はじめての「緊張感」

久々に…。
韓国・釜山と東京・本郷との往復が2月から続いている。初めて韓国に行った日は肌寒い冬だった。
寒さはソウルほどではないと聞いたが体が硬くなっていたことを覚えている。それが、3月中旬になるとコートもいらなくなり広安里海岸の浜辺もコッパンで歩ける。4月には、釜山空港沿いの川辺に、日本でも見られないほどの桜並木が延々と続く。桜の林、桜並木があちこちに散在していた。見事な春を釜山で見つけた。
そして、5月になった。韓国で初めて、いや、大袈裟に言えば海外では初めてボクの授業の「説明会」をする。ゲストに来られる人たちは現在15人程度と伺っている。緊張する。

ところで、授業で使う機材が不安だ。韓国の電気器具と日本とは電圧が違うからそのまま使うわけにはいかない。変圧機が必要になる。
だったら現地ですべて購入すればいいだろう、という案もあったのでブタ先生と現地の電気屋さんに行ってみると、とても使えるマシンはない。しかも、日本と比較すると「この製品がこの値段?」と、価格も高い。現地での調達案は消えて、結局日本から持ち込むことにした。しかし、ふだん使っている機材を全部持ち込むのではない。出来るだけ軽量化したいので、新たに購入した。

まだ不足している機材はあるが購入した機材を見ていると、「夢」が膨らんでくる…。
「1回限りではないぞ」と。
そのためには、彼らに「いい授業だった」という感想を持っていただくことが大事だ。
緊張する。

ボクがまだ学生の頃、ボーイスカウトの仲間たち数人で夏、八ヶ岳を縦走したことがあった。あのときの緊張感に似ている。山を登ることは誰でも出来るが、未知の世界を歩くことは緊張が伴う。同時にまた「夢」も膨らむ…。

韓国語を全く知らないボクが、韓国の文化という未知なる世界を歩こうという。しかも「言語世界」の授業をしようというのだから。それは無謀なのか、それとも…。
どうしてもボクは自分の「夢」は捨てられない。この大きなチャンスに挑戦したい。

…まさみ…


# by masami-ny55 | 2012-05-11 15:22 | 日記 | Comments(4)

昨日20年の旅が終わり、今日は「新たな旅立ちの日」

明後日から、また韓国へ。これで、ほぼ隔週、続けに釜山に行っている。気になる航空運賃だが、案外この額なら東京-大阪間往復より低額だ。

おかしな話しだが、外国に行くたびに痛感する。日本って交通費がなぜこれほど高額なんだろう? これでは観光客は、たまったものではないだろう。ボクはさほど乗らないが、タクシーの初乗りが710円とは。いやいや交通費だけに限らない。公共料金自体が日本は高額すぎはしないか、とさえ思う。釜山でも、ニューヨークに行っても…。これでは諸外国の人たちからは「日本は愉しめない」と言われそうで寂しくなる。

釜山では、というより韓国全域だろうがタクシー料金は大変にお安い。街にあるガソリン代を注意して観察したけれど、日本より2割弱高いのだ。でも、料金は圧倒的にお安い。
例えば、釜山の飛行場から広安里海岸までのおよそ1時間、乗りっぱなしで日本円に換算しても2000円程度。これが日本だったら、ここ板橋のアパートから春日の事務所まで、2000円では行けない。
公共の乗り物、例えばバス、電車、地下鉄などは100円程度。上手に乗れば、いくらでも乗り換えが無料で出来る。そのせいか、地元では現金は使っていない。日本で言う「ぱすぽ」みたいなものを使う。これを使うと、乗り換えは無料になる。とにかく日本は公共料金が、高い。ニューヨークでさえ、飛行場からシティまで、確か30ドルの一律だったはずだ。

釜山。
ボクはこの土地で感じたのは、「新婚旅行には最適だろうなぁ…」である。
ボクはまだ行ったことはないが、韓国の歴史が詰まっている慶州。日本では、どうだろう、京都や奈良という土地柄だろうか…。もうひとつ、世界遺産・済州島まで飛行機でおよそ40分、間近の都市でもある。しかも、5000円程度の飛行機賃で間に合うし、その場でエアバスのようにチケットは買える。
釜山-慶州-釜山-済州島-釜山
なんてコースも、楽しいだろうと思う。1週間もあれば十分すぎるほど満喫できる。

釜山で生活をしている人たちは、釜山の素晴らしさを知らないんだと思う。ボクが渋谷生まれの渋谷育ちだから、都会のよさを知らなかったように。山あり、海あり、街あり…。クルマを15分程度走らせれば、たちまち窓外の光景は変色していく…。天候が良い日はなおさらだ。
浜辺を歩き、海岸線に立ち並ぶそう高くないビルにあるカフェからは広がる日本海が一望できる。コーヒーの味は、片目を閉じて飲むことにしても窓外の味だけは日本のどこに行っても味わえまい。
昔々のこと、まだ日本が日本ではなかったヤマトの頃、このあたりの港から対馬を経て大陸の文化が伝わった…、人が生きて、文化を持ち込む…日本はそんな文化から建国していった昔の物語… なんて、思いをはせるコーヒーの味はとてもとても日本では味わうことが出来まい。ボクが見つけたカフェ。日本から来たらまずは、みんなに紹介したいカフェだ。「窓側に座っちゃえ!」って。

