私のトレーナーたち

今日のボクがここにこうしてあるのは、人生で出逢った多くの「トレーナーたち」の御陰だと思っています。
彼らはみんな、ボクの成長に関わってくれてました…。
同時にボクは自分の人生を思うと、この「トレーナーたち」に恵まれていたと、思っています。そんな観点ボク人生を見てみると、ボクは幸運だった、と思います。


e0013640_13143369.jpgボクにとってのトレーナーとは、母であり、父だったし…。小学校の先生たちであり、個性豊かなあの頃の友だちであり、高尾山から帰ってきた鳩であり、自転車であり、縦笛であり…そして、鉛筆たち。
映画のスクリーンの中で生きていたボクのヒーローたちであり、後楽園球場全部であり、ボーイスカウトの隊長と制服であり…そして、歩いた世界の道たち。

そんな多くのトレーナーたちから、いっぱい「生きる」を教えてもらってきたのがボクなのです。
もちろん、ボクはまだ多くのトレーナーから「様々な生きる」を教えてもらっている最中ですが…

ボクがこうして生きている理由とその答えは、とても簡単です。
そう。母がボクに「生きるチャンス」を与えてくれたからです。

初めてこの世でボクの存在を知ったのは、おそらく…お母さんだったと思います。
母は自分が身ごもったことを知ったはずです。子供が出来たことを知ったのは、誰よりも早く知ったのは、きっと…ボクの母だった。

で、お母さんにはこの瞬間「選択」があったでしょう…
身ごもったこの生命をどうするか、と。産むか、産まないか…と。

現代は優生保護法から、妊娠中絶は許可されているし、まして、宗教的倫理観の会話がさほど高くない我が日本では掻爬しても、個人差はあるもののさほど罪意識は高くはないのが現状ではなかろうか…
そんな社会性の中で、お母さんは少なくてもあれこれ考えたかもしない。
夫との今後の人生関係や、経済状態…女として、母として子供を育てられるだろうか…等々。
否定的な考えもよぎったかもしれないが、結局は「この生命、育てよう」と、決めてくれた。

お母さんの「決めてた」ことで、ボクは母から「生きるチャンス」を与えられた…そう、思っているのですよ。

子供の頃母がよくこんなことを言っていた。
「お前には不自由させないから…」とか
「なんとしてでも、教育は最高のものを与えたいから…」とか
「人様のお役に立つ人間になりな…」とか
「まったくお前は極楽トンボみたいだし…」とか
「お前ならなんでも出来る…」とか
ことあるたびに、ボクにそう言って聞かせていました。

要は、ボクのお母さん。そんな思いで、ボクを産んだのだと後になって知りました。

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子供と親とのかかわりは、生まれる前に決定しているというボクの個人的意見は、このことなのです。
どんな思いで子供を産むか…で、その子供の将来はほぼ決定してるように思えるのですよ、ボクには…
親との関係は、まずその人の親が自分の子供が生まれるとき、なにを決めていたか…で、それ以後の親子のかかわり方は、意識的にも無意識的にも、決まっていると…ボクは、そう思えるのですよ。

その証が、子供の名前、です。どんな名前にしたか、どんな付け方をしたか、どんなやり方で名前を付けたか…で、親子のかかわりが一段とボクにはよく見えてしまうのですよ。

今更ここで仰々しく書くこともないけれど、ここまで、すべて「選択」の結果、なのですよ、ね。

子供を利用した親たちは、やがて子供に利用されるし…
子供に対して決め事の多い親は、やがて子供に制限付きのかかわりをされるし…
物や形を求める親は、その子供も財産で争うし…
親の言葉が自分の子供に伝わっていく…

「トレーナー」と、その言葉を受け取る子供たち。

言葉と生きる姿が重なっている人をボクは、どうあれ「正直な人」として見てしまうようです。
父の仕事は土建屋だったから、そこで働く人たちは、学問だの教養という観点では、まあ正直さほどのレベルではなかったです。
年に何度か自宅で酒盛りがあったが…「まあ~ょ、どうせこっちトラ、働くしかノオねぇから、さ」と、高笑いしていた昭二あにいは、休みの日は渋谷に繰り出して弁当持参でパチンコ屋に行って遊んでいた。父が「パチンコしかしらねぇのか…」と呆れていたが、しかし昭二あにいは仕事で遅刻はしたことがないし、嘘を言わない人だった。トラックの室内はいつも整頓されていてきれいだった。使う道具は自分で手入れして、父とは違って、他人にはさせなかった。渋谷署に仕事仲間がなにかの理由で留置されたが、そのとき警察官を殴り倒して泣きながらその仲間がしたことではないと言い切って、仲間を釈放させたのも、昭二あにいだし…。言葉通りの人だったのですよ。

ボクはそんな人たちが、ボクの人生の「トレーナーたち」なのです。
いっぱい教えてもらった… いろんなことを。

さてさて。横道にそれたけれど、要は、「選択」とは自由のこと。
自由と「わがまま」の区別も出来ない大人になった子供たちが多いのではと、感じているのですよ…

おしなべて現代人は、自分の言っていることと、無意識でしている行動が一致しない大きくなった子供たちが多いように思えて…
と、書くと、鬼の首でも取ったかのように「あなたもそうですよ、ね」などと、自分の現実を見ようともしない小利口な人たち。
「ああ、そうさ…」と、ボクも話が終わってしまう。

こういう人たちの周りに集まる人に、どれほどのトレーナーがいるのか… もっとも、小利口な人には「トレーナー」の存在はうざっといのだろう。成長はもういい…と、言うわけだ。

一夜開けるたびに、人たちの多くは悲観的な現実だけしか見なくなる。子供の頃の「夢」が消えてゆき、大人の「常識」だけが残る…
自分のことは自分で処置できる。処置できる範囲が自分の自由とさえ思う大人たち。これでは、会話もなくなってしまう…

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ボクはまだまだ、生きている…人の中で。
スーパー、ウルトラ、ゴールデン、スペシャルの大馬鹿者であるボクには、人生を生き生きさせてくれるトレーナーが必要だし、そして多くの人たちとのかかわりの中で、母から与えられたこの生命をもっともっと輝かせたいのですよ…

ボクにだって、「相手を選ばせてくださいな」、ね!




…まさみ…
by masami-ny55 | 2005-09-05 13:17 | 日記


東京の日常生活と、仲間たちとの交遊録


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