選ぶ

もし、今この世界にテレビがなかったとしたら…
ボクは甚だ困ってしまう。だって、ヤンキースの中継が見られないではないか。
もし、今この世界に電話がなかったとしたら…
ボクはさほど困らないが、携帯依存症候群の人々にとっては恐ろしいことになるのではなかろうか…
もし、この世界にいま…

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テレビはボクが子供の頃に家庭に入ってきた。
野球中継にプロレス、歌番組やドラマ、そしてニュースなど、ブラウン管を等してそれらを放映していたし、現在も変わりがない。
やがて、地上波だけではなく、BSデジタルに放送電波が変わって要は全世界で同時間同質の内容で見られることになった。
野球中継も、日本のチームの試合に限らず、大リーグの試合を画質の良さで見られる。
ベースボールの「楽しさ」が、広がった。
見方を変えれば、テレビが「楽しさ」を提供し、そして広げたと言える。

「広がり」とは、何事でもそうだが、「選択範囲」を意味しているように思われるのだ。
テレビは一台。しかし、番組はその時間に多数…。どこにしようか…。人は個人の事情で番組を選ぶ。
数年前まで野球番組は国内野球に限られていたが、今では大リーグと国内野球のどちらでも選べるようになった。
サッカーも同様であろう。

「広がり」の媒体は、テレビのブラウン管である。
あたかも、ブラウン管が「おしゃべり」しているかのようではないか。身振り手振りをしながら…。
日本語しか話せなかったブラウン管が、いつの間にか英語もスペイン語も、今では全世界語でおしゃべりしているかのようではないか…。

ボクが、ヤンキースのファンであり続けれられるのもテレビのブラウン管のおかげである。

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この楽しみ方は、テレビを持つ人に限られる。
テレビに関心がない人には、テレビを購入しないだろう。
携帯電話に魅力を感じない人に、いいぞいいぞの一点張りの主張ではなかなかその便利さは納得し切れまい。

巨人とか阪神が我が命、と言っている人にいくら大リーグの話をしたところでヤンキースの美しさは伝わらないのと同じである。

つまり、「選ぶ」のは、その人自身だからだ…
そんなことを今更なんなの、さ。と、呆れられるかもしれないが、ボクが気になっているのは、その人の「選び方」なのである。
そこにその人の人生が表れているように思えてならないのだ。

どういう「選び方」をしているか…なのである。
好きだから、という理由で選んでいる人は、嫌いになったらもう見向きもしない。
便利さ、で選んでいる人は、もっと便利な物が出るとそれと交換したくなる。
必要、で選んでいる人は、不必要と感じれば捨ててしまう。
かっこいい、で選ぶ人は、不格好になったらそそくさと立ち去ってしまう…

これでは、きりがないとボクは思う。
その場限りの「いい体験」を確保することで、必死の人達、に見えちゃうのである。
なんというか、これでは刹那的人生になりはしないだろうか…

自分の人生をどうしたいのだろう…と、尋ねたくなる。
実際、質問してみると
「そんなこと、どうでもいいじゃない、迷惑かけてないんだし…」
「つまんないことは、忘れることに決めてんの! 楽しければそれでいいモン…」

…あっ、そうですか。ボクの出番はありませんでした。


この続きは、またあとで…。


…まさみ…
by masami-ny55 | 2005-09-02 19:18 | 日記


東京の日常生活と、仲間たちとの交遊録


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