釜山の街にはそれぞれ顔がある。
例えば、観光客が多い、と言ってもソウルほどではないたろうが、ナンポドン。ここは買い物客も楽しめるが、高台にはタワーが見える。そこまで歩くとおもしろい。きっと由緒あるお寺なんだろうが、ボクはそれは知らない。登り詰めると、年輩者のカップルが大勢いて、なんか体操みたいなことをしている。座禅をくみ、瞑想をしておられる人たちもいる…。野外なのに。ここは韓国か中国か…見ていて、全然飽きない。「なにしてだろ…」。デカイ銅像は、鎧を纏った韓国の英雄。誰?だろうか。
夕方になると、屋台が美しい。その長い列は釜山ならではの詩情さえ感じる。こんな屋台の行列を眺めながら、ときどき買い食いなんかしたりして…、これって、新婚さんなら絶対ハッピー感満点でしょ。
ボクは日本から来た友だちには、絶対絶対、この屋台行列に参加させる。ポケットに1000オン札を10枚くらい入れとけ!って、命じる。買い食いするため、である。
お土産は、必ず「ごまの油の瓶詰め」にしろ、と命じるだろう。「韓国製のごまの油にせい!」と。これは、韓国では珍しいほど「高価」だ。中国産のごまの油の瓶なら、「700円程度」。たしかにこっちもうまい。しかし、地元韓国のごまの瓶は「2000円程度」だが、透明感がまったく違う。香りは絶対に韓国製の圧倒的勝利。これで野菜炒めなんぞ日本で創ってみたまえ。そんじょそこらの中華料理店も顔負けの味が完成しますぞ。ボク? まだ買ってない。みんなと一緒に買うことにしてるので…。
ケジャンを喰え! 蟹のこと。いいから食してみたまえ。蟹のお刺身です。食べ過ぎると、ボクみたいに、ちと、ナニが近くなるが…。ケジャンはここ釜山では「常備食」とか。コース料理を頼むと、小鉢がたくさん出てくるが、このケジャンが出てくる場合もあるのだ! 蟹さんが韓国醤油に浸かってるのだ。その蟹さんを、ちと、ナニだがハサミで真半分にカット。カットした側面に口を持って行き、すするように食べるのが地元の食べ方なのだ。コレを新婚さんでやってみ。女性がカットしてくれた蟹さんを、ハイまさみさん、おいしいでしょ…なんて言われてみぃ、うんおいしいよぉ~、と言うしかないでしょ。ほんと、美味いんだって、さ。ご飯がもっともっと食べたくなると言う実に不思議な食べ物、ケジャンなのだ。こんな蟹料理は日本では食べられません。そもそも、この蟹がいないでしょ。

カフェ好きのボクには、釜山は天国。ただし、コーヒーだけは韓国では最近の飲み物らしく、他の食品に比べると、ちと、高めかな。といったところで、500円程度だが。いろいろ、特徴的なお店がある…。もの凄く高級感漂うお店から、代官山的カフェ、店長の趣味で創ったようなこぎれいなお店など、色とりどり。ただし、だ。なんで韓国の茶店は禁煙なんだぁ? あれ、なんとかして欲しい。神保町的茶店に出逢ったことはないのが残念。ニューヨークなら話しは別だが、釜山でしょ…頼むよ、ダメ?
次いでだが、喫煙OKのお店はカフェはじめ、食事するお店では、まずない。禁煙、です。
コレって、新婚さん用って感じがしませんか? 釜山ですよ、釜山。なのに、…あああ、喫煙者はいまや釜山でも迫害されるのです。そのせいか、ナンポドンは各お店の前はみんなで掃除しているらしく、とても綺麗になっています。お客さんを歓迎しているように映ります。

西面は下町的感覚かな。ここでは、ボク推薦ナンバー1の「グクス」を食べろ。いいから、食べて。
なにか言うと、日本で言う「手打ちうどん」みたいなのである。店先で料理しているから、湯気が舗道にまで立ち上っている。
金属製のどんぶりが数個店先に並び、おばさんはだし汁を勝手な量だけ気ままにその中にお玉で注ぐ。店先に置かれた釜で湯がいた手打ちグクス(うどんみたい)が湯気とともにどんぶりに入る…、次に叔母さんは、薬味の数々を自由に、そして勝手に素手でどんぶりの上から、ちらしていく…。あたかも、たこ焼きの具をいれる屋台のオッサン的手つきが続くのだ。なので、そうとう、味が偏る。ハッパが多めになる場合もあるし、その逆もある。
ボクはこの味に魅了され、釜山滞在中、2回もここに足を運んだほどである。
お値段? 300円! どうです、驚きましたか? 食べ終わると帰り際、なんか言ってくれているが韓国語の挨拶なので、わかんないけど、この挨拶が事務的なのがいいのだ。常連さん扱いされた感じが快いのだ。西面はナンポドンに比べると観光客の姿はほとんどない。明るいが、騒々しさは感じない。カフェも物静かな店が多い。

書きすぎた。

昨日でボクの20年ほど続けてきた仕事は、終わった。この間、1万4千人の人たちと出逢った。
今日からは、まったく新たな「物語」を書く。続けてきた仕事をこんな気持ちで終えられたのは、韓国との出逢いがあったから…。それは間違いない。
しかも、釜山でボクの授業が出来る。遠い昔かつて、日本がお世話になったであろう幻想的な港・釜山で、ボクはそこに住む青年たちを相手に、「ことばたち」の授業をする。すでに申込者もいる。

これからまた、ボクの新しい旅が始まる。
どんな人々と出逢うんだろうか…。


…まさみ…


# by masami-ny55 | 2012-03-06 11:33 | 日記 | Comments(3)

韓国の大学は新学期

明日ここ釜山を発つ。

13年6ヶ月、釜山の大学で日本語講師をしている女性とお会いした。ブタ先生の大先輩である。その前にも3年ほど韓国で同じ仕事をしていたという。
「欧米文化に馴染んでいたのに、ここに来たらすっかりハマッてしまって…」と言う。ボクの仕事にも関心を示してくれた。日本人としての自分と韓国社会とのつながりを彼女の実生活からシェアしてもらった。
来週、10人程度でまた釜山に来るがその節は彼女をみんなに紹介しよう…。

今回、たくさんの人たちと出逢った。ブタ先生のおかげである。ひとりだけ病気で会えなかった人がいるが、また会える機会を創ってくれると思う。

ところで、ボクはいままでなぜ韓国を遠い国にしてしまったのか…考えざるを得なかった。この女性のようにあまりにも欧米文化にボクは染まりすぎていたのかもしれないし、偏見もあったし、高慢な自分だった…。
すでに日本国内で失ってしまった「情感」としての生活がここにはちゃんと残っていた。かかわる努力を怠らない。けっしてご都合主義的教育を若者にはさせていない。間違いなく、愛情を持って学生と接している。それを学生は承知している…。

