「鴨のオレンジ煮」物語

読書の楽しみはここまでにして、読書以外の道楽を見つけたのですよ。
病気になってから、体重が12キロも落ちました。すっかり体力は落ち込んで、寝ている体を起こすのが面倒に思えました。寝たまま出来ることは、テレビを眺めているか、読書するか、でした。

このままではいけないと、先生は「とにかく食べてくださいよ」とおっしゃる。
でも、薬の副作用がひどくて指先がピリピリ状態で、シャツのボタンでさえ自分で掛けられなくなりました。足の指先もピリピリ感で、舌もピリピリ感です。ですから食べるたびにあの刺々しいサボテンが口の中に飛び込んでくるようなもの。味もわからないし…。しかし、そう言っても食べないことにはますます体重が落ちてしまいます。ボクにとっての食事は、我慢、忍耐の道場でした。

その状態が8月まで続きましたが、9月から「薬」が変わりました。
新しくなった薬の副作用は「しびれ感」ではなくて、ほかの副作用が出る人がいるとのことで、新薬を投与する直前に血液検査です。その結果、ボクにはその「副作用が出にくい」との診断結果でした。
薬を変えたからと言っても、いきなり、いままでの副作用が消えてしまうというものではありません。先生の話だと「3ヶ月間かけて、徐々に消えていくはずです」との報告がボクの励みになっています。

だんだん食べられるようになり、現在では最悪時代よりも3キロ以上、体が増えました。食べることが楽しくなってきたのですよ。読書同様に…。

十数年ぶりで銀座に所用で出向いたので、ふと、「資生堂パーラー」のレストランで「鴨のオレンジ煮」を食べようと、ひらめいたのです。
「鴨のオレンジ煮」との出逢いは実父がきっかけです。実父は田舎者でした。働くこと以外に能のない人間みたいに思えたほど、ボクの目から見ると実によく体を動かす男でした。土建屋の頭領でした。
実父の楽しみは今思い返すと、「食べること」だったように思います…。家族を引き連れて地元の渋谷はもとより、浅草に銀座などの食堂に連れて行ってもらったものでした…。
学生時代、実父とふたりで「資生堂パーラー」で、はじめて「鴨料理」を食べてみました。それが「鴨のオレンジ煮」だったのです。ものすごくいい香りで、こんな料理があるのかと感動したことはいまでも消えずに心に残っています。味と香りは、いまでも口と舌の中に残ったままです…。
昭和四十年代でしたか…、今で言う「レトルト」も資生堂パーラーにはあったのですよ。まあ、お土産替わりみたいなものですが、そんなレトルトにも、「鴨のオレンジ煮」は堂々の仲間入りでした。ボクもこのレトルトが食べやすいので大好きでした。今思えば、当時の方がメニューはたくさんありました。

e0013640_1361992.jpg元気になったいま、せっかく銀座に来たのだから、「資生堂パーラー」のレストランで「鴨のオレンジ煮」をと思い、早速、行ってみました。すると、十年以上前にレストランはリニュアルされ、豪華なレストランに模様替えです。


「鴨のオレンジ煮」はメニューから消えてしまった…。
むかしのことですから、当時のシェフもいなくなり、当時のレシピも残っていない、と店員さんが教えてくれました。…残念。

e0013640_1391561.jpg




せっかく入ったので友だちは伝統の味、カレーを食べてました。
そしてボクは鴨料理のアラカルトを…。




こういう展開になると、なにがなんでも「食べてみたぞ」との結果が欲しくなるのがボクの性格。銀座のレストランではすでに「鴨のオレンジ煮」のメニューは消えていーたのです。
この事実を知れば知るほど、実父と食べたあの味が懐かしい…。

銀座のあちこちのレストラン、家庭料理店に電話をしたり、サイトを見たり…。しかし、「鴨のオレンジ煮」をメニューにしているお店は見つかりません。仕方がありません、ここぞと思うフレンチレストランにぶらりと寄って食べてたりして、ビストロにも立ち寄ってみましたが、いまひとつで…。

