ふるさと「渋谷」の喫茶店

正月気分が続く東京も、今日から3連休。
浅草には何度も行ってるから今日はボクの「ふるさと」に行くことにした。そう、渋谷だ。

ずいぶん変わった様子が昨年からテレビで紹介されている。気になってはいたが、行って眺めてくる気は起きなかった。パンテオンがなくなって、なんでも「ヒカリ…」がとうした、とかいうビルになったとか…。もう、10年もすれば大きく様変わりすると言う。

せっかく渋谷に来たので、行きつけの「カレー屋」に。ところが、なくなっていた。別の飲食店になっている。なので、もう一件の店へ。なんとここもなくなって、唐揚げ屋さんになっている。

渋谷の「名物」がない。もっとも、恋文横町もとっくになくなり、餃子を焼く匂いはもうどこにもない。
道玄坂を上がって百軒店を曲がると、昔は映画館だったが、いまは若い人たち向けのお店が並んでいる。もっとも、このあたりは子供が遊び場にすべき場所ではなかったが、ボクは子供の頃からここに住んでいる子供と友だちだったから、平気で遊び回ったが…。ダンサーの子供が同級生だったし…。

で、この辺は昭和の頃、新宿と並んで「ジャズ喫茶」のメッカでもあった。ボクは大学に入ると、堂々と、待ってましたとばかり、ジャズ喫茶に通った。江古田から渋谷に帰ってくるが、まず自宅に直行することはない。たっぷりと好きなジャズを聴きまくった。とくに、「デュエット」という店が気に入ってオナゴも「アタシも行きたい!」とのたまうから誘ったが、「もう、いいや…」だった。よほどのジャズ好きでないと大音響で流れるジャズ演奏にはついて行けなかったろう。店を出ると「ああ、ホッとする」とため息をついていた。
この店以外でも、百軒店に点在していた「ジャズ喫茶」もすでに姿を消している。

そこで、まさか、と想いながら学生時代に通った「クラシックの喫茶店」に行ってみようと思った。
ジャズばかり聴いていたが、ときには「クラシック」も聴きたい…と、おもうこともあったから。そんなときは、ちと、いかがわしい、と感じてしまう場所を歩く。子供の頃はそんなことさえ感じなかったが、学生になると妙に気になったのを覚えている。

ボクが学生時代、音響システムを趣味にしている「マニア」が増えた。その関係雑誌も多かった。
トリオ、サンスイ、パイオニアの音響御三家は音楽好きの若者たちには、憧れだった。ボクは大学本部の吹奏楽部にいたので、まあ、音楽のことは多少だが勉強したつもりだ。1年の夏休みだったが、親父さんにせがんでようやく、パイオニアのステレオシステムを自分でオーダーしたことを覚えている。テレビ局でのバイト料の大半は「銀座ハンター」で買う中古レコードに消えた。部屋中LPだらけになって、親父さんに「売ってこい!」と怒鳴られた。
映画雑誌に本だらけ、それにレコード…。確かに当時でも「勉強する学生」の部屋ではない。
「遊んでばっかりじゃねぇか、そんな大学生はお前だけだろ!」と、土建業の親父さんはそんな文句をボクに言っていた。いまとなっては、懐かしいボクの想い出だ。渋谷時代の、ボクだ。

音響システムのモデルになったのがこの「クラシックの喫茶店」から聞こえてきた音響だった。
ジャズ喫茶はどうしても、高音をアップ気味に設計している。しかし、クラシックのメイン音響は弦楽なので調和の取れたサウンドにしなければいけない。「交響曲」をスピーカーから流すのだからあまり数多いスピカ―を組み込んだボックスでは、長時間聴いているとボクは飽きてしまう。当初は分散した楽器演奏に聞こえておもしろいのだが、これはジャズ演奏の再生にはいいが、クラシックには、どうだろう、ボクには不向きだった。

ふるさと「渋谷」の喫茶店_e0013640_0221077.jpgさて、話を戻そう。
「クラシックの喫茶店」とは、百軒店の路地にある「ライオン」だ。
懐かしさついでに、まさか残ってはいないだろう、と思いつついってみたら、なんと当時のまま、そつくり残っていた。入り口には「創業1926年 名曲喫茶ライオン」とご丁寧な看板も昔のままだった。
久々だ、中に入った。この暗さがまた…おんなじ、席の並び方も変化なし…。
客層は…ちと、老けた人たち(失礼!)がやや目立つが、若い女性たちはさっさと二階に。タバコはご自由に。これも、変わることはない。相変わらず、濃いめの珈琲。
演奏曲は「ブラームス交響曲1番の第4楽章」だったと思う。これもまた、当時と変わらないいい音響だ。
ふるさと「渋谷」の喫茶店_e0013640_023172.jpg
そう言えば、ボクの実家で使っているスピーカーは「タンノイ」同軸2ウェイ方式を2セット、部屋別に使っているが、これもまた、ここで聴いた音が影響したのかも知れない、といまになって思いあたる。
店員さんに伺ってみた。「この音源、CD?」「そうです。でも、LPも使いますから、いまは半々です」とのこと。

ここ「ライオン」は、昭和元年からクラシック演奏を奏で続けている。
ということは、あと13年で創業100年の喫茶店ってことになる…。
んーー、そうか。すげえなぁ、この店がボクのふるさとに残っているなんて。ちと、うれしい。大向小学校はいまでは、東急本店と渋谷文化村になっちゃったし。カレー屋さんも消えたし、恋文横町は昔々に取り壊された。しかし、ここ「ライオン」がある!
ボクがまだ大向小学校時代には、この辺をともだちと数人で走り回って、下の恋文横町まで駆け下りたが、「ライオン」はあったなぁ。

東京。
この大都会で、100年近くそのまま残っている「喫茶店」って、凄くない?
ニューヨークのブロードフェイ53あたりに昔「オンパレード」というケーキ屋があった。マル ウォルドロンというピアニストたちも通っていたが、90年代に姿を消した。ビレッジに群がっていたジャズの店、ビレッジバンガードもビレッジゲートもなくなった。スイートベージルもいまはもうない。アッパーのスモークは残っているだろうが。
ブリーカーとマクドォウガルの交差点もすっかり模様替えしたと聞いた。
浅草にある「アンジャラス」はいまや観光客でごった返している。昭和の喫茶店というば、まあ、「ロイヤル」程度か。鰻も高くなりすぎた。浅草公会堂沿いの「小柳」さんも、経営が大変だろう。

1杯500円の珈琲で、経営を続ける「名曲喫茶ライオン」。
ここで使っているスピーカーは、昭和25年製作。当時、東芝の技術陣が初代「ライオン」経営者の意図をくんで、特注設計で完成した「純国産のスピーカー」なのであるぞ。
多少の修理をしているけれど、今以て残る堂々の音響だ。まさに、お見事!

「へー、そうなんだ、アタシも行きたい」と、パンダでも見物に行く程度のオナゴどもよ、この喫茶店は行かない方がいい。だって、絶対に、ハシャげない、もんねッ。
まあ、それでも行ってみたい人。クラシック好きの人なら、道玄坂あたりで「ライオンってどこにありますか?」と訊ねれば「ああ、それは…」と教えてもらえる。知らなかったら、その人は「渋谷人」ではないだろうから…。


…まさみ…
by masami-ny55 | 2013-01-13 00:50 | 日記


東京の日常生活と、仲間たちとの交遊録


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