もらった「お年玉」って…
「まあ、そんなにたくさんお年玉もらって…よかったねぇ」
子供たちは上機嫌です。
この季節ならではの、どこにでも見かける親と子の会話ですね。
ボクは子供時分、いただいたお年玉で、映画館に通っていたものでした。
中学生から渋谷のパンテオンで「洋画」をひとりで見たのも、お年玉のおかげだった…
外国の言葉の物語を見る。この行為が、小学生と中学生の境目だ、と勝手に思ったものでした。大人の仲間入り、した気分でした。
まさみ君の小学4年頃かな?
それも、ひとりで見に行くというところに、自分の大人びた感じがする…
ただし、いままでチャンバラ映画で散々鍛えてきた「物語の展開」とは「洋画」はまったく違っていました。使ったことのない感情に出逢うので、ギクシャク…してました。
とくに、フランス映画は中学のボクには、ものスゴく刺激的だった…です。
あの「ラブシーン」は中学生に成り立てのボクには刺激が強すぎて、ドキドキドキドキだったことを覚えています。「赤穂浪士」や「宮本武蔵」、「水戸黄門」に「清水の次郎長」みたいな物語の展開ではないのです。もちろん「寅さん」ともぜんぜん違っていた…
ちと、話が横道に。
「お年玉」でした。
親たち子供たちに、新年にあげるお年玉。お恥ずかしい話ですが、ボクは大学生になっても親父からお年玉をもらっていました。2年生の正月まででした。3年生になったら、親父ったら、お年玉をくれません。だから、言いました。
「ねぇ、なんでくれないの? 」
「バカ。お前は20歳だろ。もうダメ、もらう資格ないの! そもそも、お前、テレビ局でバイトしてるっていうじゃないか。もう、いいだろう」
「冗談じゃないよ、映画行こうと思ってたのに…」
「そのくらい…自分のお金で行ってこい。間抜け! 」
まさみ、です。「ま」は、抜けてません!
自分で付けた我が子の名前を、お忘れないように…なんて、正月早々憎まれ口をたたきたくなりますよ、ね。「お年玉」を期待してたのに…
ところで、ボクの名前、「まさみ」は父と母で考えた末、祖父に確認してこの名前を付けたと聞きました。漢字も考えたそうです…
自分の名前をどう思うか。そんな作文を中学生の頃、国語の宿題で書かされました。
「幼稚園の時、同じ名前の女の子がいて、まさみ、って先生が呼ばれた時に一緒に返事をしたら、みんなから笑われたことがあった。ボクも可笑しくて、大笑いしちゃった。で、いま。ボクはこの名前が気に入っています…」というような内容で提出したことを覚えています。
親御さんが我が子に贈るのは、「名前」じゃないかなって、ボクは思う…
こんな子に育って欲しい…と「名前」に親御さんの「希望」を刻みます。或いは、自分たちがしたくても果たせなかった「夢」を、我が子の名前にそれを託しているように思えます。
健全な人になって欲しい…
友だちに愛される人になって欲しい…
元気な、美しい人になって欲しい…
やさしく、明るい人生を過ごして欲しい…
人の輪を広げていく人間になって欲しい… と。
そんな親御さんの「希望」が、子供たちの「名前」に現れる。なので、子供たちは全員、親御さんたちの「希望の星」なのであります! 親御さんにとっては、「光」なのであります!
そう、このボクも、です。
親が我が子に贈る最大のプレゼントは、「名前」です。字の画数がどうの、損だのトクだのと、易者にお金を出してつける親御さんもいるとは聞きますが、それよりも、自分の生んだ我が子の将来を思って、名前を付けてやる。その行為が、やがて我が子に伝わる日が来る…
そして、子供たちはいつしか親の思いを知る…
自分の名に恥じない人生を過ごすために…
親からもらった「名前」を自分の声で言ってみる。
私の名前は…です。
…と。
「キミ、長男? 」
「ええ。なんでわかるんですか?」
「キミの上には、お姉さんがいるの?」
「ええ。知ってるんですか?」
「いや…キミの名前見てたら、そう感じるんだよ」
「…」
名前を見ると、親御さんの気持ちが見えてくるのですよ…
「いい名前だね」
「ハイ、ボク自身も気に入ってます。ありがとうございます」
…まさみ…
子供たちは上機嫌です。
この季節ならではの、どこにでも見かける親と子の会話ですね。
ボクは子供時分、いただいたお年玉で、映画館に通っていたものでした。
中学生から渋谷のパンテオンで「洋画」をひとりで見たのも、お年玉のおかげだった…
外国の言葉の物語を見る。この行為が、小学生と中学生の境目だ、と勝手に思ったものでした。大人の仲間入り、した気分でした。
まさみ君の小学4年頃かな?