ブタ先生とこの先生が、「あの子、帰って来ましたよ」「そう、気になってたけど戻ってきたんだ」と、まるで我が子が帰って来たかのようにふたりでよろこぶ。

大学は今日から新学期ときく。先生たちの声が教室に響き渡る…。



…まさみ…


# by masami-ny55 | 2012-02-27 22:08 | 日記 | Comments(2)

再び釜山

二度目の韓国・釜山です。22日から来て28日に東京に戻ります。
前回とは全く違って観光気分は一掃、現地の人たちと同様の生活をしています。お風呂屋さんに行ったり、スーパーで日用雑貨を買ったり、食堂で食べたり…と。
仕事中心のスケジュールの毎日が続きます。もっともまだまだ韓国語はできないので、ブタ先生がいないと何もできませんが…。
仕事のやり方は日本にいるときとすこしも変わりはありません。人と会って話をして…。その連続です。

仕事のやり方は少しも変わりないのですが、話す相手の姿勢が違います。
相手をするのは韓国の青年ですから、ボクは韓国の青春像を前もって取材しておく必要がありました。ちょっとした文化論的な話題も教えていただきました。

日本の青年たちと彼らと明らかに違う点は、彼らは「兵役経験者」であるということです。韓国はご承知の通り、兵役が義務づけられています。このことはずいぶん前にこのブログで紹介しましたが、現実にボク自身が韓国に行くことになるとはあの当時思ってもいなかったので、あの程度の内容にとどまってしまいました。しかし、現に彼らと会って話してみると、この「体験の違い」はとても理解出るものではありません。もし、この環境が日本に起きたら…。

19歳から29歳まで、青春ど真ん中に2年間程度の「兵役義務」を過ごさなければなりません。家族と離れ、友達と別れて、恋人とは離れて生活する兵役生活。
78000ウォン~10万ウォン程度(日本円に換算すれば5千円程度でしょうが)の月給が支給されますが、日本でいえば高校生、いや中学生のお小遣い程度ではないでしょうか。休暇の交通費に使うか、軍隊内のコンビニでお菓子でも買うかで消えてしまいます。人間が個人としてもっもとデリケートなときに、規律主義のなかに身を置いた集団生活をするのです。
果たしてそれがいいかの是非論は他人様に譲りますがボクは兵役後の青年たちと話をして、一人として不快感を抱いた青年はいない、ということ。韓国内で教育を受けた韓国青年たちと話をすると、ボクはとても後味がいいのです。「あいつらとまたあいたいなあ…」という気持ちで心がいっぱいになるんです。
話す場所が焼き肉屋さんでもカフェでも、彼らはいったん箸(手)を休めて両手を膝に起き、姿勢を正します。ボクが話し終わるまで、決して口出ししません。まずはじっくりと聞きます。このリズムを体験したからボクは食事中は雑談することを覚えました。食事が済んでから場所を変えて本題に移る、というリズム感覚が彼らと話ができることを知りました。

「質問は?」
と、ボクが訊ねると、はじめて自分の疑問点などをはなしはじめます。しかも、具体的で簡潔に聞いてきます。ですから、こちらも大変に答えやすい。自分が置かれている環境も彼らは話しますが、自己責任を持って話します。いいわけがましい、まどろっこしい話し方は彼らとの対話にはありません。
しかも、彼らは理解したことだけ自分を留めておきません。納得したがります。どういうことかというと、日本の青年の多くは、「わかりました」は、けっして「やります」ではないのです。
しかし、韓国の青年が「わかりました」と口にすると、納得の表情を浮かべます。理解したとたん、その事項に対してコミットします。「する」になっています。
お互いの問題や障害その場で解決しようとする話し方をするのです。努力してくれるのです。それでも決まらないときはお互いに問題点を持ち帰って「宿題」になります。
日本の青年の多くは「宿題」をしてくれません。しかし、彼らは違っていました。
「宿題」の答えを、電話でくれます。けっして、メールなどでごまかしません。ど明確に「出た答え」を自分の言葉で必死になって(たどたどしい日本語で)伝えてきます…。こんな生徒を相手にしていたら、何とかしてあげたくなりませんか?
かわいくてしかたない、ですよ、こいつらったら。

もちろん彼らはメールも使います。不慣れな日本語をキーボードで追いかけたのでしょう、会って食事をして話した、たったそれだけのことを「感謝している」と書き込んでくるのです…。こんな青年たちといたら、なんとかしてあげたい気持ちになるのはけっしてボクだけではないと思う…。

いつだったか、バスに乗ってボクのお気に入りのナンポドンから帰って来たときのことです。空席がありましたから座ろうとしましたが、若者カップルがいたので彼らに座らせてあげました。で、下車したときです。ブタ先生から「まさみさん、全然わかってない! なんであんなことをしましたか? 彼らの身になってください。自分よりも年上の方に席を譲れなかったことで彼らは心を痛めたんですよ、わかりますか? 公衆の中で彼らをつらい気持ちにさせたんですよ。彼らは年配に対して席を譲ることは当たり前のことです。それをさせてあげてください。ああいうときには、必ず譲ってもらってください。わかりましたか?! ここはニューヨークじゃないんです!」と、道路に立たされたまま、散々お小言を言われました。現に、その前の日のこと。ボクは青年から席を譲ってもらいました。ブタ先生が「まさみさんがトシヨリだからですよ」って、笑ったので「トシヨリ扱いされたのか?」とムッとしました。でもそれはブタ先生のジョークだったのですが、真に受けたボクがアホでした。
自分より年配の人に対する韓国青年の気配りは徹底しています。たとえ観光客であっても、これだけは「韓国旅行の常識」として日本人は知るべきです。

