釜山から戻って…

今月13日から韓国の釜山にいて、一昨日ここに帰ってきました。

今回も韓国の学生たちと会い、大学の教師たちと話をするためでした。いきなり冬になっていた釜山は寒かったなあ。慌てて、「冬ソナ」でお馴染みの長いマフラーを買いました。

さて。
この間、日本では16日に第46回衆議院議員総選挙の投開票がありましたね。ボクはPCで流れる速報の映像を見ていました。自民党は絶対安定多数を超える294議席を獲得したのには正直、驚きませんでした。だろうな、と。「政権交代」を漫才師たちのギャグにまでされた民主党には、結局政権確保どころか国会運営さえ出来なかった。仕事が出来る人材がいませんでしたね。3年ぶりの政権復帰をした自民党を評論家たちは「勝ちすぎ」だの「投票率が低すぎる」とか、「国民は極端な反応だ」とか…。ホントかいな? と、逆に評論家たちの現実社会無視の姿勢と発言には呆れました。

そして3日後の19日。韓国では大統領選挙でした。
ボクは6時30分すぎからテレビ中継に釘付けでした。開票から 朴 槿恵(パク・グネ)さんが文 在寅(ムン・ジェイン)さんをリードして最終的には1577万0910票を獲得。1489万9974票の文さんを抑えて韓国史上初の「女性大統領」が誕生です。朴さんは当確がKBSで発表になると自宅から出て、取り巻く国民と丁寧に挨拶をしている姿が印象的でした。党本部まで車で移動、景福宮前に造られた特設ステージでの挨拶をしていました…。投票率は75%以上です。
こんな歴史的瞬間に釜山にいられた自分が妙にうれしくなったものでした。

朴さんの地味な服装と国民に対して丁寧に頭を下げる様子から「お偉いさん」のイメージは一切なく、独身で、政治活動を続けた歴史がその表情から窺えた。

朴 槿恵さん父親は、朴 正煕(パク・チョンヒ)さん。1961年5月16日、軍事クーデターのグループリーダー。李承晩大統領を退陣に追い込んだ事件は、当時国際的にも大変なニュースでした。
ところが、1974年8月に母親の陸英修さんは頭部を撃たれて死亡。父親も1979年10月26日、射殺されました。朴槿恵さんご本人も、2006年5月、地方選挙の支援遊説中にカッターナイフで男に切り付けられ、右耳下から顎にかけて10センチの傷を負い60針縫う大手術を受けました。とにかく、バリバリの本格派の政治家なのです。

朴 槿恵さんはきっと、父親の過去の政治活動と重なったイメージを国民に与えたことでしょう。朴 正煕大統領の評価は未だに賛否両論で、とにかく歴史的に偉大な人物であることに違いはありません。

ところで、比較したくなるのは日本にも偉大な政治家を父親に持つ女性国会議員がいます。今回の選挙で遂に「落選」しました。驚くことではありませんね。命がけの政治家と、テレビ写りに意識過剰の無政策の議員と比べる方が恥ずかしい…。
こんな議員さんも日本にはいました。元作家さんだそうですが、日本国憲法を「あんなに汚いことばで書かれているのは世界中ない…」とか、中国を「シナ」といい、日本国民は「平和ボケしてる」とおっしゃる。平和を維持してきた日本を誇りに思う人たちが大勢いるというのに国会議員さんがこんな乱暴なことを自慢げに語るとは。1945年以後、「戦さ場」にただのひとりの国民も送り込んでいないの国は、先進国では日本だけであることを、なぜ誇りに思えないのか…。ボケておられるのは、そう言うことをテレビに向かって口走る議員たちではないかな…と、ボクは思う。明治維新を極端に「美化」し、まるで「幻想」か「テレビの見過ぎ」かと疑りたく議員さんは、ちと、政治家として行儀がお悪い。上品さは全く感じることがなく、政治家としてはむしろ、お下品な印象を受ける。
さらには、「まずは憲法96条を変えるべきだ。なぜなら、3分の2はハードルが高すぎる」なとど小学生でもあるまいし、日本国憲法は硬性憲法であることすらご存じないのか、と。呆れる。自分たちの都合で憲法改正がいとも簡単にできるとでも思っておられるのか。憲法に関して、正当に議論すべきだろう。いや、むしろそうすべき時代なのだろう。だが、日本は韓国とは違って、国家体制が違う。日本は民主国家であり、共和国ではない。多数決がそのまま「権力」と思い込む議員さんこそ「平和憲法」を謳う我が国、その国民が65年間努力して保護した歴史を知らない、幼稚なお方ではなかろうか。それこそ、恥ずかしい。

