祈り

東京は実に明確に、道路は空いていた。
一昨日からの三連休のせいなのか、どこの道を走っても道路は空いている…。
ならばと、久々にスカイラインらしいドライブを楽しんでしまった。かと言って、信号無視などはしないので誤解のないように…。大きい交差点で信号待ちする。広々とした空間を楽しめるのは、東京を故郷にしている者だけが知る特権なのだろう。
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さて、折角だから空いた東京を少し走ってみようか…

すると、普段は見えなかった風景が目に飛び込んでくる。
青山通りの原宿付近や、ここ本郷の住宅街でも最近見かけるのだが、個人宅の窓や門、木々に細かい光の球を絡ませて、一際目を引きつける住宅がそれだ。青い光や白に赤の光をふんだんに、冬の飾り付けをしている…
光っているから、空いている道路からは、よけいに目立って見えた。
「ああ、クリスマスか…」
走るスカイラインの窓から見えるそのきれいな光の飾り付つに、「まるで商店街の飾り付けみたいだなあ…」
ボクの日本は年々「きれい」になる。しかし、ほんとかな? この「きれい」さ、は…。

昨日。
秋葉原で働いている友だちに、コーヒーを贈るので、池袋のデパートに買物に行った。
職場を出るとき、暮れに故郷の福島に帰る女性がいたから、付き合ってもらった。
「予定は夜、友だちの部屋でお鍋料理ていど…ほかは、ないですよ」
と言うから、
「じゃあ、それまで付き合ってよ。クルマで行くから」
買物ついでに、彼女の帰省には、ボクのお気に入りのコーヒーをお土産代わりに持って行ってもらうことにした。
「わーっ、うれしい!」
ほんとに、よろこんでる…

ここのデパートの地下は東京の道路とは違った。いつもとは大違いの混雑ぶりである。
コーヒーショップの前は、フランスやイギリスのブランド洋菓子店。そのケーキ売り場では、行列を作っていた。長蛇の列、である。
そう、クリスマスケーキを買い求める客の列だ。
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いつ頃から日本人はクリスマスにケーキを食べる生活習慣になったのだろう…
ボクが子供の頃、クリスマスは「キリスト生誕の日」と習ったものだが。だから、中学のボクはこの日には、キリストって? と気になった。そして、「聖書」との出会いも、数十年前のこの日だった…
母から「なにが欲しい?」と問われて「本!」と答えたら、母はボクに千円札を一枚くれて、
「これで好きな本を買いなさい」
雪の降った渋谷を歩いて、道玄坂を登ってお目当ての古本屋に行き「聖書」を買い求めたという次第だ。寒い雪の中で、出逢った本として、いまでも覚えている…。

買物に付き合わせた女性に、何か食べようか? と聞いてみた。
食べたい、と楽しそうに答えてくれた。しかし、なにを食べてもらったらいいものか…。
少し無精して、近場で食事をすることにした。

e0013640_6503055.jpgそのデパートの七階に上った。
レストランがある。都内の有名店がたくさん並んでいた。洋食は一昨日から続いて、もう飽き飽きしていたから、和食にしてもらった。
「なんか、うれしいです。私だけ、得しちゃったみたいだもの」
「?」
「イブの晩にマサミさんとふたりだけで食事なんて、ちょっと得した気分ですよ」

隣の席には、若いカップルがいた。
なんとまあ、テーブルの上で堂々と手を取り合っている…
「あのふたり、今晩はお泊まりですね、きっと」
「!」

東京のホテルが満室になる日だそうだ。それが、いまの日本のクリスマス、なのだろう。
「きれい」なのだろうか、「平和」と言えるのだろうか… どこにも、「神」がいないではないか。

ボクは宗教家ではない。かと言って、「唯物的無神論者」でもない。
こんな言い方を聞いたことがある。
「それって、宗教みたい」
と、軽蔑とも中傷、批難とも聞こえるような言葉を聞くことがあった。

バッハはもとより、モーツアルトもベートーベンの古典音楽は、宗教観を無視して鑑賞できないし、イギリス演劇やフランス哲学も又、宗教観を無視しては聞こえる音も聞こえてこない。海外の美術館の展示品はすべて「宗教観」が基礎になっていると言っても過言ではない。
「それって、宗教みたい」
では、すまない。「宗教ですよ、これは!」と、言い返したくなる。

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宗教を馬鹿にしている人たちの気が知れないのである。
そもそも、生きるだの死ぬだの、生き方とか人とのかかわりとか、愛だの尊敬、コミットメントだのクリエーション…などという単語は、その根幹にある意識の言語は「宗教的倫理観」ではなかったのか。まともに生きようと思えば、こんな言葉たちを避けて通れない。つまり、「宗教みたい」な言葉たちと真っ正面から向き合う必要が出てくるはずなのに…

まだ十代そこそこの乙女でありながら、髪をあげてロザリオに額ずき、ロウソクの淡い灯火の下で一心に世界平和を祈っているその姿。こういう人たちこそ、宗教家、と呼べる人たちではないのか。こういう人たちに対して、「それって、宗教みたい」と誹謗や中傷を言えるのか…甘ったるいケーキのにおいの残ったその口で。

カルト集団と宗教家たちとは、根本的に違う。そして、西欧文化の「religion」と東洋文化の「宗教」は、言葉の概念も違っているのに…。
その程度の知識は、学校で学んだだろうに。
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不思議なことなのだが、「それって、宗教みたい」と言っている人たちに限って、この日、デパートの地下に並んでケーキを買い求めていたりする…。それもイライラ顔で並んでいたりする。
ふたりにとっての「特別な日」であり、我が家だけにとっての「いい日」にするために。他は、目に入らない。

ところで、一昨日22日は冬至だった。職場の女性が、
「今日は、ゆず湯ですよ。お風呂に行かなくていいんですか?」
と、教えてくれた。
そうだった、ゆず湯だ。本郷の「菊水湯」へ。すると、「本日は無料です」と大きな字。
「得しちゃった」
広々した脱衣場から、戸を開けて湯殿に入ったとたん、白い湯気は、ゆずの香りになっていた。
珍しくこの晩の菊水湯は、混雑していた。
隣の女風呂から、子供たちのはしゃぎ声が湯殿に響く…。母親と一緒に悪ガキどもが騒いでいるのだろう…
うるさい、とは思わない。むしろ、おかしくて笑ってしまった。

「ねぇお母ちゃん、もうすぐ、お正月だよねッ」
「そうだよ、うるさいねぇ。ちゃんと着なさいよ、風邪ひくよぉ」
都会でも、こんな日本がまだそっとそのまま残っていてくれた。


おやおや、こんなものが…。
確かこれは学生時代、この季節に江古田の喫茶店でメモ書きしたものだ。

e0013640_6443646.jpg  「祈り」
  主よ 我らの一日を支え給え
  陽が傾いて 影が伸び 夜が訪れて
  世の喧噪が静まり 生活の熱が収まって
  仕事が終わるまで
  主の慈しみのうちに
  安全な宿と
  聖なる安らぎと
  平和が与えられますように

              …まさみ…
by masami-ny55 | 2005-12-25 07:00 | 日記


東京の日常生活と、仲間たちとの交遊録


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