釜山大学に行く途中、走っている電車の中で日用雑貨を販売している人や、ものごいのチラシを配る人や…その都度、ブタ先生の「講義」を聞きました。

ただ、ちと、韓国料理には飽きました。せめてスパゲティとか、パン食がもう少し普通の料金であればいいのですが…。ちと、お高い、かも…。パンの味ももうすこしなんとかしてくれないか、と。「有名ドーナツ」は、ここではうまくないです。ナンポドンの「ほっとく」の方がはるかにおいしい。

そうそう。韓国料理といえば…、昨日のこと。ブタ先生のお宅のすぐ近所に釜山でも大変有名な焼き肉屋さんがあります。なので行ってみました。
大皿には日本の焼き肉屋さんはもとより、新大久保でもでみたことがないほどの立派なブタの切り身が3種類のっています。例によって「おかず」の小皿が食卓をいっぱいにします。ご家族連れで、満席状態です。

隣の席にも、ご家族連れでした。ブタ先生がブタをお食べになるのですが、「?」と悩み顔です。複数の小皿の中にひとつ不思議なものがありました。一見きな粉のようです…。「これ、なんだろう?」
周りの人たちは全員明らかに現地の方々。ボクたちは日本人、すぐにわかります。ブタ先生は10年近く暮らしていますが、彼女とて初体験の連続でしょう…。
そんなボクたちに話しかけてくれたのが、お隣の奥様。きな粉はこうやって食べるのですよ、と。ご主人さんが実際に食べ方を実演。子供さんが、のりの焼き方とおいしく焼いて食べるコツも実演。ブタ先生となにかおしゃべりしています…。

お店の責任者が来て、ボクたちを丁寧にご挨拶してくれました。こんなにたくさん食べて、残しちゃったけど…3000円ていど。ホントかいな…。このお店なら釜山でも有名になるはずだわ、と納得です。日本からみんなが来たら、ボクは知ったかぶってこのお店に連れてきたいと思った。それほどの穴場ですぞ。

どうせ、またここに来ます…。どうせまた、失敗します。どうせまたあのブタ先生からおしかりを被ることでしよう。しかられるたびにボクはここの人たちに近づいている気がして…。遠い国・韓国がいまボクには急接近しています。


…まさみ…


# by masami-ny55 | 2012-02-27 11:37 | 日記 | Comments(3)

初めての韓国 ジャンケンの結末は?

カイバイボ!
慣れない韓国語で綴ってみると…「가 위 바 위 보」かな? 
違うかも知れないけど、ブタさん、教えてくださいよぉ~~。

「ジャン ケン ポン!」を、韓国では「カイ バイ ボ」と言うのですよ。
韓国への初めての旅で、やりたかったことのひとつに、韓国の人たちと「ジャンケン(カイバイボ)して勝つこと」でした。別に深い理由はなかったのですが…。
初めての旅は14日から16日の、二泊三日です。

長年のメル友さんこと「空飛ぶブタ」さんが、釜山の飛行場で迎えに来ていました。そのままクルマで市内へ。韓国の青年ふたりを紹介してくれました。ブタさんの教え子です。ふたりとも日本語は堪能でした。ブタさんの教え方が良かったのか、ご本人の努力なのか、それとも両方なのかはさておき、とにかくおもしろい。このふたり、兄弟のようです。果たして、カイバイボの結果は…。

ところで、
「韓国の街はきたない」と決めつけた人、
「韓国はうるさかった」と語る御仁、
「韓国は安いだけ」と侮る輩、
「韓国のひとはおおざっぱ」とわかったようなことを語る人…

韓国はボクにとって大変遠い国でした。昔、光州事件を知ったときのショックはただ恐ろしいと思うだけで、ちゃんと調べもしませんでした。遠い国として、ボクは側において見ることもしなかった…。ブタさんとメール交換する前までは。なので、韓国から帰ってきた人たちの感想にも関心すら起きません。その時聞いた話しがそのまま残っていただけに過ぎません。
「ふーん、そうなんだ。別にボクとは無関係だし…。行くことはないから」と、聞き流していたのですが…。

とんでもない。全部、ウソ! ボクが初めて韓国で見た人たちの表情は生き生きとして、友だちを大切にしていて、上役はきちんと責任を取って部下の教育をしていた。学校では学生たちは先生たちと、とても親しく相談して(親しすぎて、そこまで言うかお前!という内容まであるほど)くるし、聞く姿勢は正しく、自然な人間らしい秩序さえ感じます。街は豪華絢爛ではありませんが、新宿や渋谷よりも、丁寧に掃除がなされ、よほど美しい。魚市場の夜は、ランプの明かりが長く続いて暖かい。よほど鈍感なアタマデッカチ様はべつにしても、ふつうの感性を持つ人たちならきっとこの場の、詩情の豊かと人情のあたたかは瞬間に肌で感じとれるはず…。冬ならではの、あたたかさを…。
専門料理屋さんは決して派手さはなく、どこか物静かで、質素で、その上謙虚な姿勢を感じます。棚に飾った小瓶から伸びた黄色い花、その姿にはゆとりを漂わす。ほほえみさえ誘います。店員さんは手慣れたなかにも、笑顔を浮かべて挨拶してくれる。言葉が通じない人とわかっていても、きちんとあいさつしてくれる。ことばを知らないボクは挨拶すら返せない自分を恥じるしかない。
アメリカだったらチップをはずんで…で、すんだかも知れないが、この国はそれが出来ない…。だからボクは精一杯の日本語で「ありがとうございます」と、一礼して返す。つうじたのか、笑顔が返ってきた。
ここは釜山・南浦洞(ナンポドン)。韓国2日目の晩。
屋台の光の行列に従って、どこまでもブタさんと歩いてみる。あっちこっち歩き回るボクに、ブタさんは「こっち! そこはダメ!」と交通整理をしてくれた。韓国ドラマの撮影風景そのままに、ボクを入れてくれた。その正直さに、ボクはうれしかった。だから、ボクはドラマのシーンのように「ほっとく」をひとつ買って食べてみた。冬の屋台の買い食いは、「ほっとく」から始まった。ドラマでは「味」は体験できないから、こわごわ、興味津々。バターの香りが熱い「ほっとく」にしみこんで、初めのひと口はやけどしないかと気にかかる…。他にも食べてみたいから、ふたくち程度で食べ残して、残りはブタさんに、「もういい、あげる!」と手渡した。見ただけの赤いトッポキは湯気が立ちこめている。値切って買った焼き栗は、ぎゃくに「ボラれたね、まさみさん」…いろいろ試して悪ふざけ。ブタさんに叱られそうだった。

