虚構か?

ブログを書き始めた頃は、楽しかった。
日々、職場や仲間たちの日常的な他愛ないエピソードを自分なりにアレンジして綴ることが楽しかった…。

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そのうち、欲が出てきた。この「ブログランキング」だ。上位を目指したい、と。
友だちに電話連絡して「クリック!」と、せがんだこともあったし、自分で何回も押してみたこともあった。
読んでいただく以上、誤字脱字は失礼だから、と何度もアップする前に校正したこともあった。
原稿を書く際、調べ物をしたり、取材もした。誤報や推測は避けたい、との自分なりに「文責」をとりたかったからだ。表現に迷って、学生時代に使った教材を見直した夜もあった。

そんな努力が実ったのか、「ランク」が上がっていった。
487位…310位…146位…95位…と。それが励みにもなり、友だちにも「ブログ、やれ! おもしろいから」と誘って、作り方も指導した。何人かが、自分のブログを創った…。

で、念願の「1位」になった途端、怖くなった。
というのは、いままでにないことが頻繁に起きたからだ。
例えば、コメント欄に不道徳なコメントや、明らかに悪意のあるコメント…。

なので、恐ろしくなり、友だちに相談してカテゴリーの「引っ越し」をした。
お陰で一難去った。

だったら、「ランキング」の登録をやめたらいいのに…と、おっしゃる読者もおられるだろう。
確かにその通りだが、実はメリットもあるのだ。このメリットにボクは望みをつないでいるのだ。

それは、「出逢い」である。

「ランキング」に登録していると、様々な人々の目にとまりやすい。そして、読んでいただける。これが、そもそもボクの本来「したいこと」だったから、ブログを書き続けているのだ。

ところが、である。
ここでまた新たなる問題に突き当たっている…
この問題は、ボクには難問である。

難問とは、ブログを含めた「PCコミュニケーション」である。ホームページやE-mailも、もちろんこれに該当する。
ボクはこの「出逢った…」のほかに、もうひとつ「ブログ」を書いている。
書き始めた頃は、すべてこのブログに書いていたのだが、途中から「野球ネタは別にしたら」と、アドバイスを受け、それに従った。確かに、友だちの助言通り、その方がお互いのブログページとして活気が出てきた。テーマが違うので、単一ブログの中でカテゴリー別、とはせずに、別扱いのブログ、にしたお陰でボクも様々なアイディアが浮かび、書き応えがいい。

で、最近、こんなことがあった。
「野球のブログ」にコメントがくる。だから、返信を書く。その書き方をボクはどうやら「ブログのルール」に違反したらしい。で、すぐに訂正したのだが…。
友だちに、相談してみたら意外な答えが返ってきた。
どういう答えだったか、要約するとこうだ…

本来、ブログ制作者は「匿名」だ。コメントしている人たちもまた「匿名」だ。自分が何者か証さないですんでいるからブログやE-mail、ホームページが成立している。おそらく、「実名」が条件だったとしたら現在ブログやホームページを発信してる人たちの2/3以上は消えていくだろう…と、言うのだ。
そして、それが本来の「PCコミュニケーション」の実態なのだ、と言う。

秘匿=安全
これが大前提だ、という。

友だちはさらにこう言う。
「だから、無制限に誰ともなく参加できるから社会問題が起きている。匿名が厭だのヘンだのというのなら、ブログはやめるべきだ。そもそもPCコミュニケーションは、送受信者ともに、厭になったらいつでも止められる。発信者の気分次第ではないか。責任をとらなくてよいのが、ホームページやブログ、E-mailの特徴だ」
と、言う。
「私はメル友や個人のホームページ、ブログを創る気はしない。虚構、だから。制作者側が明確なホームページの情報なら参考にしてはいるけれど」と、付け加えていた。

なるほど。
創る側もその対応も発信源が不明確である以上、「虚構」だ。

確かに友だちの言うとおり「虚構」なのだが、その一言で決めつけられると、ボクは少々、悲しい。ランキングの上位ねらいをしていた頃、まじめに文章を書き上げてきた。徹夜したこともあった。そんな作業して書きあげた記事を「虚構」とは…。理由は「匿名」だから…。