確かに、1948年から大韓民国憲法は9回にわたって改憲され、特にそのうちの5回におよぶ改憲は韓国の国家体制を大きく変えるほどの修正がなされた。そのため、5回におよぶ改憲は韓国政体の歴史的な一区切りとされ、それぞれの時期に存続していた憲法には第一から第六までの番号が憲法の通称として付けられている。だからといって、諸外国がそうだから日本が憲法改正しないのはヘンだ、という言い方がヘンです。
そもそも民主国家と共和国は同義ではないことをご存じないのかと、言いたくなる国会議員さんが大勢いるようで、ここしばらく騒々しい。

日本は世界各国から「人気」が下降気味です。1960年代からの高度成長経済を遂げていた日本人の勤勉さと努力は、確かに現在では影を潜めています。そこで想い出すのは、「憲法の前文」と昭和21年の昭和天皇の「人間宣言」です。

憲法とは、国の「ビジョン」です。現在まだ得ていないけれど、私たち国民は「ここに向かいますよ」と諸外国と国民に伝えています。現在の日本国憲法は敗戦のなかで綴られたものです。当時、国民は貧していましたし、家族の大黒柱を失いました。そして、国の宝である大勢の「若者」も失いました。お米の統制があり、ヤミ市が立ちました。1894年(明治27年)の日清戦争から延々と1945年まで、50年間以上も続いた戦争に日本の国民は疲れ果てていたはずです。しかし、忍耐と我慢を続けていました。そんな日本が現在の平和憲法を綴ってみせました。

1.基本的人権尊重主義
2.平和主義
3.権力分立制
4.民主主義(国民主権)
5.法の支配

これだけの戦争を経験して、多くの国民を戦さ場に送り込んだ代償として、ようやく、やっとの思いで日本は「個人の尊厳」「自由」を獲得できました。65年間の平和は、国民の努力の賜です。それを「平和ボケしてる」という国会議員さん達は、お行儀が悪すぎる。
こんなことを記すと、なんだか「ヘンなレッテル」をいただきそうですが、あえてここで昭和21年元旦に放送された昭和天皇の「人間宣言」を記載しておきます。



朕はここに誓いを新たにして 国運を開かんと欲す。
すべからくこの御趣旨(五箇条の御誓文を指す)にのっとり、旧来の陋習(ろうしゅう=古い習慣)を去り 民意を暢達し、官民挙げて平和主義に徹し、教養豊かに文化を築き、もって民生の向上をはかり、新日本を建設すべし。

大小都市のこうむりたる戦禍、罹災者の艱苦、産業の停頓、食糧の不足、失業者増加の趨勢等は、まことに心をいたましむるものあり。しかりといえども、わが国民が現在の試練に直面し、かつ徹頭徹尾文明を平和に求むるの決意固く、よくその結束をまっとうせば、ひとりわが国のみならず、全人類のために輝かしき前途の展開せらるることを疑わず。
それ、家を愛する心と国を愛する心とは、わが国において特に熱烈なるを見る。
いまや実に、この心を拡充し、人類愛の完成に向かい、献身的努力をいたすべきの時なり。

思うに長きにわたれる戦争の敗北に終わりたる結果、わが国民のややもすれば焦燥に流れ、失意の淵に沈綸(ちんりん)せんとするの傾きあり。詭激(きげき)の風ようやく長じて、道義の念すこぶる衰え、ために思想混乱あるは、まことに深憂にたえず。




しかれども、朕は爾(なんじ)ら国民とともにあり。常に利害を同じうし、休戚を分かたんと欲す。朕と爾ら国民との紐帯は、終始相互の信頼と敬愛とによりて結ばれ、単なる神話と伝説によりて生ぜるものにあらず。天皇をもって現御神(あきつかみ)とし、かつ日本国民をもって他の民族に優越せる民族として、ひいて世界を支配すべき使命を有すとの架空なる観念に基づくものにもあらず。

朕の政府は、国民の試練と苦難とを緩和せんがため、あらゆる施策と経営とに万全の方途を講ずべし。同時に朕は、わが国民が時難に決起し、当面の困苦克服のために、また産業および文運振典のために、勇往せんことを祈念す。
わが国民がその公民生活において団結し、相倚り相扶け、寛容相許すの気風を作興するにおいては、よくわが至高の伝統に恥じざる真価を発揮するに至らん。

かくのごときは、実にわが国民が人類の福祉と向上とのため、絶大なる貢献をなすゆえんなるを疑わざるなり。
一年の計は年頭にあり。朕は朕の信頼する国民が、朕とその心を一にして、みずから誓い、みずから励まし、もってこの大業を成就せんことを庶幾(こいねが)う。





…まさみ…
by masami-ny55 | 2012-12-26 04:00 | 日記


東京の日常生活と、仲間たちとの交遊録


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