若者たちの服装は、ビレッジや渋谷のような「個性的ファッション」は目に入らなかった。
むしろ、濃紺とえんじのツートンカラー。清潔な青春色がまだ韓国の街には沢山見ることが出来た…。


さて、初日の晩のことだ。
念願のグクスも食べた。あまったグクスは、ブタさんの担当です。
いろいろと食べ回った後で、韓国・釜山の学生街。カフェに入った。物静かで、客層は若い社会人だろうか。そこで、ブタさんが言いました。
「まさみさん、ジャンケンしないの?」

なんだっけ、韓国語で?
「カイバイボ、ですよ」
「??」
「カイ バイ ボッ!」
「…かい …ばい …ぼ …だねッ。よし!」
ふたりの青年とボクは、カフェの中で、

「カイバイボ!」

なんとなんと、ボクが勝っちゃった!
子供の頃からいまのいままで、いつもいつも大事なジャンケンでは勝った例しがないボクが、ここ韓国の旅で、みんなに「勝たせて」もらえたのですよ。
ブタさんが「よかったね」と、笑ってボクの右手を包んでくれました。
2月14日は、韓国でもバレンタインでした。

「カイバイボ!」で、みんなして大笑いしたカフェでのことは、ボクはきっと忘れないと思う…。


…まさみ…


# by masami-ny55 | 2012-02-17 00:29 | 日記 | Comments(2)

ブタさん、再び空を飛ぶ

恒例の舞台が出来なくなった。抽選で外れてしまったのがその理由です。
九年間続けてきた会場は、この8月24日頃以降に工事の予定があるようで、まったく使用不可。8月にここの会場を使いたい希望者たちには、いつになく抽選は厳しいものでした。

抽選が外れたから公演を中止するわけにはいかない。なにせ、「10周年記念だぞ」と、去年から触れ回っていたのですから。もう、後へは引けない。さっそく別の会場を探した。
といっても、なかなかボクの舞台にマッチした会場は見つからなかった。時間が経ってしまう。見つけた会場はまたしても激戦地区です。とにかく翌朝、抽選会に参加。すると、なんと「一番くじ」です。
ただし、です。劇場は確保したものの、今までのとは規模が違いすぎます。とても大きな劇場です。いままでと比較したら、200席は多いのですから。倍近い広さ。しかも、完全な舞台。つまり、客席と舞台の間が明確に区切られているのです。
いままで演じてきた感覚とは、だいぶ違ったものになる、と。こうした会場での芝居は、みっちり、しっかりと安定させないと恥ずかしい舞台になってしまいます。
すでに台本は頭に入っているのですが、タイトルだけ披露すると、「英雄からの手紙」です。日中英の英雄たちの伝説を音楽で綴ってみたいのです。どういうことになりますか…。

ところで、例の「空飛ぶブタさん」。元気そのもの。韓国に10年ほど暮らしたブタさんは今回の休暇中に、日本で新しい友だちを沢山創っているようです。新たな仲間たちと「創作」を始めています。韓国から通い続けると決断したようで、8月の舞台には「絶対に来ます、念願だったから。やっと見られますよ」とのこと。
明日ブタさんは空を飛んで韓国に行きます。大学の授業が待っているからです。「まさみさんに学生を紹介したいから来て下さい」と言われれば、これはもう断れっこないです。ボクは14日に行って韓国の青年たちと話して来ます…。韓国語の特訓中ですが、いまのところ会話はムリです。なにせ、行くはずのない国に行くことになったのだから。ことばはまったく出来ません。まずは現地の人たちと一緒になって生活してみます。コレがボク流のことば上達法なので。
新しくできるだろう友だちと韓国の銭湯にも行ってみたいし、市場で値切って買い物をしてみたいし、グクスも自分で作ってみんなで食べたいし、小学校の音楽教室にあるオルガンも弾いてみたいし、ジャンケンして勝ってみたいし、韓国の学生歌もせめて1曲くらいはマスターしたいし…。そんな欲求が自分から吹き出してくるなんて、10年前には思いもしなかった。
ブタさんのおかげだ。
アメリカは、というよりも、ニューヨークはボクにとって第2のふるさとです。ここでボクは学校では学べなかった「自由」と出逢えた。そして自分の中に潜んでいる「高慢と偏見」に気がついた。韓国への旅は長くなる予感がしている。行ったり来たり、と…。その間に、どんな人たちと出逢うのだろう。どんな「ことばたち」と出逢うのだろうか…。

ボクはまだまだ、このまま旅を続けようと思う。人と出逢う旅を続けていく…。


…まさみ…


# by masami-ny55 | 2012-02-12 02:57 | 日記 | Comments(4)

「空飛ぶブタ」の物語

今年の夏がきたら自作の音楽劇を公演します。いつも劇場で行う予定ですが、なにせ抽選なので日程が確定するのは2月にならないとはっきりしません。

今回で、10回目。年に一度ですから今年で十年目を迎えます。ところでこの音楽劇ですが、始めたきっかけはニューヨークに住んでいるピアニストとのメール交換でした。最近はなくなったようですが、e-mailでの「文通」です。ですから、お互いに会うことを前提にはしていません。むしろ、会わない相手と「PCを使った文通」ということになります。ところがこのピアニストのコンサートを見に行ったことから話しが急転して、ジョイントコンサートを創ることになったのです。なので、コンサートのタイトルを「ユーガットメール」としました。1回限りで終わるつもりでしたが、結構好評でしたから調子に乗って「じゃあ来年もやりましょう」と約束。翌年、小さいホールではなくて300人以上入るちゃんとした劇場を用意しました。ところが、本番直前でピアニストはNYに帰ってしまいました…。大騒ぎの結果、ようやくピアニストと出会って、第2回が出来、3回目からはピアニストはこの時であったピアニストに落ち着きました。