さあ、そこで、ボクの難問だ。
どうせ「虚構」なのだから、発信者も受信者も「虚構」扱いだろうか…と。

虚構=嘘
という図式が、ボクには見え隠れするのだ。それが、悲しいのだ。

ルールはあるだろう。社会性、というルールが…と、反論してみたが、友だちは言う。
「社会性ではない。個人の目的意識の違いだ」
と言うのだ。その個人の目的の違いが、漠然とした「ブログのルール」を生み出している、という現象を指摘するのだ。「ルール」があって、ないとも言える、と説明する。

ここまでは容認するが、それ以上は…。「それ以上」の線引きは、個人差であって、正確なルールではない、という。
確かにボクのような人並みはずれた開放的性格の人間は、「それ以上」の線引きは他の人たちに比べると…かなりの違っているようだ。例えば、ブログには「コメント欄」というがあって、記事を読んだ読後感を書き込める。そこに書くときのネームは、ブログ作家の名前どおりに書くこと、らしい。
ボクの場合、日本語でキーボードをたたいているから、英字の名前の場合、読んでカタカナもしくはひらがなにして、その人に返信を宛ててしまう。
「それはルール違反」だと、指摘された。

また、ブログには様々な人たちが、それぞれのニックネームでコメントしている。似ているニックネームもある。それを間違えてるのは、「ルール違反」だと指摘された。
その通りだと思い、すぐに訂正した。

さらに、友だちはボクにこう言った。
「あなたのような人がブログを書いているのは、珍しい」と。「(ブログを書く)ほとんどの人たちは、閉鎖的な人が多いのに」という。「友だちが多すぎるのに、なぜまだ友だちをほしがるのか、わからない」とも言われた。

虚構のブログ…か。

このブログ。その虚構の中で、人との「出逢い」をボクは実感している。コメントしていただいている多くの人にボクは思う…どんな人なのだろうか、と。
どんなことを楽しみを持って生きている人なのだろうか、お歳はいくつなのだろうか、好きな食べ物は、どこで生まれた人なのだろう、ご家族は幸せで健康だろうか、どんなお仕事をしているんだろうか、日本に住んでいる人なのか海外の人なのか…
コメントしてくれるその文からボクはその人を思う、…想う。

それは「詮索」だという。
あれこれ詮索すべきではない、詮索するのは失礼だ…と、こんな言葉を耳にする。
そして「ルール違反」になる、と言う。
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詮索と想像。
それこそ本来、別の作業であり、目的意識に違いがある。しかし、この区別が出来ない人が多いことを受け入れてみると、なるほど「PCコミュニケーション」の限界がボクには見える。

その昔、全世界で「文通」というゲームがあった。国内の文通相手から海外の相手と、手紙が飛び交ったという。
見ず知らずの人の住所を、文通希望者が集まって登録している斡旋会社から教えてもらう。
そして、初めてその人に肉筆で書く。相手の土地柄から書き始めようか、それとも自分の住んでいる土地の紹介から、か。下書きをしてみる。封筒はどんなものがいいのか、ペンの色は黒か濃紺か、便せんはどんなデザインが適当なのか…。投函して、返信を心待ちにする。そして、返信が届く…。

お互いの姓名と住所がわかっていても、突然訪問するなど、しない。
そして、どちらからともなく、自分の写真を送り、相手も写真を添付してくる…。
誕生日や、なにかの記念日などは手紙ではなくて、贈り物が届く…。

しかし、けっして「会う目的」ではない。文通、に徹するのである。
そんなゲームが、昔々あったという。作家のバーナード ショウとハリウッド女優のパトリシアがそうであったように…。彼らは、生涯、会うことはなかった。

もちろん、文通ゲームでも「ルール違反者」はいたに違いない。が、しかし、少なくてもそのゲームが「虚構」呼ばわりはされなかったろう。そもそも文通ゲームが「匿名」だったら、ゲーム自体が成立しないのだから。

で、ボクは思う。
「PCコミュニケーション」も、「文通的価値」にまでにしようと思えば、出来るということだ。

その大前提は、発信者の人格に由来する、と。
気軽さ≠無責任
と、いうことだとボクは思っている。
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…まさみ…
by masami-ny55 | 2006-10-11 06:12 | 日記


東京の日常生活と、仲間たちとの交遊録


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