友達からの便り

ラッセルご夫婦が見舞いに来てくれた。
マキちゃんが今日、突然「(奥さんの)妙子も一緒に窺います」と言ってきたから楽しみに待っていた。そう思っていたら、おやおや懐かしいご主人・ラッセルも一緒。うれしい再会だ。

うれしくなった…。
羊羹とクッキーを頂いた。なんでも、サンフランシスコのの郊外に建てたプール付きの我が家は、無事に完成したようだが、日本で仕事をすることにしたので、住まないまま、売りに出したそうだ。

くやしいから、見ない…!

あらあら…。
日本での仕事は最低三年間になる、と言う…。

元気そう!

と、言ってくれる。なによりも、うれしいことばだ。
言われた分だけ、ボクはまた「元気」になってしまう…。

頑張って!

と、ラッセル夫婦は帰り際にそう言ってくれた。

ああ、頑張るよ! と、ボクは言う。
友達は、何年経っても、そして、太平洋を挟んた遠い国に住んでいても、5年ぶりに会おうとも、友達感覚は薄らぐことはない。

本日、ついに手術の日が言い渡された…。
そして明日もまた今日以上の検査が午前から始まる…

いま、岡田君が電話をくれた。明日、検査が済んだ午後に来る。きっと明日は舞台の話になる…。

ここは都内でも有名な病院で、まわりはボクと同じ「がん患者」だけ。
こんな場所にいると、ついつい子規を想う…。
ボクが子規の名前を口にするとは、学生時代の自分には想いもしなかったことだ。あの頃は、「愛」だの、「情熱」だのと騒いでいただけだったから。それだけボクも、歳を重ね、生きること自体がすばらしいことを知る。親が他界し、友が他界した…このボクの現実の人生のなかで。
子規の交友録がボクにはおもしろく感じる。夏目漱石も「漱石」とのペンネームは子規から貰った。

子規と漱石といえば…、ボクは勝手に歴史を見ているけれど、漱石にとって子規は「命の恩人」だと想う。もっとも、漱石自身がそう思っているかは別だが…。もし、子規が死んだ後にしても「ホトトギス」が廃刊になっていたら、「吾輩は猫である」はこの世に生まれていなかったかも知れない…。
子規は漱石の文才を一番始めに見抜いた人ではなかったろうか…と、ボクは想っている。

e0013640_22252436.jpg子規が漱石に手紙を送っているが、その手紙を漱石は子規の死後10年も放置して、ようやく表具屋に、懸物にしてもらっている。
そこには、

東菊 活けて置きけり 火の国に 住みける君の 帰り来るがね

の、一句と「画」が描かれてあった。
描かれた「画」の論評をくどくどしく綴る…。明治45年、と言えば漱石はすでに世間から大文豪、の肩書きを頂いていたことだろう。子規と出逢った頃のような貧弱さもひ弱さも癒えて、堂々とした感じになっていただろう…。

ボクは想う、このくどくどしい論評に、どこか漱石の「あわれさ」を感じる。子規の創作力には到底自分は及ばない、という自覚を見抜かれまいとする「現世・東大坊っちゃん」によく似ていた強がりに感じる。漱石が手にしているその手紙に書かれた「和歌」と「画」は、子規がこの世に残した「写実」である。「写実」を言い始めた人は、明治の若者・子規だったし、実践してのもまた、子規自身である。おそらく子規にとっては「愛」だの「恋」だの…は、写実の世界から離れた「飾り物」であったに違いない…。
愛と慈悲は違いすぎる…。

「のぼる、ありがとう」「忘れてたけど、飾ることにしたよ」
と、素直に書けばいいのに…とボクは想う。

子規の前に、漱石が百万いても、子規独りの「光」にはかなうまい。
子規の前に、与謝野晶子たちが百万群がろうとも、子規の「美」にはかなうまい。
子規の前にいるのは、子規の「友」である真之と妹・律が居る…


…まさみ…
by masami-ny55 | 2014-06-25 22:07 | 日記


東京の日常生活と、仲間たちとの交遊録


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