コンサートは落ち着いたのですが、ボク個人のモヤモヤ感は尾を引いたまま。そこで新たに「文通相手」を探してみました。様々な方がいました。すると…、簡単な自己紹介がされています。その文章を読んでみればある程度の人柄は伝わります。
その中の一人にハンドルネーム「空飛ぶブタ」がいたのです。
絶対にデブですよ、絶対。絶対に楽しい人ですよ、絶対。絶対にネアカでオッチョコチョイですよ、絶対。
と、思う反面、気が触れているかも…ヘンな人もいるからなあ…まあ、ヘンテコリンだったら返信しなくていいし、と軽く考えて、まずはそれなりの手紙を出してみました。返信はきっちりとした文章で綴られていました。ブーブーちゃんにしてはずいぶんお上品な文章を書くなあ…と感心しちゃたのです。で、「会うことがない文通相手」ですから、とお互いのルールを決めてスタートしました…。

今年でふたりのメール交換はおよそ十年間続きました。
最近ではふたりともなにか特別なことがあったときに、想い出したように書きあう程度ですが、十年間では、メールで言い合いもしました。ケンカになったこともありました。その都度、手紙文って難しいと思い知らされたものです。スタートした頃は一日に4通の日もありました。住所も知り実際の肉筆での手紙も交換しました…。「空飛ぶブタ」のメールからヒントをもらって、許可を取って、メールの文面を台本に使ったこともありました。

ブタさんは韓国の大学で日本語の教師をしています。「ことばの世界」では、ボク同様大変関心の深い人です。そんな共通性がこれだけ長い間、メール交換が続いた理由のひとつだと思います。

ブログの楽しさを教えてもらったのも実は「空飛ぶブタ」です。ブログがなにかをボクは知らなかったし、関心もなかった。そして、韓国ドラマを覚えたのも、「ブタさん」のおかげです。韓国という国に関心を持つようになったのは明らかに「ブタさん」のおかげなのです。それまで韓国はボクにとって、遠い国でしかなかったから…。韓国の徴兵制度と青年像を紹介してもらったり、韓国の平均的生活ぶりも教えてもらいました。韓国という国が身近に感じてきたのもまた、「ブタさん」のおかげです。

会うことはない「ブタさん」と、遠い国だった韓国…。

しかし、人生って思わぬ方向に向うことがあります。
ボクは十年間のメールで、仕事のこととプライベートは書かないままにしていましたから、「ブタさん」は「まさみさんって、どんな人なのか、一体どこでなにをしている人なのか知らなかった」のです。このミステリアスな関係が「メル友関係」として、ボクには丁度いいバランスだったのですが…。

ところがある日のこと、「ボクの夢」を書いたときでした。自分の仕事を初めて「ブタさん」に書かなくてはいけないことになったのです。そこで、自分の仕事のサイトを転送したのです。
それを読んだ「ブタさん」は、「学生を紹介するのなら、私が参加してみて体験してみないと力が入りませんから」と、ボクの仕事に大変な関心を示したのです。で、わざわざ韓国からボクの授業に参加しに来られました…。会うはずのない「メル友」がおよそ十年の歳月を経てはじめて出逢いました。しかもその場所はボクの「夢」の詰まっているボクの教室で。
やりにくかった、今回の授業は…。

韓国はその昔、ずっとずっと大昔。大和の国に大陸の文化を伝えてくれた。「漢字」という「当時のコンピュータ」もまた、韓国経由で大和の国に伝承されているとか…。現代韓国ではもはや「ハングル文字」という発音記号で綴られることが多く、「漢字」を見かけることは少なくなったとか。ハングル文字はその昔15世紀の韓国王朝が創ったものと聞くが、日本語と文法が似ているのは興味深い。現代韓国はキリスト教とはいえ、まだまだ儒教精神が実生活を支えているようにボクには見える。その儒教精神は現代日本の実生活にも共通してはいないだろうか…とさえ、ボクには思えるのです。年功序列の精神と縦割り人事の徹底ぶり。男女の明確な人生観の違いや、個人的誇りを大切にする生き方などなど…。昔々お世話になったであろうこの国にボクはボクなりに「夢」を描いた。ボクが見つけ出した「言語世界」を持ち込んでみようと。ボクの尊敬する白川静先生でさえ、研究の土台は「漢字の精神」だった。ことば、そのものだ。
ダメかも知れないが、ボクはまだまだ、このまま旅を続けようと思う…。

「ブタさん」は、まったく新しくなった授業に参加した。ここまで授業内容を改革するのにはボクは、ずいぶん失敗を繰り返してきた。そのたびに訂正を加えてきた。十年前と今の授業はテーマすら違っているほどだ。この授業が終わると直ぐに「創作コース」に申し込みをした。しかも、授業料までその場で済ませてしまうのです。

ということは、ボクはもはや後には引けない。「ブタさん」が創作コースに参加すると言うことは、韓国で「創作コース」を実施する必要が生じる。たったひとりの参加者のためにボクはかつて姫路、京都、新潟、仙台などにも出かけたことがあった。韓国でも同じことだ。さいわい運賃も国内の旅と比べて、大差はない。
今年、ボクの授業が韓国で行われる「夢」を描く。韓国の学生たちと話しをしてみたい。彼らの「夢」を聞いてみたいではないか。「ことばの世界」がどこまで広がりを持つか、そんなことを思うだけでも、ボクは自分の「夢」が限りなくひろがっていく。まるで大空を飛ぶが如くに…。

ただの「メル友」だった「空飛ぶブタさん」が、ボクの「夢」を一緒になって飛ばしてくれることになるなんて…。こんなことって、人生でそうそうあることではないでしょう。


…まさみ…


# by masami-ny55 | 2012-01-24 03:56 | 日記 | Comments(9)

劇団AUN「十二夜」 横田&沢海&蘭 お見事!

