嘘みたいな実話のニッポン

人に「やり方」を教えるのは、ボクには不向きなのかもしない…と、思い続けていました。勘のいい人とそうでない人がいるし…と。

記者の頃です。
原稿の書き方には、一定のルールがあります。まあ、もっともこういうブログを含めて、PC上で「書く」と、すべて横書きになってしまう。原稿の書き方のルールは始めから無視されっぱなしです。まず、これがボクの生理にあわないのです。せめて日本語は縦書きで書きたいし、縦書きの文章を読みたいのです。そもそも、日本語は目で掴んで読み進んでいくものですから横書きにされると、なかなか頭の中に入りにくい。とくに、「和歌」や「俳句」を横書きにされては、ボクはたまらなく腹立たしいのですよ。なので、ボクはPC上では、決して「大和歌」だけは書きません。せめてもの自己主張ってところです。お笑い下さい。

e0013640_55323.jpg記者だった頃、若い記者に原稿の書き方を教えたことがありました。このとき、ボクは初めて人に「やり方」を教えました。「誤字脱字なんてどうでもいい。漢字がわかんなかったら、適当に書いておけ。それより、自分のリズムを崩すんじゃないぞ。リズムを創れ!想像したことが消えないうちに。原稿はスケベになれ! スケベって、こだわるだろ。そのこだわりを原稿のマス目に埋めていけ! こだわりこそ、お前が書いた原稿になるんだから」
「了解です!」と、感激されました。

「で、取材は…どうやって?」
なので、ボク流の取材とインタビューの仕方を教えましたが、こればかりは教えることが出来ず、「めんどくさいなあ…今から行くからお前もついて来い。で、見てろ」と若い記者を連れてボクのインタビューを見せました。取材中、最大手電気会社メーカーの社長が目を潤ませて、ボクの質問に応えていました。取材後、若い記者と茶場に立ち寄ると、
「わかりました、社長が感動しながら応えていましたが、その話し方が…」
「わかりゃあ、それでいいじゃないか。どんな人にも物語ってもんがなんの、よ。物語が、さッ」
「なるほどぉ~」

やってみせれば、勘のいい記者ならすぐに体得してくれる。でも、勘の良くない人たちに「やり方」を教えるのは、ボクには不向き。小澤征爾さんがこんなことを言っていた。「指揮学は教えられるが、指揮は教えることは出ない」と。ボクも、そう思う。「やり方」は所詮「自由創作」なのだから。
「指揮学」を学んでも「指揮」が出来るのか…。「指揮学」を学ばなければ「指揮」が出来ないか…。
そんなことは、ない。「指揮」の基本的ルールさえ知っていれば、あとは自分の目の前には自由空間が広がっているのですから。原稿だって同じこと。感動させる「書き方」は、文庫本の中の一節にあります。それを知っているから感動する文章が書けるか、と。ボクは「やり方」を知ろうとする人たちの根性が理解できなかったのです。

e0013640_5551855.jpgボクは中学から「英語」が大の苦手でした。この授業さえなければ…と、なんど恨んだことでしょう。「行きもしない国の言葉を詰め込まれるくらいなら、もっと日本語を教えろ!」と。そのボクがなんの因果か、アメリカ暮らし。そのうえ、たったひとりでマンハッタンのアパートで…。
仕事中は通訳がいるから支障はないけれど、ひとりになると、英語をしゃべらざるを得ません。…英文法もろくろく知らないボクが、NYの友だちから「Perfect !」とお世辞を戴いたことがあります。
話す…は、口から出る単語たちだけではないですよ、ね。表情や身動きもまた、言葉していますよ、ね。「発音なんてどうでもいい」と思っていました。とにかく友だちと会話が出来ればそれでいい、と。
友だちの表情を見ていれば、「穏やかな人」か「ぶっ飛んでる野郎」か「すました淑女」か、くらいはわかりますよ、ね。そんなとき、学校で教えてもらった「英文法」が活かされると思っていますか? しかも、ここNYで、ですよ。かかわってみせるという気持ちさえあれば、あとは「自由」に「やってみる」しか「やり方」はないのですよ、ね。

