本がなくなる…かな?

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脱稿したから「おめでとう」ってお祝いしてくれるのは時期尚早でございます。
本の編集の一般的な流れとしては、脱稿した「初稿をたたき台にする」なんて言葉があるように、ここからが編集作業。作家と編集者のバトルが開始するが平均的な本作りなんですよ。めでたいどころか、これからが試合開始、ですぞ。

純文学をやっていても、たぶん作業としては同じような手順で出版されていくんじゃないかなあ…。
いまは昔と比べて、出版事情がなかり悪化しています。

活字媒体の新聞社や出版社の経営は広告収入に頼ってきました。日本が米国に比べて面積が狭いですよ、ね。日本の面積は、米国カリフォルニア州より小さくて、カリフォルニア州のロサンゼルス市は日本の岩手県とほぼ同じ面積です。それほど日本は狭い国ですが、かつて全盛期の頃は、雑誌の種類だけは米国とほぼ同じくらいの種類が出回っていたと言われます。
それほど日本人は雑誌が好きなのか…。確かにそんな風土はありましたが、これだけの雑誌が生まれたのは、日本経済界が活性化していたからです。
広告すれば売れる、それだったから各社は、特に化粧品、衣類、薬メーカーなどは、こぞって広告に載りだしていたのです。その媒体の王様が雑誌だったわけです。新聞社もこれと同類です。
新聞紙面には、政治面から経済面、スポーツ面に文化家庭面など一紙の中にたくさんのテーマが内包されていますから、その面の下段には関係する企業の広告が掲載されてきました。そして、広告費用は発行部数で決まりました。なので、新聞社にしても、雑誌社にしても部数拡大のために様々な努力をしてきたのが、その歴史になっています。

雑誌の出版を持たない単行本専門の出版社は、時代で要望されるテーマを新聞や雑誌から見極めて、月間編集会議などで出版企画を決定して、作家に依頼していきます。
年間行事を持つ出版社は、その行事をイベントにして大衆の意識を向けさせます。その歴史を積んできたのが、出版社です。

ところが、このPCの出現で出版業界は今まで培ってきた歴史が止まりました。媒体革命、ともいうべきなんでしょう。「紙」を使わない出版、に様変わりしています。
実はこの媒体革命は音楽業界のほうが先駆けでした。「楽器」を使わない音楽、の製作ができるようになったからです。コンピュータファイルのMIDIに代表される「音記号」の開発でした。コンピュータに記憶させた「音記号」を「音源」に接続してあげれば、ピアノ音になったり、弦楽、管楽器、打楽器に聞こえてきますから、これを同時に機械的な配列をした組み合わせをしてあげれば、たったひとりでなんと「交響曲」の「音」を創れて、「演奏」までやってしまう。そして、それのデータをそっくり音楽出版社に「メール」で送信できるというわけです。
演奏家がいらなくなりました。高額のスタジオを借りる経費もいりません…。現在さまざまな若手歌手が歌ったCDが発売されていますが、ほとんど、いや、すべて、といっても過言ではないかも知れませんが、電気で加工された音と声が耳に届いたいます。生の歌声や演奏を聞く機会は今後ますます減っていくことでしょう…。

作家たちも原稿用紙を使うことはないでしょう。現在、原稿用紙を受け取った出版社が困るはずです。なぜなら、彼らの編集作業はいまや、PCに頼っているからです。もし、原稿用紙に書かれた文章を受け取ったとしたら、編集マンたちは、全文をいったんPCソフトで書き換え作業しなければなりません。A4の平打ちを85ページほど書き上げた原稿を、四六版に製本すると、250ページ程度の本が出来上がります。四〇〇字詰め原稿用紙だったとしたら350枚弱書けば仕上がります。
現実には、目次や見出し、写真もしくはカット、奥付などでページが取られますから、原稿用紙は300枚以上書けばなんとか本らしい体裁になります。10年ほど前までは、原稿用紙で書いていた作家もいたと言いますが、私はすでに原稿書きはWindows3.1時代からPCに頼っていますから、ずいぶん経ちました。かつて、ノートPCを2台持ち歩いていましたし、デスクトップは個人で3台使っていた頃もありました…。その用途は原稿書きだけではありませんでしたが。

出版社はいま時代のなかであがいています…。
活字媒体だけでは広告収入が取れない時代です。印刷は昔と違って、データ管理です。
発行部数も、以前のような「だろう的数字」でごまかされなくなりました。

本がなくなる…。その昔、60年代後半、フランスの映画監督トリフォー監督が「華氏451」でみせてくれましたが、そこまで極端ではないけれど、確かに本が年々減少しています。
神保町に行くと驚くことでしょう。たとえば、日本文学大系、世界文学大系などが「裏神保」に入ると一冊100円でバラ買いできます。こんなものは序の口です。美術書や医学書、宗教哲学、文学評論などの専門書でもあきれるほど安値です。吉行さんや開高さんなどの全集などは寂しくなるほどの値段で売りに出されています。要するにいま、ボクがまだ若かった学生時代とは違って、学生が本を読まなくなったのです。これは、なじみの古本屋の店主さんがボクに言って聞かせてくれた話なんです。
日本語が…アブナイ時代なのかも知れない。日本語が危険だと言うことは、本を読む作業とは別に人としてのコミュニケーションが危なくなった時代なのかも知れない…。

現にこのブログとて、「横書き」です。
和歌だけは横書きにはしたくないですよ、ねぇ。でも、せざるを得ない。正しく書けなくなっている漢字。現に、変換機能がそうしてくれるから、漢字を覚える必要はない。
昔、ボクは「憂鬱」なんて漢字は「虫眼鏡があっても書けやしませんよ」、って国語の先生に言って笑われた楽しい時代があったけれど、そんな授業体験もいまの学生はなくなっているのかも知れない…。

なんでも時代のせいにしてしまえばラクだろう。たしか、吉行さんは「赤線廃止のせい」という言い方で片を付けたかったようだが、ボクは「赤線廃止後のこども」だからそれは知らない。
でも、そんな吉行さんが現代を見て、なんというだろうか…。そんな野暮な人ではないなッ。

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…まさみ…
by masami-ny55 | 2009-06-11 02:47 | 日記


東京の日常生活と、仲間たちとの交遊録


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