アメリカの友へ

最近このブログとはご無沙汰続きです。もっぱら、ヤンキースが気になって…

いつだったか、アメリカにいる友だちからメールが来ました。

「在る」が私にはよくわからなかったんです。
私の信じている神様にしても、目に見えないし、ただ自分の体験信じるだけです。
もうひとつは、「友」は同じ目的に向かってる。ってどこかにあったのですが、今わたしはまきちゃんとか同じ目的に向かってるわけではない。ほんじゃぁ、「友」じゃないのかな~とか思ってたんです。

ところで、神様って存在するんでしょうか?
それとも、存在しないんでしょうか?

両方とも、立証することは出来ませんね。
できるのは、信じるか信じないか、のようです。

こういう疑問を持つアメリカ人は、「1ドル紙幣」をよく見るといいよ、ね。
なんて書いてあるか…

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目に見えるものばかりを「在る」と言ってるわけじゃないのに…。
信じていると言葉と、在るという言葉は意味が違っていますよ、ね。
信じていなくても、在るものは在るし…
信じていても、無いものは無いし…ね。

こんなことを書いていたら、なんだか幼稚すぎて、アホになってきそうです。

友。この文字から、どんな連想をしているのでしょう?
仲良し…とか。
だから厳しいことを言わない人…とか。
いつもやさしく包んでくれる人…とか。
要求を受け入れてくれる人…とか。

こんな人たちを、友、というのでしょうか?
バカ言っちゃ、いけません。日本の文字で古来から「友」とは、そんな意味はありません。

言葉の仕組みは、あたかもバームクーヘンみたいなものです。何重にも重なっています。
表面的な言葉の下に言葉があり、その下にもまた言葉が敷かれています。
そして、敷いてある言葉を葉がしてみるとやがて核にあたる原語に突き当たります。
そこまで下げて観察するのは、ちと、時間が必要でしょうが…
その原語が人の「生命」そのものようです。

ほとんどの人たちは、自分が持っている言葉のなかで、表面にしか見えない言葉でかかわろうとしているようです。なので、そのかかわりには、限界があるようですね。残念ながら。

こういう人たちは、結局無意識にその場限りの言葉で間に合わせているので、世話になった人の悪口を平気で言っているから、人とのかかわりは次第に狭くなってしまいます。限られてしまいます。
神に出逢うことは生涯ありません。また、そんなことにはなんの価値も感じません。それよりも、目に見えるものが先です。優越感だったり、勝利感覚だったり、支配欲だったり…と。
友、はいないのですよ、こういう人たちには。いるのは、その場限りの「仲良し」だらけ、という訳です。

なんだか、コメントしにくいねぇ、今日のブログは…
まあ、そう言わずに、なんかコメントしてくださいませ、よ、ね。

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…まさみ…
by masami-ny55 | 2006-05-10 04:13 | 日記


東京の日常生活と、仲間たちとの交遊録


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