こうすればいいなんて、人とのかかわりに「ルール」はあっても「MANUAL」なんて存在しません。
「こうすれば愛される人になれる」だの「こうすればお金儲けが出来る」だの「これが長生きの方法」なんて本がなぜこれほど本屋さんに並んでいるのか…。「人が生きる」ことと「技術ネタ」は違っているはずです。生きていることを実感したければ、人との出逢いしかない、とボクは思っています。「籠の鳥になってたまるか的」な自己主張があるくらいで丁度いい、とさえ思っています。
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生きる。
自分以外の環境すべてとかかわるために「言葉」があるとボクは思うのです。自分の「言葉を正して」いけば「人生が正される」と思っているし、「自分の人生」を「美しいもの」にしたければ「自分の言葉たちを美しく」すればいい、と。「いい加減な言葉」を使う人に限って「いい加減な生き方」をしているようにボクには見えます。曖昧な言葉に、人生の明確さなんてない、と。コンパスを持たずに大海原に出るようなものだとボクは思っています。

「愛されたい」だの「友だちが欲しい」だの「理解して欲しい」だのと、人は無意識で時々「欲しい欲しい」と、まるで物乞いみたいに「欲しい」を乱発する「乞食用語」を口から出します。ボクはいつもこういう人たちを見ると「?」っと、なります。なぜ自分から「愛してあげよう」とか「友だちになっておけよう」とか「理解してあげよう」って言葉を使わないのか…って。なにかというと「わかりました」の返事だけ。「わかってんなら、やれよ!」が、ボクのその返事の返事です。
「知る」を増やす人と、「結果」を蓄える人の生き方って違うなあ…って、ボクは感じます。


そんなボクが、なんの因果か…。人に「かかわりの上達」を教えることになったのです、よ。ボクが人に「やり方」を伝えるなんて…。古い友だちはきっとボクを、「気でも違ったのか」と思うことでしょう。
あり方がはっきりしていない人たちに、やり方を伝える…って、それこそ、とうしたらいいのか、その「やり方」を知りたいものです。と、冗談を書いている場合ではないのです。

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当たり前のことだけど、どんな学問も、
「あり方」→「やり方」→「結果」が学んでいく道のりです。

「目的」「意図」「本質」の話を飛ばして、始めから「方法」は伝えられないし、仮にそれだけ伝えても活かされない…、と思うのです。ボクがそうだから。なので、まずは「かかわり」とは、を伝えてから「やり方」を伝えることにします。その方が、ボクも安心ですから、ね。
ところで、なぜこんな羽目になったのか…。なぜこんな依頼を受けたのか…。訳がありますよ、そりゃあ。

聞くところによると、なんでも現在の職場は大手であるほど、「コミュニケーション」が不足しているのだそうですよ。「ホントかいな?」と思いましたが…。
例の「セクハラ」とか「パワーなんとか」だの「個人情報秘匿」と、「禁止令」が山積みなのだそうです。
従って、「オイ! 今晩付き合え。飲むぞ!」なんて会話を部下に使うとその場で「レッドカード」になりかねない、そうです。「アラ、今日は可愛い服着てるねぇ」など言おうものならこれも「レッドカード」になる、かもしれない…。で、話せば済むような用件も、PCで個人宛にしているという。「部内ボウリング大会」も、「無理してでなくていい」。こんな調子が続いて、社内では「かかわり」がとんと薄れている、とのこと。コピーしてくれ、とうっかり女子社員に頼んだけでも「レッドカード」になった課長もいるという…。自分の保身をしたければ、よけいなかかわりをしない方が無難ってこと…ホントかいな? 「なんとか、かかわり方を」と、頼まれたって訳です。

アタマに来ましたね、ボクは。社内恋愛を禁止している会社もある、とのことですから。結婚しても、無届け、だそうです。これが今のニッポン企業かい? で、どうせやるなら、「かかわり方」を知りたがっている人を呼んでこい! と、叫んだら…アラアラこんなにも! 会場の変更をせざるを得ませんですよ、こんなに多くちゃ。嘘のような実話なのですよ、これ。
このぶんでは、日本経済の景気もあがりませんねぇ…ナントカしましょう、みんなで。
ボクも、手伝いますから…。
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by masami-ny55 | 2006-11-28 06:01 | 日記


東京の日常生活と、仲間たちとの交遊録


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