おもしろかった…。

劇団AUN「十二夜」を初日に見た。学生時代からボクは初日の舞台は避けることにしているのですが、仕事の関係でどうしても初日に伺うことになった。赤坂にある小さな劇場で、他の劇団も使っているからよくここにはお邪魔している。用意してくれた席はなんとまあ、どセンター。初日の舞台でこの席で…。

三時間の公演はあっという間に過ぎていく…。笑いと緊張感のメリハリが小気味よかった。
大人の笑いが自然と出てくる舞台は、いまどきそうはあるまい。横田栄司さんのトービーには引き込まれた…。横田さんのあの独特の「声」と「台詞回し」は天下無敵だろうとさえ思わせる。舞台上が少々賑わっているハイテンポな台詞続きの場面ではあえて、のんびりとそして静かに台詞をまわしていく。
この横田さんを引き立てているのが、アンドルーの長谷川志さん。長谷川さんの道化ぶりもまたこれはこれは、天下無敵。天下無敵が二人揃ったら、こういう舞台が出来上がります。お見事!

ラスト間近で、林蘭ちゃんに思いっきり手打ちまでくらう長谷川さん…。道化が観客にちゃんと同情さえされてしまうあたり、もうこれはこれは、天下無敵のアンドルーが仕上がっています。

蘭ちゃんと言えば我が「ユーガットメール」のレギュラー女優様。テンションの高さは当代随一の女優。その彼女がなぜか慎ましやかなオリヴィアに扮して登場。見ていてこちらが気恥ずかしくなりましたが…。楚々とした振る舞いのオリヴィアのはずが徐々に「蘭ちゃん節オリヴィア」へ突入していきます…。ご本人はボクに、「超二枚目をやります」とおっしゃっていたのですが、やはりそこはそれ蘭ちゃん。自分流が天下無敵の立ち位置。宝塚の大女優・安寿ミラさんを向こうに回しての相手役。凄まじい女対決の場面では大女優の風格そのものでした…。

なんというか、最近のテレビはこんなドラマをやってくれない時代です。昔、「上方漫才」といいましたが、そうとは言わずに、「お笑い芸人」のおしゃべり番組が目立ちます。どのチャンネルでも「上方」ではなくて(失礼!)、「関西弁」だらけ。なので、役者さん達の芝居が見たければ、こうして芝居小屋に出向かなければならない時代になった。蜷川先生がシェイクスピアの悲劇がお好きなようですが、一方ここ劇団AUNは喜劇を追いかけています。

今日、四日間の出張から戻って職場での仕事が早く気の上がったので、また「十二夜」を見てきました。
落ち着いて笑える大人の舞台だと、改めてそう感じます。
吉田鋼太郎先生の「偽手紙誤解の場面」では、ハンカチを用意しておかないとエライ目に遭います…。悲しいから涙が出るのではなくて、おかしすぎて泣けてくるのです。ここまでやるのか、吉田先生!と。

今日、チャッカリと沢海陽子さんのサインをいただいちゃったのです。彼女のセバスチャン、可愛くて、しかも印象的。ボク好みの女優さんなのです。
坂田周子さんのマライヤがまた、ほれ、天下無敵のスットンキョウです。テンションが絶対に落ちない。早口での台詞まわしは、さすが劇団AUNの女優です。妙にカワイイのですよ、この人。

で、職場の仲間たちと帰りの地下鉄で話したことは、ボクの大好きな「ヘンリー五世」を是非是非劇団AUNで公演して欲しい、と…。チャンバラが子供時代から大好きで、東映映画ばかり見てましたから…。
4幕3場「セントクリスピンの演説」を、どうでしょう、横田栄司様、おやりになってみては…。お似合いだと存じますが。宿敵フランス軍の大将には劇団AUNの主幹である吉田鋼太郎先生に…。
そんな「夢」まで見させてくれた舞台でした。

…まさみ…


# by masami-ny55 | 2012-01-17 04:42 | 日記 | Comments(2)

新年初物

年が明けて、平成24年。辰の年になった。
だから、いちいちやることなすことに「お初」がつきまとう。ここ1週間程度はこの「初物」で気分を新たに出来るというものだ。
まずは、恒例の日光東照宮に初詣して、いつもの山のレストランで初のランチ。輪王寺でおみくじを引いたら、「大吉」。

ところで今日のこと。初めての体験をした。都会ッ子のボクが生まれて初めて「精米」をした。栃木の田舎に家を建ててしまったので、仕方がないが近くの人から30キロの玄米を精米して欲しいと頼まれた。
「精米ってなに?」
機械があるから100円玉を入れれば出来る、と簡単に言う。分厚い紙袋に入った玄米はなかなか持ちにくい。重たくて、手に食い込んで痛みが伴う。考えたあげく、抱きかかえてみた。なんとか玄米30キロを抱きかかえられた。クルマのトランクに載せて、畑の横に建つ「精米室」へ。
やり方はイラストにして精米器の横に描いてあった。その手順に従ってみると…。
まず30キロの玄米を一気に精米口に開けるのだが、これが案外難しい。100円が10キロと描いてあるので、失敗したらまずいので、200円を入れた。ボタンを押したらもの凄い音と多少の振動が狭いプレハブに響き渡る。ちと、こわい…。
「ヌカも持ってきてくれ」
とも言われたので、ヌカが必要な場合はこのボタンを押せ、とイラストにある。なので、押したらヌカは出てこない。いつまで経っても出ない…。なぜでない?と考えている間に、玄米がもの凄い勢いで「白米」に精米されていく。
どこを押せば袋に戻るのか…イラストを見直す。足下にペダルがあった。ペダルを踏んでみたら、どさぁ~と白米がこぼれる。ヤバい。落ちる口がわかったので、そこに紙袋をあてがってから、ペダルを踏む。白米は袋に落ちていく…。
しかし、ヌカがまだでない。ここから出てくるはずだが…と、手を突っ込んでみたら口に詰まってた。手を入れたら、粉末状になったヌカがこぼれ落ちた。出来た。