そんなこんなで、数日前のことです。
学生時代から使っていた譜面書き用のモンブランが故障。インクが入りません。修理は銀座にあるモンブラン直営店に行かなくては出来ないとのことで、行ってきました。
直ったその日の夜、ペンを受け取った後、歌舞伎座近くで立ち寄った簡素なレストラン。看板にはフレンチと記してありましたが、ボクにはお店の構えはビストロ風にしか見えませんでした。
屋号が覚えられません。「ヴァン ア ビブリオテイク」です。

「オレンジ煮」は初めからあきらめていたので、鴨メニュー中から「鴨もも肉のコンフィ」を食べてみました。すると、「んっ」と刺激的に反応する味付けなのですよ!
早速、店員さんに「これだけの味付けが出来るなら、鴨のオレンジ煮が出来ませんか?」
「では料理長に聞いて参ります…」
しばらく待っていたら「出来ます。で、何人様で、いつ頃来られますか?」
ちと、急すぎる…。「後ほど連絡します」

そうこうしているうちに、ボクの携帯に登録のない番号で呼び出し音が鳴りました。
「? ハイ、…ですが」
「シェイノの…といいます」

ま、まさか…あの超有名フランス料理店の「シェ・イノ」から…????
「鴨のオレンジ煮をお探しと聞きましたが、当店では『鴨のオレンジソース』というメニューで召し上がって頂いております。是非…さんも当店にお越しください」と、なんとなんと、料理長自ら直々のお電話だったのです…。
感激です!
先だっての「ハン ヒョジュさん」の声優、加藤忍さんとの出逢いじゃないけど、こんなことって人生でそうそうないでしょう…。と、堂々と書きましたが、実はボクの人生って案外他の人たちより、こういう出逢い方が多いのかもしれない…って、最近感じてます。

シェ・イノの料理長さんが直々に電話していただいた上に、ここまでおっしゃってくださるのなら、男として断れませんよ、この場面では、ね。むしろ、うれしくなっちゃって…ハイ!

「必ず伺います。日程と人数は後ほどボクがそちら様にご連絡いたします。ありがとうございます」
と、お礼を伝えました。あのときは、かなりの緊張感でしたね。
そしてまたここでも、新たな人との出逢いが「鴨のオレンジ煮」を通して生まれました…。

さあ、明日。
資生堂パーラーでも消えてしまったメニュー、「鴨のオレンジ煮」を40年ぶりで銀座のレストラン「ヴァン ア ビブリオテイク」で、ボクを含めて8人でいただきます。
ボクが元気になったことと、新しく始める事業の船出もかねて、集まってくれました。ここでは果たしてどんな味付けの「鴨のオレンジ煮」なのでしょうか、いまからワクワクです。
ここでいただいた後は、あの有名店「シェ・イノ」で「鴨のオレンジソース」を11月中までには、いただく予定です。味くらべ、です。
どうです、羨ましいでしょ! と、自慢させてくださいな…。

こんなに贅沢なことが出来るようになったのは、命の恩人「エガワ先生」との出逢いがあったからです。エガワ先生はボクが元気になる姿を見て楽しそうに笑ってくれます。どんなことでも電話すれば手術でない限り、出てくれます。いつもお世話になる二人の看護婦さんと、専門治療医の先生もボクの顔色を見て、いつも褒めてくれます…。

どんなに長い時間が経っても、人としての関係をいつまでも大切に継続してくれる人たちこそ、ボクにとって人生の恩人、です。
こんな病気なってみたら、益々この想いが明確になりました。

そんな人たちの生命が輝いているではありませんか!
そう、想いますでしょ 皆様も!

さあ、明日はみんなして銀座に「鴨のオレンジ煮」を食べに行きます!


…まさみ…
by masami-ny55 | 2013-10-11 02:14 | 日記


東京の日常生活と、仲間たちとの交遊録


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