伊藤大輔監督 生誕115年記念

どんな分野でも、「もしこのとき…」「もしその人が…」との歴史観なくしては語れないことが多いものです。
映画の世界でも…同様です。

もし、伊藤大輔さんが松山中学(現・愛媛県立松山東高等学校)で伊丹万作らと同人雑誌を作り、中村草田男、大宅壮一らと文筆を競ったりしなかったとしたら…。おそらく、「文章を書く」「ものがたりを綴る」楽しさを知らないままの青春だったはずでしょう。卒業する頃、中学校教師だったお父様が亡くなって進学を断念して、そのまま呉海軍工廠に製図工として勤務しますが、さほど好きな仕事ではなかったようで長続きはしません。

22歳(1916年・大正9年)に文通相手だった小山内薫を頼って上京します。
この年が伊藤先生にとっても、日本映画界の将来にとっても大事な分岐点になっています。上京の理由は俗にう「赤狩り」でした。当時、共産党員のレッテルを公にされると人間関係にも支障が生じた時代でした。今の若い人たちにはなかなか理解できないでしょうが…まあ、労働組合の活動に参加しただけでも、そう見られてしまう時代だったそうで、伊藤先生も「演劇グループに参加した」だけでそんな風な風当たりです。
上京したのですが、伊丹万作と同居し、2月に創立された松竹キネマ付属の俳優学校(小山内が主宰)に入ることになります。その後、松竹、帝国キネマで数多くのシナリオを執筆していきました。

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伊藤先生は「イケメン」だったから、役者としても通用すると思いますが…。そこは、青年のビジョン「監督/脚本」への情熱は不動です。

ここで即席ですが、その後の伊藤先生の経歴を記しておきます。

1916年(大正9年)、小山内薫の推薦を受けて、ヘンリー・小谷監督の製作第1作『新生』のシナリオを執筆することになります。プロの仕事として、初めての執筆になったのです。
1924年(大正13年)、26歳。監督業は、国木田独歩原作の『酒中日記』でこの年に監督デビュー。
そしてそして、記念すべきことは、同年、時代劇第1作品となる『剣は裁く』を監督したのです。

1925年(大正14年)、27歳。独立して「伊藤映画研究所」(伊藤大輔プロダクション)を設立、稲垣浩、岡田時彦らが研究生所属。
同年、日活太秦撮影所に移り、まだ新人だった大河内傳次郎とコンビを組み、『長恨』、『流転』などの時代劇作品を監督、激しい乱闘シーンやアメリカ・ドイツ・ソ連など外国映画の影響を受けた大胆なカメラワークで注目を浴びる。
1927年(昭和2年)、29歳。映画史上に残る「金字塔」と称される傑作『忠次旅日記』三部作を発表。
一躍映画界を代表する存在になり、後世に大きな影響を与えた。この年監督した河部五郎主演の『下郎』も名作に数えられる。
この日活撮影所時代に「監督:伊藤大輔」、「主演:大河内傳次郎」、「撮影:唐沢弘光」の「ゴールデントリオ」が生まれ、サイレント末期の日本映画界をリードする旗手となった。「大河内傳次郎の丹下左膳」の人気を不動のものとする。

日本映画では1931年(昭和6年)の『マダムと女房』(松竹キネマ製作、五所平之助監督、田中絹代主演)が初の本格的なトーキー(発声映画)作品です。しかし、活動弁士が無声映画に語りを添える上映形態が主流だったため、トーキーが根付くにはかなり時間がかかったようです。
1936年(昭和11年)、38歳。伊丹万作、稲垣浩、池田義信、井上金太郎、小津安二郎、渡辺邦男、田坂具隆、成瀬巳喜男、村田実、牛原虚彦、内田吐夢、山本嘉次郎、山中貞雄、阿部豊、五所平之助、衣笠貞之助、木村荘十二、溝口健二、島津保次郎、清水宏、鈴木重吉、野村浩将と連名で「日本映画監督協会」を設立。

終戦後の1948年(昭和23年)、50歳。『王将』(大映京都)を撮り、健在を示した。
この作品はその後のライフワークとなり、その後、1955年(昭和30年)に新東宝で辰巳柳太郎を主演に『王将一代』、1962年(昭和37年)に東映東京で三國連太郎を主演に『王将』と、2度に渡りリメイクしている。

1950年(昭和25年)、52歳。東横映画で『レ・ミゼラブル あゝ無情(第一部)』を監督。戦前についでのリメイクを行う。

1951年(昭和26年)、53歳。松竹30周年記念映画『大江戸五人男』を阪東妻三郎、市川右太衛門ら、オールスターを迎えて製作し、人気を博した。
1958年(昭和33年)、60歳。大映京都で『弁天小僧』を監督。
1960年(昭和36年)、62歳。大映京都で『切られ与三郎』を監督。この2作品は大映スター市川雷蔵のために撮られた作品で、歌舞伎の様式美を意識した映像が話題なり、評価された。
また、1965年(昭和40年)、雷蔵主演の「眠狂四郎シリーズ」の『眠狂四郎無頼剣』、1966年(昭和41年)に勝新太郎主演の「座頭市シリーズの『座頭市地獄旅』に脚本を提供、大映の2大人気シリーズに関わる。
1970年(昭和45年)、72歳。中村プロダクションで撮った『幕末』が最後の監督作品になった。
その後、晩年は萬屋錦之介の舞台の脚本や演出を手がけています。