それも、ひとりで見に行くというところに、自分の大人びた感じがする…
ただし、いままでチャンバラ映画で散々鍛えてきた「物語の展開」とは「洋画」はまったく違っていました。使ったことのない感情に出逢うので、ギクシャク…してました。
とくに、フランス映画は中学のボクには、ものスゴく刺激的だった…です。
あの「ラブシーン」は中学生に成り立てのボクには刺激が強すぎて、ドキドキドキドキだったことを覚えています。「赤穂浪士」や「宮本武蔵」、「水戸黄門」に「清水の次郎長」みたいな物語の展開ではないのです。もちろん「寅さん」ともぜんぜん違っていた…
ちと、話が横道に。
「お年玉」でした。
親たち子供たちに、新年にあげるお年玉。お恥ずかしい話ですが、ボクは大学生になっても親父からお年玉をもらっていました。2年生の正月まででした。3年生になったら、親父ったら、お年玉をくれません。だから、言いました。
「ねぇ、なんでくれないの? 」
「バカ。お前は20歳だろ。もうダメ、もらう資格ないの! そもそも、お前、テレビ局でバイトしてるっていうじゃないか。もう、いいだろう」
「冗談じゃないよ、映画行こうと思ってたのに…」
「そのくらい…自分のお金で行ってこい。間抜け! 」
まさみ、です。「ま」は、抜けてません!
自分で付けた我が子の名前を、お忘れないように…なんて、正月早々憎まれ口をたたきたくなりますよ、ね。「お年玉」を期待してたのに…
自分の名前をどう思うか。そんな作文を中学生の頃、国語の宿題で書かされました。
「幼稚園の時、同じ名前の女の子がいて、まさみ、って先生が呼ばれた時に一緒に返事をしたら、みんなから笑われたことがあった。ボクも可笑しくて、大笑いしちゃった。で、いま。ボクはこの名前が気に入っています…」というような内容で提出したことを覚えています。
親御さんが我が子に贈るのは、「名前」じゃないかなって、ボクは思う…
こんな子に育って欲しい…と「名前」に親御さんの「希望」を刻みます。或いは、自分たちがしたくても果たせなかった「夢」を、我が子の名前にそれを託しているように思えます。
健全な人になって欲しい…
友だちに愛される人になって欲しい…
元気な、美しい人になって欲しい…
やさしく、明るい人生を過ごして欲しい…
人の輪を広げていく人間になって欲しい… と。
そんな親御さんの「希望」が、子供たちの「名前」に現れる。なので、子供たちは全員、親御さんたちの「希望の星」なのであります! 親御さんにとっては、「光」なのであります!
そう、このボクも、です。
親が我が子に贈る最大のプレゼントは、「名前」です。字の画数がどうの、損だのトクだのと、易者にお金を出してつける親御さんもいるとは聞きますが、それよりも、自分の生んだ我が子の将来を思って、名前を付けてやる。その行為が、やがて我が子に伝わる日が来る…
そして、子供たちはいつしか親の思いを知る…
自分の名に恥じない人生を過ごすために…
親からもらった「名前」を自分の声で言ってみる。
私の名前は…です。
…と。
「キミ、長男? 」
「ええ。なんでわかるんですか?」
「キミの上には、お姉さんがいるの?」
「ええ。知ってるんですか?」
「いや…キミの名前見てたら、そう感じるんだよ」
「…」
名前を見ると、親御さんの気持ちが見えてくるのですよ…
「いい名前だね」
「ハイ、ボク自身も気に入ってます。ありがとうございます」
…まさみ…
by masami-ny55
| 2006-01-14 03:14
| 日記