ヌカも大量に出来たが、疑問があったので届けたときに訊いてみた。
「このヌカ、なにに使うの?」
すると、ぬか漬けに使ったり、畑の肥料にもなるというのだ。えっ、ぬか漬けってこれを使うんですか? 
うそっ!
ボクはいまのいままで知らなかった。都会ッ子だからではなくて、ボクがひどすぎる。ぬか漬けのヌカと、今日のヌカとは別物と思っていた…。

こうやってお米が出来ていくんだ、と体験できただけでも、とにかく、楽しかった。で、早速電気屋さんに行った。電気釜を購入するためだ。そしたらいろいろと、取り揃えてある。1万円以下から始まって、なんと10万円クラスまで。圧力ナントカ…、などなど。「ふつうのヤツで…」「そう言われましても…どうなさいますか?」
たかが電気釜と思うなかれ。これだけの中でいろいろ説明されたら、どうすることも出来ない。
んーー、東芝は母親の時代だし…、パナは松下かぁ…、象印にタイガー…魔法瓶じゃなかったのかぁ…、んーー、どれにしようか…。IHのなんとか…に決めたら、1万円程度だった。

精米したてのお米をこの電気釜で炊いてみた。いやいや、いや。美味美味、大変に美味しい。長嶋さんの納豆が届いていたので、それと海苔で食べた。「日本をしている」って感じだった。自分で精米して、自分で炊いて食べたご飯って、生まれて初めて。初物揃いの新年とはいえ、この体験はそうそう、できるものではあるまい。


…まさみ…


# by masami-ny55 | 2012-01-03 02:53 | 日記 | Comments(5)

常磐道・日立市へ

東京本郷から常磐道で茨城県日立中央まで、片道200キロ程度の距離を走った。外気温は4Cを指す。12月になったとたん、寒さを実感できる。友だちと会うためだ…。

昼食中に、やっちゃんに「誰か、チャしてくれる相手は居ないのか? 誰でもいいから、さぁ」
茨城県で教諭をしていたやっちゃん。「どこでもいいですか?」
結局、日立市の高校で教師をしているナメちゃんと連絡。「今から行くけど…」
ナメちゃんの友だち、二人と別々の時間で会うことになった。どんな人だぁ…と、ワクワク。スカイラインのガスを満タンにする…。

折角、日立にまで行くのだから太平洋の幸を…と、友だちと会う楽しみとは別に、ご当地の名産を思い浮かべながら運転とした。真っ直ぐ伸びた3車線の道路は閑散としていた。こう言うときこそ遵法で走らないと危険なのだ。若い頃は、湘南方面などでスピード違反ばかり。散々、あのピカッにやられたので、知らない高速道路では遵法に限る。それにしてもこのV36型は燃費効率がいい。G34型に比べたら、実車で倍程度は違う。

4時を過ぎて陽が落ちはじめた。震災後とはいえ、それにしても常磐道は閑散としている。気づいたのだが、今日から水戸から北に走る高速道路は無料だ。災害の影響なのだろうか…。

日立市に入る。
60年代から70年代にかけて貿易立国ニッポンの主役として我が物顔で日本経済を支えた日立製作所の大本陣。その大都市だ。10数年前にも、何度か来たことがあった。
重電メーカーの老舗・日立製作所の「城下町」である。日立駅に着いたのが、午後5時すぎ。すでに太平洋は真っ暗になっている。
繁栄した日立市のメイン通りが太い道路のまま残っていたが、走る車も少ない。日立の心臓部である生産工場は節電のためか、灯火のような薄明かりが残っていただけだった。
モノ造りニッポンがいつの間にか、モノ造りをしなくなった。日立市のかつて繁栄はいま、どこにもその名残さえない。毎晩宴会続きだった70年代の各飲食店は6時だというのに早々と暖簾を外して、店じまいしている。工場側の喫茶店は6時で閉店。…寂しくなった。
これが今の日本産業界なのかと、200キロ走って見た現実の光景に、我慢できなかった。
誰に向けて怒鳴ればいいのか…ただただ、しゃくに障った。
皮肉と言ったら皮肉な話しだが、かつて日本独特の原子力発電メーカーとして世界からも驚嘆のまなざしでその技術力を評価された我が国最高の重電メーカーが、あの「津波」と電気供給会社の後手後手になった事故処理のおかげで、原発廃止へと世論は向けられた…。

モノが造れない、累積した重電の技術力はもはや日本国内で発揮できる機会はなくなった。日立市はいま寂しい街になっていた…。貿易立国日本だったはずの「本拠地」が、これなのだ。

友だちと会って、せめてお刺身料理でも、と気を取り直す。友だちは地元の高校で教師をしている。
数少ない老舗で早速夕食だ。明日から学校では期末試験、だそうだ。すると、そのお店で、友だちは突然でっかい声を張り上げた。なんだ、驚かすな…。
「生徒がバイトしてました」という。
とにかく、ご飯をおかわりまでして「お刺身」と「天ぷら」をいただく。ボクは天ぷらはお塩でいただくのがクセで、どの店でもそうしている。

今週はスカイラインが大活躍してくれた。クルマで北陸、越後、日立、そして、柏と草加と走った。
人と出逢う。記者時代とは違って、原稿にまとめる必要がないが、それでも記憶にとどめる出逢いがある。日々、あちこちの街を行き、人と出逢って話しをする。なんと、楽しいことか。



…まさみ…


# by masami-ny55 | 2011-12-03 01:44 | 日記 | Comments(4)