このように、伊藤大輔先生はまぎれもなく、「日本映画界・時代劇の父」です。
実際に演出や脚本を書いてみると実感出来るのですが、その時代の「生活習慣」や「価値観」を自分で決めておかないと先に進めません。例えば、「武士」が上司に挨拶する台詞と、「町人」が親方に挨拶する台詞、「任侠/渡世人」が人と挨拶をする台詞は、明らかに違っていなければウソです。
でも、それを知らなければ台本は書けませんね。こんな些細なことまで、「時代劇の台詞のルール」まで決めたのは伊藤先生でした。
御用提灯は刀で斬りつけていいのか…とかいう役者のこまかい動作、というか、どうでもいいようなことにも決めていった人が伊藤先生です。

経済記者だった頃、なんの因果か、中村錦之助さんを取材しました。加藤泰監督の「宮本武蔵-巌流島の決闘」が封切られてしばらく経って、渋谷の彼の事務所で取材しました。そのとき「台詞の発音は伊藤先生からたくさん教えてもらいましたねぇ」とか「伊藤さんがそう言ってたよ」とか…。伊藤大輔さんのことを中村錦之助さんは随分口にしていたのがいまでも記憶から消えることがありません。

さて、時代劇とは、だいたい4つの分野があります。
「赤穂浪士」でお馴染みの時代劇は、「武士もの」とか「殿中もの」といわれます。
黒澤明監督の「用心棒」は、「浪人もの」といいます。
両者の作品の台詞は、「武家用語」がきほんです。

「股旅もの」「任侠もの」という作品は、「やくざ映画」と言った方がわかりやすいでしょうか。台詞の特徴は、武士ものとは反対で、リズミカルに切れ味のいい小気味よさが耳に残ります。

もうひとつが、「一心太助」のような「町人もの」があります。

「武士が演じられて、股旅ものもピタリと演じられ、町人ものも自然にこなせる役者」という役者は日本映画界ではそうそういませんが、これが出来た役者がいます。中村錦之助(萬屋錦之介)です。
三船敏郎さんの「股旅もの」「町人もの」は、連想しにくいですね。むしろ、「浪人もの」「武家もの」がよく似合います。市川雷蔵さんもいいけれど、「町人もの」のリズミカルで切れ味のいい台詞回しよりも、じっくりと整った台詞を、情の世界に浸ったように語りかける姿が似合います。

e0013640_4185123.jpg伊藤大輔先生が中村錦之助とコンビを組んで「反逆児」を撮影したのが、1961年(昭和36年)のこと。大佛次郎の新作歌舞伎(戯曲)『築山殿始末』を伊藤大輔の脚本・監督で映画化した時代劇です。徳川家康の嫡男として生まれながら若くして悲劇的な死を遂げた松平信康(三郎信康)の生涯を描いた物語です。映画界を去った後でも、萬屋錦之介の舞台でたびたび「反逆児」の公演を演出しています。
同年、5月に加藤泰監督も「宮本武蔵」第1作を制作。「反逆児」の制作は11月でした。
同じ時代劇であり、同じ役者でながら一方は泥だらけの傷だらけ。いかにも粗暴な若者・新免武蔵を演じて、「反逆児」では時代絵巻から抜け出たようなおしゃれな衣装をふんだんに使い、理知的で自分のこころに誠実に生きようとする青年武士を見事に演じきっています…。

こういう役者はきっと伊藤先生にもかわいがられていたはずです…。



稲垣浩監督は、伊藤先生が1925年(大正14年)、27歳で独立して「伊藤映画研究所」(伊藤大輔プロダクション)を設立したときの研究生でした。伊藤先生は稲垣監督とは7歳先輩です。稲垣監督は黒澤監督とは、5歳先輩です。ですから、伊藤先生と黒澤監督は、干支で言う「ひと廻り」違います。干支はふたりとも「戌年」です。
この三人の共通点は「時代劇」であり、「活劇」で人気を博しているという点です。

伊藤先生は映画人だけでなく多くの創作活動家たちからも「先生」と呼ばれています。伊藤先生がもし映画界にいなかったら「日本の時代劇」はなかったかもしれない…いや、あったにせよ、今日の様相を呈することはなかったかもしれませんね。

10月12日は、伊藤大輔先生の誕生日でした。この日までにこの原稿をアップしたかったのですが…体調がすぐれず…ごめん…なさい。

ということで、しばらくはボクの道楽、映画と舞台の話を書きます。退屈すると思うけど、知っていれば損のない話、知れば映画が10倍楽しく見られる情報になると思いますが…記事にしていきましょう。まずは、得意の分野、映画シナリオ作家たちのお話をしようと思ってます。


…まさみ…
by masami-ny55 | 2013-10-18 03:56 | 日記


東京の日常生活と、仲間たちとの交遊録


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