青空と銭湯

今日、東京は青空が広がったままだ。午後三時をすぎてもその様子は変わらない。 どうやら、このまま夕焼け空に変わっていきそうな按配だ。
青い空からオレンジ色に変色する空を見上げるのは、東京では久しぶりのような気がする…。
明後日から、12月。秋も終わって、冬が来ていた。
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本郷の坂下にあるこの事務所は窓ガラスが大きいから、外の景色が遠くまでよく見通せる。あんまりいい天気だから、ビルに籠もっているのがもったいなく感じて、外に出て歩いてみた。商店街では、主婦たちが夕餉の買い物で忙しない。
並木の影が舗道に長く伸びて、街の喧噪はこの時間、静まることはない…。

寒いから、顔に手をあてがってみたら髭が伸びているのに気づいた。朝の洗顔で手を抜いたか。
お風呂屋さんに行って髭を剃ることにした。陽の残っているうちに、風呂からあがって事務所に戻ってくればいいか…と。
都会で銭湯に行けるとは、現代人の生活感覚からすると、これは少々贅沢なのかもしれない。
まあ、いい。本郷という地域が、私の性分に合っているだけのことだから…。

私の風呂好きは子供の頃から変わりない。
でかい湯船が好きだ。子供時分は、渋谷の銭湯はプールと同じに見えたから、泳いで遊んだ。調子に乗りすぎて、湯を跳ね上げるほど騒ぐものだから、おっかない叔父さんに拳固をもらった覚えもある。自分で創った船を家から持ち込んで、浮かべて遊んだこともあったし、手ぬぐいを手に広げて石けんを塗り込んでシャボン玉を作り、お風呂屋さんの広い洗い場で飛ばしたこともあった…
もちろん、近所の子供たちと一緒に銭湯に行くのである。銭湯は、子供時分には恰好の遊び場だった。
そう言えば、最近の銭湯に行っても子供たちを見かけない。どこに行っちゃったんだろう。
たまに見かけても、大人たち同様に静かにしている。


e0013640_18222844.jpg私たちの世代は、子供の頃に親と一緒に風呂に入ることで、いろいろと学んだものだった。
大人になっても未だに私は、靴下から脱いでいく。この指導は、父から習った。下着の着方は、母親に習った。たたみ方も同様だが、これは大人になったら自分流にアレンジしていた。
裸になるとうれしくなって、そのままドボンと湯船の飛び込んだら、父の拳固が飛んできた。人がいっぱいいるのに…。恥ずかしいやら、痛いやら…
「洗ってからにしろ! 馬鹿!」
洗ってから…か。

父は、人がいっぱいいるのに湯船の中で鼻歌を歌った…
新潟出身だったので、佐渡おけさ、だったか、十日町小唄だったか。子供ながら、父の鼻歌には感心した。いい声、なのである。
それが広い銭湯に響く…。

「歌っちゃってる…」

歌い方に特徴があった。必ず父は、歌い途中で、
「…かぁ~」と、一節入れる癖があった。私はその歌い方がおかしいから、笑った。笑うと、父はよけいに「…かぁ~」を強調した。

苦手は、父や母から自分の背中を流してもらうことだった。母親が私の体に触れると、くすぐったくて我慢できない。一方、父親は私を捕まえて押さえつけて洗ってくれたのだが、痛くて痛くて我慢できない。
「我慢しろ!」
の、父の声に我慢できない。泣けばまた拳固だろうし…耐えられないが、耐えるしかない。
今になって思うが、父は私を銭湯に連れて行くことで、生活道徳と習慣を教えていたようだ。

結局、お風呂屋さんでおしゃべりできるのが一番の楽しみである。だから、未だに私は人を誘って銭湯に行く…
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…まさみ…
by masami-ny55 | 2005-11-29 18:28 | 日記


東京の日常生活と、仲間たちとの交遊録


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