「ゼロの焦点」で想う

1958年(昭和33)4月、長嶋茂雄さんが巨人軍に入団した。
昭和33年を境にして、日立、東芝、三菱などの重電メーカーとナショナル、三洋、シャープ等の家電メーカーは、「白物」と呼ばれた冷蔵庫、洗濯機それにテレビを加えた庶民生活の「三種の神器」と讃えて、一気に日本は文化生活を追いかけることになった…。その中で、テレビの影響は大きかった。力道山のプロレスと巨人軍の進撃に日本の家庭は拍手を送りつつづけていた…。
陽のあたる街づくりが全国で盛んになり、下水道がひかれ行く。都市ガスが普及していく。電線はケープルになっていく…。

紙芝居屋が街からいなくなり、その代わりに子供はテレビでアメリカドラマに夢中になる。「スーパーマン」「名犬ラッシー」「月光仮面」…。昭和33年から昭和39年の東京オリンピックと新幹線開通までの7年間、日本の高度成長ぶりはあまりにも急速すぎた。狂気の沙汰だったのか、幻だったのか、見果てぬ夢に盲進していたのかも知れない…。

長嶋監督が巨人軍に入団した昭和33年に、赤線が廃止になった。
それを惜しんでか、墨田の玉の井と鳩の街、そして浅草の吉原では「蛍の光」が流れていたという。
太陽のような人・長嶋監督さんと、どぶ臭さが漂う赤線地帯。確かにこの年は日本人にとって、なにかを捨てようとしていたのだろうし、なにかを拾い上げようとしていた時だったのだろう。
後藤 譽之助が昭和31年「経済白書」に「もはや戦後ではない」と記した。当時の流行語にもなった。このことばが予言したように、日本は諸外国から「奇跡の復興」とまで賞賛されている。

だが…捨てられた人々はいる。たくさん、いる。それぞれに、個人的な事情がある。個人的な事情で変わりゆく日本に溶け込んでいかなくては生きられない。

昨日テレビで「ゼロの焦点」を放送したとともだちから聞いた。「なにを今更…」と思った。そこに登場している役者さんは「赤線」がなにかも十分に分かっていない、パンスケとはなにかも知らないきっとお若い方だろうと察する。もちろん、その時代がどうであったか分かっていなくても演じる「歴史物」はあるが。その昔、久我美子、高千穂ひづる、有馬稲子の三大女優競演で野村芳太郎監督が撮っていたが、それでも「なにを今更…」と見たくもなかったが、まだこの方が映画としてマシな気がする。

映倫と言うのがある。映画倫理委員会のことを言うが、個人的には映倫とは映画作法の倫理性だと思いたい。度の過ぎた露出シーン、残酷すぎるシーンなどの場面だけではなくて、全体から窺える倫理性を言いたいのだ。例えば、最近「臓器移植」をいとも簡単にやれるようなストーリー、あるいは「先天性の認知症」をいたぶったり、「交通事故」での傷害者を取り上げて、やがて「愛がすべて」で一括りにしてしまう。
だが、待って欲しい。現実にはこうした人たちがいる。彼らの家族がどれほど苦労しているのか、そんなドラマは見たくもないだろう…。「愛」だけではすまないのだ。あえて、そういう人たちの境遇をモチーフに取り上げなければ、テーマがぼけるとでも思っているのだろうか…。

時代の中で捨て去られた人たちが今どうしているのか…。そういう人たちに、ボクたちはなにもしてあげられないくせに。してあげられるとしたら、そっとしてあげればいい。


そうだった、友だちの子供が昨日の「ゼロの焦点」をみて、「お母さん、赤線とかパンスケってなんのこと?」と質問したと言う。その返答に困った友だちは「どう答えたらいいかなあ」とボクに尋ねるから、「簡単だよ、吉行淳之介の驟雨でも読みなよって言えば」と、答えておいたが、これで本当に良かったのか。友だちの子供とはまだ中学三年生の息子さんだった。

吉行さんの本だけは、古本屋には売らない。ギリギリに残っているボクの文学性と自己主張だろうから…。


…まさみ…
by masami-ny55 | 2011-03-08 00:04 | 日記


東京の日常生活と、仲間たちとの交遊録


by masami-ny55

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

Translation(翻訳)

記事ランキング

以前の記事

2015年 10月
2015年 04月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 08月
more...

カテゴリ

全体
日記
我がヤンキース
自己紹介
未分類

フォロー中のブログ

空とぶっちゃの日々
松井秀喜選手の「夢」物語

検索

画像一覧

その他のジャンル