおっしゃる。
断る理由なんてない。むしろ、ほんとうに来るのかい? うれしいねぇ、じゃあ来週はそっちから知りたいことをリストして来なよ…って。きっとまた、コートを着たまま、「授業参加」するんだろうけれども…、ボクには彼らとの再会が待ち遠しい、ですよ。

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…まさみ…
by masami-ny55 | 2009-02-09 03:54 | 日記


東京の日常生活と、仲間たちとの交遊録


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